京都の商店街レポート第7弾。まだまだネタはございます~。
過去については、(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)となります
今回紹介するのは、みなさんご存じの祇園新橋です。代表的な繁華街及び歓楽街として有名です。 しかし、北部の新橋通から白川沿いの地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているんですよ。
【この風景は有名ですよね~】
縄手通りにある祇園縄手繁栄会からみた、白川南通り側の祇園新橋です。
左の木は桜です(取材当時は冬でして…)。満開の時期は最高ですね
【桜は右側、柳の木が左側に植えてあるんです】
この白川南通り、桜の時期に京都商工会議所等の支援を受けて、祇園白川宵桜ライトアップ事業を実施しているんですよ~。
他の祇園の道に比べて随分と広いんですが、実は第2次世界大戦において強制疎開があったためだそうです。
【撮影ポイントとしても有名な巽橋です】
左に曲がると四条通に出るんですが、その途中にあるのが切り通しと呼ばれる、非常に狭い石畳の通りがあります。
【ちゃんと、説明版(英語表記も)がありますよ】
歌人・劇作家として知られる吉井勇は京都を愛し、昭和13年から昭和35年に亡くなるまで京都で暮らしいたそうです。
この間、都おどりの復興など祇園のために力を尽くしたのです。
【こちらが、新橋通です】
白川南通りと違って両側に伝統的な建物が並び、昔ながらのお茶屋街らしい風情を保っています。
でも、長い間努力と工夫によって町並みが保たれているのは、ホントすごいですよねー
【紅柄格子のお茶屋が軒を連らねていますね】
一階に格子をつけ、二階は座敷となって正面に縁を張り出して「すだれ」を掛けているんです。
桜の開花時、この通りは花灯路を実施して、幻想的な風景を醸し出しているんです
【夜の雰囲気もきっと風情があるんでしょうね】
このへんのお茶屋は、当然高すぎて利用する機会はないでしょうね(個人的に)。
いかがでしたか 今回は、茶屋町として洗練された景観を残す通りでした~(次回最終回)
過去については、(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)となります
今回紹介するのは、みなさんご存じの祇園新橋です。代表的な繁華街及び歓楽街として有名です。 しかし、北部の新橋通から白川沿いの地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているんですよ。
【この風景は有名ですよね~】
縄手通りにある祇園縄手繁栄会からみた、白川南通り側の祇園新橋です。
左の木は桜です(取材当時は冬でして…)。満開の時期は最高ですね
【桜は右側、柳の木が左側に植えてあるんです】
この白川南通り、桜の時期に京都商工会議所等の支援を受けて、祇園白川宵桜ライトアップ事業を実施しているんですよ~。
他の祇園の道に比べて随分と広いんですが、実は第2次世界大戦において強制疎開があったためだそうです。
【撮影ポイントとしても有名な巽橋です】
左に曲がると四条通に出るんですが、その途中にあるのが切り通しと呼ばれる、非常に狭い石畳の通りがあります。
【ちゃんと、説明版(英語表記も)がありますよ】
歌人・劇作家として知られる吉井勇は京都を愛し、昭和13年から昭和35年に亡くなるまで京都で暮らしいたそうです。
この間、都おどりの復興など祇園のために力を尽くしたのです。
【こちらが、新橋通です】
白川南通りと違って両側に伝統的な建物が並び、昔ながらのお茶屋街らしい風情を保っています。
でも、長い間努力と工夫によって町並みが保たれているのは、ホントすごいですよねー
【紅柄格子のお茶屋が軒を連らねていますね】
一階に格子をつけ、二階は座敷となって正面に縁を張り出して「すだれ」を掛けているんです。
桜の開花時、この通りは花灯路を実施して、幻想的な風景を醸し出しているんです
【夜の雰囲気もきっと風情があるんでしょうね】
このへんのお茶屋は、当然高すぎて利用する機会はないでしょうね(個人的に)。
いかがでしたか 今回は、茶屋町として洗練された景観を残す通りでした~(次回最終回)