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プロコフィエフの名演奏を求めて(2) ピアノ協奏曲第3番

2016年12月08日 | 名演奏を聴いて思ったこと


 (つづき)
 プロコフィエフは交響曲を7曲書きましたが、それ以上に面白いのはピアノ協奏曲・ヴァイオリン協奏曲だと思います。交響曲以上に劇的で、場面の転換がはっきりしているからです。
 ピアノ協奏曲は全部で5曲あります。どの曲も、最初の1分を聴いただけでプロコフィエフと分かる個性を持っています。
 左手だけで演奏されるために書かれた”4番”は、同じ「左手のため~」でもラヴェルのそれより立体感を感じ、左手だけで演奏されているとは到底思えません。
 全然違う色紙を、1枚の模造紙に貼り付けて無理につなげたような1番も面白いですが、最高傑作は2番か3番のどちらかだと思います。
 2番では”ト短調”の枠の中から抜け出そうとして逡巡し、最高に振幅の広いクライマックスを聴かせます。3番では、プロコフィエフの個性が新しく明るいステージを得て、軽妙な音楽へ昇華しています。
 2曲の間には凄い変化があり、同じスタイルでも一気にバージョン・アップしているのが分かります。そして、バージョン・アップした後のプロコフィエフも、する前のプロコフィエフも、同じくらい魅力的です。

 プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調
 ◆フランソワ(ピアノ) ロヴィツキ(指揮)~フィルハーモニア管弦楽団(EMI TOCE11338)

 第3番では、フランスの名ピアニスト・フランソワが最高に洒落たプロコフィエフを聴かせてくれます。クリュイタンス指揮の旧盤(EMI)も聴きましたが、こちらの方が録音も演奏も優れていると思います。

 第一楽章、イントロの、クラリネットのメロディーからして、何の屈託もありません。録音の現場にいる誰もが、きっちりまとめようとは思っていなかったでしょう。何にも縛られない自由さが演奏全体を貫いています。しかも崩れていません。
 (0:42)~わりあいにゆっくり始まります。(0:49)フランソワのピアノもゆったり始まります。1963年の録音なのでクリアな音色ではありませんが、色で例えるなら青か緑か、その間の色です。ちょうど、この水面のように。


 カラフルなタッチはフランソワ以外のなにものでもありません。フランソワらしさが一番出た演奏だと思います。
 (1:38)~一連のクライマックスは、第一楽章最高の聴かせどころでしょう。ピッコロが同じ音を、念押しするように繰り返すところは、”さあ、これから難しいところに入るぞ”と言いながら吹いているようです。
 (2:02)地の底まで鳴り響くフォルティッシモ!これだから遅いテンポが生きます。どこにも無理な力が入っていない音です。渾身の力で弾いたというより、ただ何の遠慮もせずに弾いたらこうなっただけなのでしょう。
 (2:29)締めくくりを弱くせずにしっかりと聴かせる弾き方が大好きです。他のピアニストもみんなこうやって弾いてくれればよいのに!
 (7:21)鍵盤の上にキャンディーが雨粒のように降って、音が鳴っているような愉しさ!
 ピアノも、ピッチカートも、ピッコロも全部愉しいです。
 (8:29)遠慮のないフォルティッシモがまた現れます。今度は完全に不協和音だからなおさらです。一度こんな音を自分でも出してみたいものです。作曲家もピアニストも一切遠慮なく個性的です。


 第二楽章・第三楽章に入っても、自由な音楽はとどまるところを知りません。
 第二楽章(2:41)~3拍子の音楽が、一切うるさくなく軽妙に流れていくのがすごいです。すごく上手くなければ、こんな風に弾くことはできません。
 第三楽章では、遠慮しないフォルティッシモが最初から出てきます。(0:47)で、それまで早めだったテンポをいきなり落とすところも、思い切りがいいです。
 (3:33)思索にふけるゆったりとしたピアノの音。(3:38)微妙にアクセントが付けられているところが深いです。
 (7:01)霧が晴れて大きな伽藍が姿を現すような立派さ。(7:21)今度は力の入った、渾身のフォルティッシモ!最高の盛り上がりです。
 華麗なグリッサンドの後、(8:57)で一度テンポをゆっくりにするところは、この弾き方しかないと思わせます。最高に素朴で、最高に力強く、最高に洗練された音楽がここにはあります。
 最後は一番高い「ド」の音で締めくくられます。ピアノの一番右端にある鍵盤です。ここを使う曲は極めて少ないです。しかもそれが強烈な連打です。
 華やかな超絶技巧が極まったフィナーレです。終結のテクニックの凄まじさでは、◆アシュケナージ(ピアノ) プレヴィン~ロンドン交響楽団(DECCA 452 588-2)が、フランソワをさらに上回っています。
 連続して奏される和音がとんでもない高速で、しかも全部くっきり、均等に鳴り響く様は人間業を通り越し、唖然とするほかありません。
 
 モーツァルトも、ベートーヴェンも見つけられなかった音楽の愉しさが、ここにはいっぱいつまっています。
 
 (つづく)



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