入園料は下田市民は半額¥500、ランチはスパイシーカレー(ナン・ソフトクリーム付) ¥880でした。
富貴野 山頂にある曹洞宗富貴野山宝蔵院は、大同3年空海(弘法大師)が密教の霊場として開いたと知られている。
8/11より長期にわたり日本列島に横たわり、各地で甚大な被害を引き起こしている秋雨前線。
遠出は止め隣町の古刹へ石仏群を撮りに、、
境内の樹令400年と推定される南伊豆最大のスギ(周囲6.5m、高さ34m)
伊豆の偉人・依田勉三を題材にした小説が出た。乃南アサ著「チーム・オベリベリ」
「明治十六年、英学塾の学友だった依田勉三・鈴木銃太郎・渡辺勝の三人は北海道開拓を決意、「晩成社」を立ち上げて同志を募り、十勝の原野に入植。彼らが選んだ地はアイヌの言葉でオベリベリ(帯広)。そんな開拓の最初の七年間を、鈴木の妹であり渡辺の妻である渡辺カネの目から描いた小説。
十五年で三千万坪を切り拓(ひら)く予定だったが、厳しい自然やバッタの害などで開墾は遅々として進まない。女性を含めて三十名いた開拓団も脱落者が相次ぎ、どんどん減っていく。
依田勉三は偉人ではなく、開拓の苦労をしない育ちの良い開拓より事業をやりたい人間と良くは書かれていない。実際にも亜麻栽培・牛肉販売・再材工場・水田開発・酪農・バター練乳の製造販売・薄板製造・椎茸栽培・缶詰製造・い草栽培などに乗り出すが結局ことごとく失敗する。がしかしその開拓の志が今の帯広の礎になった。
そして渡辺勝・大正十一年 六十七歳で死去、依田勉三・大正十四年 七十二歳、鈴木銃太郎は大正十五年 七十歳で死去。」
そんな勉三のふるさと松崎を、改めた訪れてみた。
道の駅「三聖苑」にある依田佐二平・勉三の展示館
そして有料施設だったが町営になり無料になった旧依田邸も見学
ゆったり、安らぎのひと時を過ごせます。
帯広の歴史も学ぼう。https://www.city.obihiro.hokkaido.jp/seisakusuisinbu/kouhoukouchouka/shishi_03.html
そしてネットで拾った忠別湖からの旭岳
十勝の雄大な自然に主人公・渡辺カネは癒されたであろうか。昭和二〇年八十六歳で死去するまで、六人の子に恵まれ帯広の誕生と発展をつぶさに見つづけ、晩年になっても人に教え、信仰を伝えつづけた。
晩成社は昭和七年に土地を小作人に開放するなどし解散、五〇年の歴史に幕を下ろした。
何時の間にか日の出時間は5時を過ぎている。
下田湾
ペリー艦隊上陸記念碑
ニューポート市から寄贈された道路標識
そして、そばにある地蔵二体。子供の供養? 思わず合掌。 じっくりを謂れを調べたい。
コロナ、大雨、猛暑、良い事が無いこの夏。 お盆休み、今年は祭り中止で粛々と仕事だ。
伊豆の国市・韮山と言えば世界遺産の韮山反射炉や江川邸が有名ですが、国道414号の西側には、
北条政子産湯の井戸など、歴史の教科書に出てくる人物由来のスポットが多く点在していて、そこは「行ってないな」と
先ずは北条政子産湯の井戸
その後地図を頼りに
伝掘御所跡は、足利将軍に対抗するため伝掘公方の住んでいた館の跡。
また1493年、北条早雲が討ち入り襲撃。戦国時代関東で北条が台頭する先駆けとなったそう。
北条氏邸跡・円成寺跡
ここにも北条氏滅亡や、その後移り住んだ円城尼や一族の女性たちのドラマ
https://tripnote.jp/izu/nirayama-hojyonosato
もっと廻りたかったが、買い物ついで暑さと連れに足を引っ張られ触りだけで撤収でした。
いい国作ろう(1192年)頼朝。基本は、御家人の「忠誠と奉公」、御家人に対する「所領安堵」と「新恩の支給」
しかし、鎌倉時代の後半になると、元寇の恩賞に関する問題等が発生し、御家人は困窮。
幕府は徳政令(永仁の徳政令)を出すなどして御家人救済に努めたが解決には至らず、各地で悪党と呼ばれる者が活動を始め、幕府と御家人との信頼関係も薄いものとなっていった。
そんな中、天皇親政を志す後醍醐天皇が即位し、時代が大きく動き始める。
足利高氏らが六波羅探題を落とした翌日の1333年(元弘3年)5月8日、上野国生品神社で新田義貞が挙兵。
小手指原の戦い、久米川の戦い、分倍河原の戦いで北条軍を破り、鎌倉を巨福呂坂、仮粧坂、極楽寺切通の三方から攻めた。
そして、5月21日、稲村ヶ崎から鎌倉への突入に成功する。この攻撃で得宗・北条高時をはじめとする北条一族は、5月22日、東勝寺で自刃、
鎌倉幕府滅亡の歴史を復習となりました。
県境ではないので良いだろうと、天城越えでドライブ&買い物へ
新緑のR414 、車は少ない。
しかし途中に寄ったホームセンターと衣料チェーン店では、マスク着用・手の消毒・ソーシャルディスタンス、
さらに体温測定までする厳しさ。開店時間を遅らせ閉店も早める時短営業も、かえって密になる要因と感じました。
買い物する事がこんなにも息苦しいとは思いも知らず、、、近場で良かったと反省。
一方、 道の駅「伊豆のへそ」 の駐車場は空いていて観光客の姿は無し
(浄蓮の滝駐車場や、道の駅「天城越え」は未だ封鎖中でした。)
しかし野菜は豊富で安い、しこたま仕入れて参りました。
そしてランチ。 これで魚河岸寿司、、、普段よりお客さんが少ない感じ、
月火限定メニュー税別で920円(寿司・そば・揚げたて天丼・大根サラダ・御新香・アオサの味噌汁付き)
どこもこのコロナウィルス禍で、デリバリー・テイクアウト後の生き残り作戦を考えていると感じ、SCに寄って帰宅と。
ホームセンターと精米に行ったついで、不要な寄り道(-_-;)
2017.4
最初、独り者だったお兄さんでしたが
2018.4
一昨年、結婚し幸せそう
昨年は子供も生まれましたが、、、
2019.4
奥さんが家出・・・
で今年は? と 行って見ると、
2020.4
帰って来ました。
「お帰り。」と喜ぶ子供がカワイイ。
そして田んぼの案山子を廻り
大沢温泉の桜に寄り、至急に帰宅でした。
今回のコロナウィルス禍から自分本位の国・おとしめようとする国・見下す国とか色々伝わってきます。
そして、三蜜・クラスター・オーバーシュート・パンデミック・ロックダウンなどの新用語、大型ホテルの一時休館や当店も売り上げ半減など。
GWまでには落ち着けばいいのですが・・・。