こうま座通信

終わりのない文章

国語教育のレゾン・デートルへの挑戦である。

2019-07-11 | Weblog
ご恵贈いただきました。
広島大学大学院、Mさんの修士論文。

<抑圧の二重構造>からの脱却を目指す母語教育の研究
—「聴覚障害者のきょうだい」の当事者研究を中心にー



読み終えて、私自身は、特に聴覚障害者のきょうだいではないにもかかわらず、この論文がなんでこんなに自分に響くのかなあ、論文というより、
読み物として響くので、自分も相当抑圧を抱えている、二重どころではない多重抑圧にさらされている、でもそれを向き合うなんてことはしてなくて、いろいろと逃げているだけなのかも、、、と思わせられました。

でもずっと、「名付けられないマイノリティ」「名付けられない生きづらさ」については、自分のテーマだったので、それが国語教育とこういう風につながる、Mさん的な問題関心が、自分の腹の底にあったんだろうなあ、あるんだろうなあ、という気がしています。

以前、「半分、青い」の事を書きましたが、Mさんとのやりとりは、「半分、青い」を見る上でずっと引っかかってはいました。(Mさんはドラマを見ておらず、私が聴覚障害のある主人公のドラマにおける扱いとそれに対する視聴者の不満を一方的に語るものでしたが・・・)Mさんとのやりとりがなければ、私もあのドラマを見続けるのは苦しかったかもしれない。

とにかく、読み物としてとても面白く、医学書院から出版したら?
と思いました。最低でも、ハートネットTVにゲストで呼ばれるくらいはしてほしい。

学童のおばちゃんたちの話(子供の頃、きょうだいで通っていた学童のスタッフに、著者はインタビューを行っている)とか、いいインタビューです。
障害のある弟に対する「殴る蹴るの暴行」とか、表現も面白い(←いいのか?いえ、昭和のきょうだいゲンカ、許したって。令和の少子化じゃあ、それすら贅沢ノスタルジーだわ・・・)。

当事者研究ファンもこぞって買うであろう。
私の中のチーフエコノミストの推測では不況の続く出版業界にあって、当事者研究市場はここ数年、倍・倍の勢いで推移している。この傾向はしばらく続き、日本社会の構造がこのままだとするとますます拡大の一途を止められないだろう(根拠なし)。

国語教育の本質を大きく揺るがす問題作。
とても学ばせていただいた修論でした。
Mさんの国語教育学、母語教育学。この後の論の展開が、今後どうなっていくのか・・・その生き証人になりたい!と思わせられました。

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