Del Amanecer

スペインとフラメンコ、ビセンテ・アミーゴと映画とフィギュアスケートについて

ランビエールの「ポエタ」誕生の秘密

2008-04-10 00:55:44 | フィギュア・スケート
一つ前の記事にフィギュアスケートの雑誌のことを書いたけれど、その中に答えのヒントがあった。

そもそもなぜランビエールが「ポエタ」を選んだのか?っていうのが疑問だったのだけど、ランビエールが「ポエタ」を探してきたわけじゃなかったんだね。
ランビエールとポエタの出会いを演出したのはもちろん、プログラムを創り振り付けをしたアントニオ・ナハーロ氏だ。
私は彼のことが知りたかった。フラメンコの踊り手なのか?振付家なのか?
なぜランビエールと出会ったのか。

そこでこの雑誌「ワールド・フィギュアスケート」に載っていたアントニオ・ナハーロのインタビュー。
なんと彼はあのソルトレイク五輪の時のアニシナ&ペーゼラのフラメンコ・タンゴ・フラメンコのOD
(オリジナルダンス)を振付けた人だったのだ。
「なんとなくフラメンコ・テイスト」的な振り付けが多い中、アニシナとペーゼラのフラメンコは様になっていた。もちろん彼らはフラメンコの踊り手ではないけれど、フラメンコのアイレを身に纏って氷上でそれを表現できていたのだ。
あのODは今でも鮮やかに思い出せるほど魅力的で素晴らしかった。
金メダルをとったのもうなづける。
そんな彼らの出会いは、マドリーで彼のフラメンコを観たマリーナ(アニシナ)からのアプローチだったとか。



そして2006年のチャンピオンズアイスの時に彼に魅せられて興味を持ったステファンが彼に新しい
プログラムの振り付けを依頼してきて、ステファンの演技が大好きだったアントニオが快諾して・・・
とインタビューではそんなエピソードが語られている。
でもこれだけではなぜビセンテの「ポエタ」を選んだのかは分からない。
その秘密の鍵はインタビューで語られたアントニオの経歴の中にあった。



アントニオ・ナハーロはマドリードで生まれ、8歳でダンスを始め、王立コンセルバトワールを卒業した後にスペイン国立バレエ団に在籍していたと書いてある。
スペイン国立バレエ団なら私は来日公演はここ十数年ほとんどの公演を観ているから彼も観ているはずだ。そういえば彼の顔には見覚えがあるかも・・・。
2002年には自分のカンパニーを設立したと書かれているので、彼が国立バレエ団にいたのは、
もう少し前の時代か・・・。
2000年以前の公演のプログラムを探すとまず1998年のがみつかった。
そして、彼はその中にいた!コールド・バレエでプリンシパルではなかったけれど、確かに彼は来日メンバーのひとりだったのだ。
プログラムによると彼は1997年に国立バレエ団に入団したそうだ。



なんだか私は心が躍った。と、いうことは続く1999年にアイーダ・ゴメスが芸術監督だったこの時代、あの「ポエタ」が日本で初演された時の来日公演にも彼はメンバーだったのだろうか?
1999年のプログラムもあった。アントニオはソリストに昇格していた。
このときに演目のひとつがビセンテ・アミーゴの「ポエタ」だ。
そうか、アントニオは「ポエタ」を上演していたころ国立バレエ団で活躍していた人だったのね。
日本公演では2人の男性プリンシパルとしてではなかったけれど、ソリストとしてこの作品にも参加していたはずだ。99年の日本公演だけでも8回、そのほか世界各地で何度も「ポエタ」を上演しているはずなので、彼は実際にこの作品を踊ることでその魅力を深く感じて心に刻んでいたのだろう。
実際に彼は踊るだけでなく、国立バレエでも彼が振り付けをした作品が上演されて様々な賞にも
輝いているらしいので、その才能は踊りだけでなくすでに振り付けにも発揮されていたのだ。
(「ポエタ」の振り付けをしたのはビセンテの親友でもあるハビエル・ラトーレ)



「ポエタ」の初演は1998年12月15日マドリードのサルスエラ劇場。
このときはビセンテがギターを弾き、レオ・ブローウェル(ポエタのオーケストレーションをしたキューバの作曲家)が指揮をしたという。(なんという贅沢な~!)
ということはアントニオはビセンテその人とも会っているはずだよね。
きっとアントニオの心の中にはこの「ポエタ」が強く残っていて、今回ステファンからの依頼に、この曲に振付けてみようと思ったのではないかな。
この曲を「音楽」としてだけじゃなく、実際に舞台で踊っていたのだから。

アントニオの持つポエタのイメージとステファンのイメージがどこかで重なったのだろうか。
情熱的で切なくて美しく、印象的なこの曲はドラマチックでフィギュアスケートにもぴったりだ。
彼は選曲には迷いはなかったのだと思う。

かくして才能ある振付家でありバイラオールのアントニオとマリーナとの出会いがステファンとの
出会いをよび、国立バレエ団時代の記憶がこのプログラムを誕生させたのだ。

この不思議な連鎖。
かつて舞台で魅了してくれた人が、今度は氷の世界から私たちに熱い感動を届けてくれる。
私の好きな世界と好きな人たちがつながった。
最愛のビセンテのフラメンコ「ポエタ」が、たくさんの人の心に美しい記憶として刻まれたら幸せ。

そして肝心のステファンのこの「ポエタ」への想いについては、長くなったのでまた次の記事へ・・・。


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下の映像はアントニオ・ナハーロとランビエールの「ポエタ」メイキング映像です♪
アントニオはランビエールを親しみをこめて「ステファリン」と呼んでます。
マヌエルだったらマノリンとかマノリートとかディミヌティーボをつけて呼ぶのは愛称なんですよね。







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4 Comments

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そうです、コレです。 (Andrea)
2008-04-13 03:15:42
やっぱりビセンテ、“ステファリン”って言っていますよね。
・・・でも、その後のステファンの反応が素っ気無いので、もしかして愛称で呼ばれるのが気に入らないのかな、とか思っておりました。
この動画、独語、ステファンの仏語、ビセンテの西語と西語訛りの仏語とごっちゃなのが凄いです・・・。
結局、ビセンテのCDも例のフィギュアスケート雑誌も注文しちゃいました。
なんでまたこのシーズンオフにばたばたしているのかと我ながら自笑です・・・。
20日のJO観れる人はいいなぁ・・・。

留学記も読ませて頂きました。
臨場感溢れる文章、素晴らしいですね!
私も単身仏語短期留学に飛び込んだ経験がある(しかも大胆にもそれが仏語勉強の始まり)ので、
一層よく分かります。

では、また!
ステファリン! (Angelita)
2008-04-13 09:02:05
Andreaさん
今もう一回観ちゃいました。
うん、確かにステファリンと呼ばれたあとのステファンの反応は微妙ですねー。(笑)
アントニオがアブラッソしているのにあまり応えてないみたいだし。
滑走直後で息が上がって苦しかったのかな?
その後のインタビューがドイツ語なので何を話しているのか分からず気になります。

例のフラメンコ雑誌も注文されたのですね。
浴衣姿のステファンとインタビュー(他の人たちは浴衣でうれしそうにインタビューしているのにステちゃんだけ着替えているのはなぜ??笑)楽しんで下さいね。

JO行きたいですよね。
来週は夕方から約束があり、昼間も用事がありそうなので無理だよな~と思いつつ行きたいなぁと思っているのですが、もうチケットもないでしょうね。
行ったことないから勝手も分からないし。
昼夜両方見るとなると8時間ですもんね~。

ビセンテのポエタは波の音や詩の朗読が入っていてとても独創的で素敵ですよ。
全編アルベルティの詩ですが、ビセンテが自分の詩を歌っている曲もあります(君の心の海)。

留学記も読んで下さったのですね。
途中で終わっていて申し訳ないです。
あれから先を書くと微妙な部分(?)があることに気づき、う~んと考えているうちに時間がたってしまいました(笑)!
Andreaさんはフランスに留学されたのですね。
ゼロからのスタートとは凄いです。
私は3年も勉強していったのにあの有様でしたから~。
もう大昔なんですが、今の季節になるとなつかしくなります。


ポエタ (よのにょ)
2015-09-25 11:20:02
初めまして、こんにちわ。
 フィギュアスケートファンのよのにょといいます。
 ビセンテ・アミーゴが新進気鋭のギタリストだったころ、フラメンコを少し習っていました。
 こちらには現在行われているJGSの山本草太選手の使用曲について知りたくて調べているうちにたどり着きました。「ポエタ」と一口で言ってしまっているけど、「SEIMEI」と言っているようなものなのでしょうか。

 ナハロ氏とポエタのかかわり、大変興味深く読ませていただきました。ありがとうございました。
  
よのにょさんへ (Angelita)
2015-09-25 19:00:56
はじめまして。コメントありがとうございます。
ビセンテが新進気鋭の頃をご存じとは嬉しいです。
そしてフラメンコも踊ってらしたんですね。
私はギターから入ったフラメンコファンなんですよ。
ビセンテのファンになったのは1999年頃で、2000年の来日公演に初めて行きました。
でも観る専門ではありますが、バイレも好きで国立バレエ団の公演も数多く観てきました。

ポエタに関する記事は他にも幾つか書きましたが、ビセンテが1992年に発表して確かバルセロナオリンピックの開会式でも披露されたそうですね。でもレコード会社のソロのアルバムを優先の方針のためにCDのリリースはソロのセカンドアルバムよりあとになり、97年頃だったかと思います。
「陸の船乗りのための協奏曲」というサブタイトルがついています。
でもこのコンツェルトのタイトルが「POETA」なので、SEIMEIというタイトルの意味合いとは違い、曲のタイトルでよろしいかと思います。

ステファン以来、この曲を使用するスケーターも何人かいましたが、やはりアントニオ・ナハーロ振付のものにはかなわないように思います。
当時はアイスショーにもナハーロ氏が来てステファンと一緒に踊ったりしていました。なつかしいです。

草太君も衣装がステファンっぽくなったかなと思ったりしていますが、折角この曲を選んだのだしぜひとも頑張ってほしいですね!
シニアもいよいよシーズン開幕で、これからが楽しみです。

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