ハリスに仕えた「お吉」は有名ですが、同時期 雇われた二人の少年(村山滝蔵と西山助蔵)を知る人は少ないと思います。
滝蔵(14歳)・助蔵(13歳)は、下田を開港するにあたって中村(現 下田市 中)に奉行所が設けられため、その土地の農民の子が足軽として雇用されていたところ、ハリスの要求により滝蔵はハリス,助蔵はヒュースケン担当の給仕として働くことになり、その後二人はハリスの江戸出府に同行。また開港場が神奈川に代わり江戸善福寺の公使館が開かれたおり、途中二か月間の上海・香港の旅に同行したり五年九ヶ月間仕えたのでした。
ハリスの帰国後はさらに公使館で働いたのですが1865年ブリューイン公使が帰国のおり、滝蔵はアメリカに、助蔵は長男だったため下田に29歳で帰って来ました。この分岐点から一方は開けた外国へ、そして一方は故郷で農業をとなるのでしょうか?
肥田実氏著「幕末開港の町 下田」によりますと滝蔵は公使館勤めの後、大連にわたり貿易商となり76歳で死去。助蔵は農業は不向きと悟り山仕事のおり78歳で死去したという事です。
それにしても天候が良かったら、地図読み訓練に行こうとした山仕事で助蔵が歩いたと思われる山。
そして玉泉寺の「ハリス記念館」へ(入館料400円)
館内は撮影禁止ですが村山滝蔵・西山助蔵のコーナーも
そして米国人やロシア人水兵の墓とお地蔵さんを廻って・・・
滝蔵はどんな後半生を?また助蔵は炭焼きや山菜や薬草・キノコそして薪など採って暮らしていたのでしょうか?
検証は郷土史家やこちらの方々に任せましょう。