「あなたって、優しい人ね」
ほとんどの人が、他人からまた家族から、一度は言われたことがあると思います。
その時にあなたはどう感じますか?
ある人が言いました「自分は自分のことを、そんなにやさしいと思っていないから、正直言って素直に喜べない。」と。
やさしさの定義は存在しません。何故なら心というフィルターを通して感じるものだから、人それぞれによっても違いますし、その時の状態によっても感じる時と感じない時があります。
他者は自分の心を映す鏡だと言います。
その鏡に映った自分の心を、その人が言葉で伝えてくれたとしたら、自分の気が付かない心を見せてくれたのだとしたら。。。
やっぱり素直に「ありがとう」☆と言える自分で在りたいと思います。
ほとんどの人が、他人からまた家族から、一度は言われたことがあると思います。
その時にあなたはどう感じますか?
ある人が言いました「自分は自分のことを、そんなにやさしいと思っていないから、正直言って素直に喜べない。」と。
やさしさの定義は存在しません。何故なら心というフィルターを通して感じるものだから、人それぞれによっても違いますし、その時の状態によっても感じる時と感じない時があります。
他者は自分の心を映す鏡だと言います。
その鏡に映った自分の心を、その人が言葉で伝えてくれたとしたら、自分の気が付かない心を見せてくれたのだとしたら。。。
やっぱり素直に「ありがとう」☆と言える自分で在りたいと思います。
ある人の方が少ないと思うけど
やさしい人・・・私は昔、女性にちょっとした親切をしたときなど、「やさしい」って言われることがありました。でも、女性に「やさしい」と言われるのは、恋愛対象として見られていないという気がして素直に喜べない、複雑なものがありました。素直に喜べば良かったなあ、と今では思いますが。
「やさしい」という言葉として口に出すかどうか。。。それは人それぞれでしょうね。
表現は違っても、人が心地よいと感じる瞬間には確かに「やさしさ」が存在していると思います。
突撃特攻服さん、女性の立場からいうと「やさしい人」というのは「良い人」というニュアンスの場合があるようです。
でも、その中には本当に「好き」という気持ちを持つ女性もいたかもしれませんね。
突撃で特攻服って、あまりにそのまんまのような・・・
改名にまで発展してしまったようで。。。
私にとって「やさしい」というのは少し特別な意味を持ちます。
私は以前、飲食店で社員として働いていました。アルバイトには高校生、大学生が多かったのですが、私は彼等とは、「社員とアルバイト」というよりは友達のように接していました。一線を引くということができていなかったのだと思います。そうすると、アルバイト同士の私語が多くなるんですね。私は私語が多いと注意をしていました。店長に、それではダメだ、もっと怒らないとだめだと言われました。
でも私は「怒る」ということができなかったのです。「注意する」ことはできるのですが、「怒る」ことはできませんでした。
見かねた店長は、私に、もう一人の社員だけに対してだけで良いので怒るように言いました。もう一人、社員がいて、その社員は私の母親ぐらいの年齢の女性でした。彼女は、怠けたりサボったりすることが多かったので、常に監視して、その社員だけに対してことあるごとに怒るように、ということでした。そうすればまわりのアルバイトも、「他の社員が怒られている」ことにより、気が引き締まる、と。
私は仕方なく、とにかくその社員を常に見て、なにかあるごとに大声で怒りました。確かにまわりのアルバイトの子たちはそれから、気が引き締まっていたようでした。
でも、私はというと、毎日大声で怒るということに精神的に疲れてしまっていました。結局、その社員を怒るということは1週間も続かず、また元のように戻ってしまいましたが、それからは店長は私に特に何も言うことはありませんでした。
ただ、その後は、店長は私のことを表現するのに「やさしい」という言葉を使っていました。
それ以来、私にとって「やさしい」という言葉は特別な意味を持つのです。
心に響くお話をどうもありがとうございます。
「厳しさ」」を伴った「やさしさ」を伝えるのは、難しいですね。
やさしさは、ややもすると「甘い」とも受け取られます。
本当のやさしさは、自分に厳しいものなのかもしれません。