こうま座通信

終わりのない文章

『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦』

2016-02-18 | Weblog
久々に、安富歩先生の本を。
盛りだくさんでした。まず、森の消尽という視点。満洲の大地ははじめからあの真っ赤な夕陽の沈む地平線、だったわけではなく、虎などのいる森だった、生物多様性の宝庫だったこと。『デルス・ウザーラ』でみたような、シベリアの森の雰囲気でしょうか? これは、映画やドラマや小説などで語られてきた満洲のイメージとは随分違う。

そして、満洲の暴走っぷりとその後の崩壊、日本の敗戦までを、ポジティブ・フィードバックという概念で解説します。現政権の転がりぶり、なし崩し的・やりたい放題・幼稚な、なんでもありな状況を、満洲と変わらない、むしろ私たちはいま満洲国に住んでいるのだ、という話。

昨年、小熊英二『生きて帰ってきた男』、二松啓紀『移民たちの「満洲」』を読み、開拓団の存在と現状がすごくシンクロしたのを、改めて納得する。そもそも、安富先生は、「開拓」ということばの欺瞞を指摘します。あんなの、「開拓」でもなんでもない、札束で顔ひっぱたいて、いざ戦争がはじまったら兵隊にするために貧しい地域から人々をわざわざ大陸に連れて行き、すでに中国人や朝鮮人が開拓していた土地を強奪させたりしながら、そして本当に戦争がはじまったら見捨てて、つまり「わざわざ殺されたりシベリアで強制労働につくために」国策で遠路はるばる送りこまれた27万人、もちろん送り出した地域もスッカスカで、わざわざ朝鮮人などを連れてきて強制労働させたということなんですが、もう、なんの大きなビジョンもなく、対処療法だけで噓とその場しのぎを連発した結果、「悲劇と呼ぶのも生ぬるい」状況を無数につくってきた。
 根本にあるのが、札束で顔ひっぱたいて、というやりくちと甘いことば、現在の原発や基地のあり方とまったく変わらないこと。しかも、問題を起こした人々は一切責任をとらず、けっこういい想いをしながらその後の人生をのうのうと生きること。むしろ被害者を守ろうとしたり、か細い声をあげた人々が、濡れ衣を着せられ、死刑にされたりひどい目にあわされる、ということ。
 それでも、かつての満洲を懐かしむ人がいるのは、なぜか、まで含めて、腑に落ちることばかり。
 また、天皇制に関する考え方、人はなぜか血統に裏付けられた王がいることを好む、これは生物としての本能のようなもので、こちらがいたほうが、むしろ政治は安定するという考え方も、合理的です。アメリカ大統領選も、家系がものをいっているのは、血統による王の不在のせいなのだと。
 生物多様性、歴史、政治、そして今の私たちがどういう生き方を選択をしていくべきなのか。ESDなんてことばは一切使われないけど、安富先生は今の日本は持続不可能性へ驀進する機関車のようなものだと、荒削りでもいいからこの本を早急に出したのだと思います。この驀進する機関車に乗っているのは国民。。。でも、スピードを落とさせ、レールの方向を変えることは、まだ不可能ではないでしょう。ひとりでも多くの方に読んでいただきたい本です。。。
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