愛馬はアメリカンⅡ

休みの前は天気予報とにらめっこ!晴れたら良いのに…

愛南ツー石垣の里&紫電改編

2011-10-13 | ツーリング
高茂岬からの帰りに、気になっていた外泊・石垣の里に寄った

道越鼻の石垣は季節風から集落を守るために、海上にも石を積んだ


17歳の七蔵さんが築いた七蔵垣付近  どれかようわからん!  


空き地の木の向こう側にある石垣の窪みが、遠見の窓

家の中から、こんな感じで海の様子を見るために、石垣の一部を窪ませていた


その後、紫電改展示館にも寄ってみた。入館無料やし!

以前は駐車場から1km以上も歩かされたが、今は車が横付け可能になっていた

紫電改は、この石碑奥の久良湾の海底から昭和54年7月14日に引き揚げられた


ぼろぼろで痛々しい紫電改だが、日本には、この一機しか無い

同機は三四三航空隊に所属、昭和20年7月24日に大村基地を飛び立ち

豊後水道上空で米軍機と交戦し未帰還となった六機のうちの一機と見られる。 

この日、土佐沖に進攻してきた米機動部隊から戦爆連合約500機が呉・広島方面に

来襲、これを迎撃するため鴛淵大尉率いる紫電改21機が大村基地から発進した。

宇和島上空で三倍の敵と交戦し、わずか10分足らずで16機を撃墜したが、

しかし紫電改も6機が未帰還となった。
(青字部分はネットより引用)

500機の中には爆撃機が含まれているので、何機の戦闘機と戦ったのか?

3倍以上の敵機と交戦したとあるので、70機ぐらいかも…

アメリカには、最低でも2機以上の紫電改が、きれいなまま残っている

一機だけでも、返してもらえんかい?



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コメント (2)
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