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ソーシャル・ネットワーク

2011-01-28 09:05:46 | DRAMA
『ファイト・クラブ』、『ベンジャミン・バトン 数奇な運命』のデヴィッド・フィンチャー監督作品。

キャスト:ジェシー・アイゼンバーグ、アンドリュー・ガーフィールド、ジャスティン・ティンバーレイク

ストーリー:2003年。ハーバード大の二年生マーク(J・アイゼンバーグ)は恋人のエリカと口論に陥っていた。その場で関係を終わりにした二人だったが、激しく憤ったマークはブログに彼女の悪口を書き、ふと「学内の女性の顔ランキングを付けるwebサイト」というアイディアを思いつく。<フェイスマッシュ>と名付けられたそのサイトは大きな反響を呼び、後に<フェイスブック>となり世界中を席巻するが―。

2011年度ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞、脚本賞、音楽賞、受賞。同年のアカデミー賞も本命の本作。
わざわざ私が良いとか悪いとかいう前に歴史に名を刻む作品であることは間違いありません。先日、劇場で観てきましたが勿論素晴らしい出来栄えだと思いました。
観賞層(普段映画を見に行かない、ネット関係者が多いように見受けます)のためか、事実と違う!とか主人公のやり方が気にいらん!という感想もチラホラ耳にしますが、映画は創作物ですので、注視するポイントを誤っています。ってかそんな感想で、この映画の評判落とすの止めて下さい。

【天才の能力と孤独】
 監督のD・フィンチャーは「どうして、俺は今ここにいるのか?その意味は?」というこことを映画にしていると公言しています。彼のフィルモグラフィーを見る限り『パニックルーム』以外は全て、人の生きる意味を考えさせる物語を展開しています。本作は巨額の富を手に入れた天才が本当に欲しかったものは何なのか?という話です。実にクラシックなテーマで、同じようなテーマとしては『市民ケーン』や『アビエイター』がすぐに頭に浮かびます。
 主人公のマーク(J・アイゼンバーグ)は天才。ハイスクールのテストでは満点を取ることが出来、ハーバードの講義で皆が俯いてしまう難問もスンナリ解いてしまう。しかし、彼は子どものような性格で、人の心を汲み取ってあげるような言い方や行動が出来ず、またそれを開き直る強さも持ち合わせていない。マークは冒頭の恋人との会話で「君は二流大学に通っているから勉強する必要はない」などと口走ってしまう(マークの発言は嫌味ではなく事実を言っているだけ)。

恋人は当然怒り狂い「あなたが人から好かれないのはオタクだからじゃない。性格が最低だから(you are ass hole!!)なのよ!」と言って去ってしまう。取り残されたマークがカメラに映る。明らかに傷ついている。
 マークはこの体験からフェイスブック開発の糸口を見つけ、友人とエドアルド(A・ガーフィルド)と共にフェイスブックでムーブメントを起こしていこうとするが、ムーブが大きくなればなるほど二人の間に亀裂が入っていく。そして、ついに<フェイスブック>のユーザーが100万人を超えた瞬間、二人の友情は終わる(マークがエドアルドと開けるつもりだった二本のシャンパンが泣ける。自分の分の他には一本しか用意してないシャンパンがマークにとってエドアルドが特別な人物であることを印象付ける)。
 物語はマークがエドアルド(とウィンクルボス兄弟)に訴えられる時系列から回想方式で語られる。この物語はマークがいかにして友人を失っていったかという苦い青春劇なのです。


【既存の権威への挑戦】
 この映画ではハーバードのファイナルクラブが権威の象徴として描かれています。ファイナルクラブとは平たくいって社交クラブのことで、入会が特に難しいものから最も簡単なものまで8つのクラブがあります。入会には数度に渡りテストがあり、ファイナルクラブで構築出来るコネ、社会ステータスから得られる恩恵は計り知れないほどです。
 冒頭の恋人との会話でマークは何か特別な存在になりたいことを示します。その中の一つとしてファイナルクラブへの入会を考えていました。しかし、ファイナルクラブ入会の第一関門「招待状が送られる」ことは彼にはありませんでした(彼が超天才プログラマーであるにも関わらず)。彼は確かな能力を持ちながらも、旧来の権力機構からは認められない存在なのです。この能力がありながらもコミュニティーに属することの出来ない不満、怒りが彼のエネルギーの原動力として描かれています。
 そして皮肉にも、最も入会が難しいクラブ<フェニックス>から「招待状」が送られたのは友人のエドアルド。エドアルドはマークにとって唯一の友人でありながら、憎むべき権力の下へと進みつつある立ち位置の危ういキャラクターなのです。さらに明白にファイナルクラブの権威性を引き受けたキャラクターはウィンクルボス兄弟。親は資産家、イケメン、彼女持ち、ボートの国体選手、ファイナルクラブメンバー。ウィンクルボス兄弟はフェイスブックの原案になる<ハーバード・ネット>のアイディアをマークに持ちかけるも結局、お互いが組み合うことはなく、兄弟は<フェイスブック>が<ハーバード・ネット>のアイディアを盗用したものとしてマークを訴えます(劇中ではマークが彼らのアイディアを盗んだかどうかは曖昧にしています)。当然、マークとウィンクルボス兄弟の対立も権力との対立として描かれます。


【ショーン・パーカ=タイラー・ダーデン】
 物語中で明らかに異彩を放つキャラクターがいます。中盤から登場する人物、ナップスターの創始者ショーン(J・ティンバーレイク)です。彼は物語で唯一マークに憧れを抱かせることに成功します。彼がいずれの権力に与せず自由に振舞っていること、またゼロから築き上げたナップスターというwebサービスが世界に影響を与えたことが魅力に繋がっていることは言わずもがなです。
 ショーンは言わば、マークの願望そのものといえます。実はこういったキャラクターはD・フィンチャー監督の過去作『ファイト・クラブ』にも姿を現わしています。タイラー・ダーデンです。
『ファイト・クラブ』がどういう話だったのか少し記載します。消費社会の中で生きる意味を見失ってしまった主人公が、タイラーという超反社会的な人物に心を奪われる。ところが蓋を開けてみるとタイラーは主人公自身であり幻だった。最後に主人公は幻と決別して新しい価値観に気付く。という話でした。
 この構図は丸ごとこの『ソーシャル・ネットワーク』に当てはめることが可能です。
 マークは前述したようにショーンに心酔していますが、ショーンは終盤にとある出来事からマークの下から去ってしまいます。これはただ単に去ったというよりかは決別として描かれています。根拠としては二つ。直前にエドアルドへの接し方について二人で口論している点。二つ目はショーンが去った後、マークは自分の名刺の裏に書かれた「俺が社長だ!文句あるか!」という文字を見てやり切れない表情を浮かべる点です(この文言はショーンの提案で入れたもの。既存の権力に対して「俺はやってやった」という一つの着地点の象徴)。
 ショーンがマークの下を去った後、マークも『ファイト・クラブ』の主人公と同様に新たな価値観に気付きます。それは次の項に書きます。


【ヴィクトリアズ・シークレットの話とラストシーン】
 ラストシーンに関しては劇中でハッキリと前振りされています。フェイスブックの成功がかなり確かになり、クラブでマークとショーンが会話する一幕がそれに当たります。

ショーンはヴィクトリアズ・シークレット社、創業の話をします。
内容はロイ・レイモンドという男が妻に下着を買おうとしたことをキッカケにビジネスを起こし、4百万ドルで会社を売却したものの、2年後に会社の収益が5億ドルに至っているのを知り、自殺してしまうという話。ショーンは最後に「彼は妻に下着を買おうとしただけなのに」と話を結びます。
 この話が使われたのは、マークのラストの行動の説明になっているためです。マークは<ファイスブック>で世界を席巻したけど、本当は何がしたかったのか?
 全ての友達をなくし、弁護士に過去を洗いざらい話したマークは新米の弁護士に「あなたは悪い人じゃない(you are not ass hole)」と声を掛けられます。ハッとするマーク。彼は一人<フェイスブック>を開く―そこに映るのは冒頭の恋人エリカ。彼は少し迷いながらも、「友達申請」を送る。そして、返事が来ないか何度も何度も何度も「更新」ボタンを押してチェックする。
 彼が物語で最後に気付いたのは、本当に欲しかったのは、友達だと分かる。

ラストシーンでかかる曲はビートルズの『Baby you’re rich man』
大事なので歌詞の意味を記載します(ちょっと意訳してます)

 どんなんだと思う?金持ちの仲間入りした気分って
 気付いたでしょう?自分が何者か
 それで、どうなりたい?
 遠くまで旅してきた?その目が届く限り
 どんなんだと思う?金持ちの仲間入りした気分って
 そこにはよく行くのかい?色んなことが分かるぐらい
 そこで何を見てきた?見えないものは何もなかった?
 ベイビー 君は金持ち ベイビー 君は金持ち
 ベイビー 君はついに金持ち


【最後に】
 こうした「何もかもを手にいれたかに見える人物が本当に欲しかったもの」というテーマは既に多くの作品で語られています。しかし、この『ソーシャル・ネットワーク』がそれまでの作品と決定的に異なる点があります。重さです。
 過去作においてこのテーマを取り扱ったものは総じて、長尺であったり、もしくは作品そのものの纏う雰囲気が重くなりがちでした。『ソーシャル・ネットワーク』は上映時間120分。このテの作品にしては短い。更に軽快なテンポとトレント・レズナーが作曲した電子的ナンバーに彩られて全く重みを感じさせることがありません。それでいて、映像に詰め込まれた情報量はとても多いので薄いという印象も与えません。これがこの作品の凄まじいところです。この効果を成した脚本家のアーロン・ソーキンは今年のアカデミーに輝くでしょう。
 アカデミーでは『英国王のスピーチ』と作品賞を競っていますが、どちらの作品も後世に語り継がれる名作であることは間違いないと思います。


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