こうま座通信

終わりのない文章

小熊英二『生きて帰ってきた男』×二松啓紀『移民たちの「満州」』

2015-09-20 | Weblog
前者は、小熊氏のお父さんのライフヒストリーなのだが、私はこの本のおかげで、戦前と戦中と戦後と復興と経済成長と奇跡的で退屈な平和とそれが終焉して行く兆しとを、はじめて自分のなかで、わたくしごととして、接続することができた。

 と同時に、教育の弊害も改めて感じる。戦前があり、戦中があり、戦後があり、復興があり、経済成長があり、それらは「単元化」されてしまうので、つなぎ目が「教育」によってみえなくなる。どれも、単元ごとにやればやるほど、つなぎ目がわからなくなる、実感できなくなる、しづらくなる、という宿命。戦前も戦中も戦後も、別にページが変わったり、シーンが変わったり、今日から戦前だという日があるわけでもなく、それらは入り交じり、まだらになっていて、浸食し合い、からまりあい、ひきずりひきずられながら、のプロセスなのに、「教育」は、重要項目ですっきり区切って項目化しちゃうから、人々が生きる中で、どんなふうに戦争に加担し、加担させられ、あるいは苦しみ、ということが見えなくなる。人々が、そのとき何を考えていたのか、あるいは考えていなかったのか、考える機会があったのか、考える機会が奪われていたのか、何が知らされ、何が隠されていたのか、そこでひとりひとりが、どういう選択をしたのか、それを後押しした背景はなんなのか、そういうことが本当にはわからない。教育は、そういう問題を克服できないならば、せめて教育の弊害も同時に教育すべきではないだろうか。 

 で、ありがたいことに、小熊さんのお父さんの語りのおかげで、自分の中の、自分ごととして、感覚として、戦争がつながった。祖父も戦争から、「生きて帰ってきた男」だったが、一切、なにひとつ、私には語らなかった。祖父は、私が13歳のときに亡くなった。その沈黙の意味にも、沈黙して過ごした時間にも、よりリアルに接続できる。

 あわせて、二松啓紀『移民たちの「満州」』も読む。二松氏の本を読むと、満州移民を積極的に送り出した地域が、現在過疎化に苦しんでいるのは偶然ではないのでは、という指摘から、現在の、グローバル人材育成のかけ声と、満州移民の積極的な推進とが重なる。そんなことを知人に話すと、「その通りで、「対称」にみせかけた「相似形」である」と。(うん、数学も大事!)つまり、満州国とグローバル企業が一括変換しただけで、構造としては同じなのだ。幻想をみせて、人々を煽るだけ煽り、しかしその実態は、今度は満州国という中身スカスカの傀儡政権ではなくて、グローバル企業という、国家以上に権力も金も影響力もある存在に仕える人々を育成する、あるいはそんな幻想に煽られる従順な人々を育成しようということ。(実際に大多数の庶民が就職するのは、グローバル企業の下請けの下請けの下請けの……)国が強制的に移民をしたわけではなく、地域がそこに進んで協力していったこと、国が政策をかかげても、地域はそれを選択しない手もあったのに、貧困などを理由にそちらに道を見いだし、人々も進んで手を上げて行く。地方には、グローバル企業に仕える人材になるか、原発/基地で働くしかない、近い将来、そんな選択肢しかないとしたら。満州移民を積極的に推進した地方こそ、グローバルなんとかを推進したがるのなら…。(もちろん、都市部のなかの、階層によって住んでいる地域にかかわらずグローバルなんちゃらを歓迎する)これでは「キャリア教育」ということばも虚しく聞こえる。エネルギーと食糧を求め、かたちをかえて戦争は息をふきかえす。

 あと、小熊さん・二松さんの両方にでてくる、共通するエピソードが多いのも面白い。個人的には、ソ連兵が人数を数えられない、という件。寒いのに氷点下何度というのに点呼のために1時間とかかかる、と。これ、モンゴル人学生の集団を引率をしていて、経験したことあるのでわかる。整列できない、人数を数えられない! でも、そこから、整列して人数を数えられるのに幼い頃から慣れている日本人の集団としての身体というのを感じるわけで。集団として、馴致され、とにかく羊のように従順。とにかく管理しやすい、時間も守るし。でも、体力がなかったり病気をしたりと、そのせいで時間管理に従えず、つまり管理しづらかったからだをもっていたおかげで、小熊氏のお父さんは九死に一生を得、運良くシベリアから戻ることができたともいえる。

 あと、満州移民の数が、あまりにも多くて、戦後、引き上げてきても、みんな満州の話はできなかった、しづらかったと二松氏の本にある。本当に個人的だけど、『スーホの白い馬』が長い間、「名作」として日本人に愛されてきた背景には、どこかで満州へのノスタルジーがあって、語りづらいことの、語れる部分だけをすくいとった作品だから、代償として愛されてきたのだろう、と改めて。以前から感じていたことではあるのだけど。あの土地を夢に見た世代がいて、それを親に持つ子どもが戦後、70年代とかに教師になっていて、それを教え始めた・・・。満州と風景が似ているであろう、はるかなモンゴルの純朴な物語。身も蓋もない書き方になるけど、スーホの話の構造は単純で、競馬に勝てば娘を嫁にやるなどというにんじん(グローバルに活躍)をぶらさげた理不尽な殿様(国家)がいて、よせばいいのに殿様主催の競馬にでろと奨めるひとたち(地域)がいて、そこで約束のお嫁さんをもらうどころか大事な白馬(家族や財産)までもとりあげられ、運命に翻弄されるスーホ(移民)。読者はもちろん、そんなこと意識したりはしないでしょうけど、投影するには十分すぎる程十分な物語。ああ、自分の親は、きょうだいは、家族は、親戚は、ご近所は、同胞は、せめてこんな美しい風景と星空と、雄大な自然を、純粋な気持ちで生き抜いたのだ、そうであってほしい、という想い。常々、モンゴル人の馬頭琴奏者が不思議がっていたのは、世界中どこへいっても、日本人程馬頭琴に想い入れのある人たちはいない、っていうこと。集団的に熱狂される、という。特に、アメリカなんかでは権利意識が高いのでこの主体性のないスーホがなぜ主人公なのかまったく理解できず共感されない。やっぱり、世代が夢見た幻想は、次の世代に別の形で受け継がれる…。すごくしぶとい。封じ込めようとしても封じ込めようとしても。水滸伝のはじまりのシーンみたいなイメージ。自分も知らないうちに、その幻想にとりつかれたひとりということか。(ますます伴奏等やりづらくなるようなことを自ら書いていますが・・・。)

 他に、二松氏の本では、ソ連が日本に宣戦した8月9日、その日に満州国に到着してその日に逃亡生活がはじまった移民の一団とか、シベリア抑留を日本政府が把握したのが11月だとか、…絶句するしかない事実が盛りだくさん。
 ついでにというのも変だが、あわせて読みたいのが、中井久夫さんの『戦争と平和 ある観察』。戦争という現象そのものの本質・性格について語られていて、どうやって「次の戦争」が準備されるのか、戦争がもっているパターンが語られている。そう簡単に、戦争は、私たちをフリーにはしてくれない、誰もそこに無縁でいられるほど、甘いものではないのだということを、知らせてくれる。
 

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