当クラブの小盛栄一コーチが茨城高校の先生になりました。
おめでとうございます。
新しい生活のスタート、まずは、ペースをつかんで慣れて下さいね。
2007年4月に阿見アスリートクラブ入社ですが、丁度、5年ですね。
実は小盛君が、最初にクラブに関わってくれたのは、2年前の2005年4月からなのです。
当時、大人の部をどうしていこうかと思い、考えていたときに・・・
香取コーチの息子さんの香取隆介君が、『監督、筑波大を卒業したら、阿見アスリートクラブで走っても良いですよ』といってくれました。その時に、もう一人速いのがいますからと、連れてきてくれたのが、小盛君でした。
まあ、宣伝にもなるし、良いかな位で受けたのですが・・・
忘れもしない、その年の茨城県選手権、私は、いつものように笠松へ、
サブトラックに行くと、香取君と小盛君が、ミズノのクラブジャージを着て、監督と・・・挨拶をしてくれたときのこと・・・
私の目がはっきり覚めたのです。
この若者2人が、やけにまぶしくて、クラブトップチームが見えた瞬間でした。
これで、阿見アスリートクラブの大人の部、全国大会が見えてきたぞと・・・
そして、その年に植竹万里絵さんを紹介してくれました。
クラブトップチーム戦略のスタートの構想が膨らんだのも彼がいたからこそです。
今年、高校を卒業したメンバー(康成、鐘平、瑞稀の世代が)が中学1年から2年になる時に、クラブの正職員になってもらい、選手とこの世代を育てるお兄さん的な存在のコーチとして、共に練習をしてもらいました。
小盛さん、小盛さんと、子供達に慕われて、相沢君を筆頭に当時、高校生だった、宏大、玄樹、佑介、康平、昇太、亮太などとも仲良くやってくれました。小盛さんすごい、小盛さん速いと・・・・
それは、それは、どれだけ助かったことか計りしれません。
選手としても、忘れられないのは、山形で行われた全日本実業団、400mH予選で、北京オリンピックブラジル代表になった杉町マハウ選手を350mまでおさえて先頭を走って、50秒台で走ったときの走り、私の脳裏に焼き付いています。
強かったな~~
忘れられませんね。
コーチとしても、当クラブ看板女子ハードル陣の瑞稀、美優、優希をしっかり育て、サポートしてくれました。
また、東京医大のバンビ健康教室でも運動指導者としても活躍してくれました。
阿見アスリートクラブにたくさんの功績を残して、今日、新しい環境に進んでいく小盛栄一君。
正直、とっても寂しいのですが・・
当時、海のものとも、山のものともわからない、阿見アスリートクラブの正職員になってくれたこと、その決断が、本当に嬉しかった。経営者としての私の自覚をどれだけ高められたことか・・・
そんな、人だから・・・
今回、本人も臨み通りに、高校の先生になれたことは、本当に良かったと思います。
阿見アスリートクラブで得た経験が、これからの人生に役に立つことをお祈り致します。
小盛栄一君 ありがとう。
おめでとうございます。
新しい生活のスタート、まずは、ペースをつかんで慣れて下さいね。
2007年4月に阿見アスリートクラブ入社ですが、丁度、5年ですね。
実は小盛君が、最初にクラブに関わってくれたのは、2年前の2005年4月からなのです。
当時、大人の部をどうしていこうかと思い、考えていたときに・・・
香取コーチの息子さんの香取隆介君が、『監督、筑波大を卒業したら、阿見アスリートクラブで走っても良いですよ』といってくれました。その時に、もう一人速いのがいますからと、連れてきてくれたのが、小盛君でした。
まあ、宣伝にもなるし、良いかな位で受けたのですが・・・
忘れもしない、その年の茨城県選手権、私は、いつものように笠松へ、
サブトラックに行くと、香取君と小盛君が、ミズノのクラブジャージを着て、監督と・・・挨拶をしてくれたときのこと・・・
私の目がはっきり覚めたのです。
この若者2人が、やけにまぶしくて、クラブトップチームが見えた瞬間でした。
これで、阿見アスリートクラブの大人の部、全国大会が見えてきたぞと・・・
そして、その年に植竹万里絵さんを紹介してくれました。
クラブトップチーム戦略のスタートの構想が膨らんだのも彼がいたからこそです。
今年、高校を卒業したメンバー(康成、鐘平、瑞稀の世代が)が中学1年から2年になる時に、クラブの正職員になってもらい、選手とこの世代を育てるお兄さん的な存在のコーチとして、共に練習をしてもらいました。
小盛さん、小盛さんと、子供達に慕われて、相沢君を筆頭に当時、高校生だった、宏大、玄樹、佑介、康平、昇太、亮太などとも仲良くやってくれました。小盛さんすごい、小盛さん速いと・・・・
それは、それは、どれだけ助かったことか計りしれません。
選手としても、忘れられないのは、山形で行われた全日本実業団、400mH予選で、北京オリンピックブラジル代表になった杉町マハウ選手を350mまでおさえて先頭を走って、50秒台で走ったときの走り、私の脳裏に焼き付いています。
強かったな~~
忘れられませんね。
コーチとしても、当クラブ看板女子ハードル陣の瑞稀、美優、優希をしっかり育て、サポートしてくれました。
また、東京医大のバンビ健康教室でも運動指導者としても活躍してくれました。
阿見アスリートクラブにたくさんの功績を残して、今日、新しい環境に進んでいく小盛栄一君。
正直、とっても寂しいのですが・・
当時、海のものとも、山のものともわからない、阿見アスリートクラブの正職員になってくれたこと、その決断が、本当に嬉しかった。経営者としての私の自覚をどれだけ高められたことか・・・
そんな、人だから・・・
今回、本人も臨み通りに、高校の先生になれたことは、本当に良かったと思います。
阿見アスリートクラブで得た経験が、これからの人生に役に立つことをお祈り致します。
小盛栄一君 ありがとう。