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ホロヴィッツの名演(2) 1953.2.25~Silver Jubilee Recital

2021年05月22日 | 名演奏を聴いて思ったこと


 (つづき)

 ”VLADIMIR HOROWITZ - live at CARNEGIE HALL"は、世紀の大ピアニストの、カーネギー・ホールにおけるライヴ録音の集大成です。収められたCDは41枚に及びます。 
 アンコールも含めて、日ごとの演奏会が丸ごと収められている素晴らしい企画です。コンサートの断片ではなくすべてを通して聴くことで、1回限りの演奏会の、カーネギー・ホールで開かれたホロヴィッツの演奏会の一端を知ることができるのです。


■1953年2月25日 ~ Silver Jubilee Recital(”VLADIMIR HOROWITZ - live at CARNEGIE HALL"(Sony)より)
 ・ブラームス   ラプソディ 変ホ長調
 ・シューベルト  ピアノ・ソナタ第21番
 ・ショパン    夜想曲第19番
          スケルツォ第1番
 ・スクリャービン ピアノ・ソナタ第9番「黒ミサ」
          練習曲変ロ短調 作品8-11
          練習曲嬰ハ短調 作品42-5
 ・ドビュッシー  「子供の領分」から、第5曲「小さな羊飼い」・第3番「人形へのセレナード」
 ・リスト     ハンガリー狂詩曲第2番(ホロヴィッツ編曲)
 (アンコール) 
  ・ショパン    ワルツ第3番「華麗なる円舞曲」
 ・クレメンティ  ピアノ・ソナタ変ロ長調 作品24-2から、第三楽章
 ・プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」から、第三楽章

 1953年2月、アメリカ・デビュー25周年を記念した演奏会でした。この後、1965年まで12年もの間、ホロヴィッツは演奏会から遠ざかることになります。
 CDの解説には、演奏会を知らせるポスターも載っています。その日付は2月25日と3月23日、時間はどちらも夜8時半からです。日付の下には”BOTH RECITALS SOLD OUT”とあります。3月23日の方は結局キャンセルされたのでしょうか?
 そして12年ぶりに開かれた1965年5月9日の演奏会は、”ヒストリック・リターン”としてあまりにも有名ですが、知名度では及ばない”Silver Jubilee Recital”の方が名演奏の数は多いと思いました。

 ブラームスは和音に迫力があり過ぎ、自分には明る過ぎました。シューベルトのソナタは、ピアニストの心の闘いのような音楽に変わっており、深遠さがなくなっていました。
 この2曲は違和感がありましたが、その後はショパンから最後のリストまですべて名演だと思いました。
 最も素晴らしいのがスクリャービンの練習曲(作品42-5)です。同じ練習曲でもショパンのそれ以上に複雑な楽譜を解き明かすように、1つ1つの音はくっきり弾かれていますが、それでいて曲の「混沌」が見事に表現されています。
 最初から最後まで緊迫した雰囲気が流れ、混沌の中に憧れのあるメロディーの(0:58)、戦慄の走るフォルティッシモ(1:28~)、本当に消え入るような終結の和音、これぞスクリャービンの最高傑作だと思わせる名演中の名演です。
 もう一つの練習曲(作品8-11)は、鍵盤が自ら語り出すような空気が流れ、彽徊しつつ刻印を残す左手(3:00)も印象に残ります。
 2曲の練習曲は、1枚物の「ホロヴィッツ・プレイズ・スクリアビン」(RCA BVCC-5122)でも聴くことができます。音質はほとんど同じでしたが、「プレイズ・スクリアビン」の方が僅かに残響が多いようでした。
 ピアノソナタ「黒ミサ」は難解な音楽だと思いましたが、冒頭の静けさ、ただならぬ雰囲気だけでも価値があります。
 ホロヴィッツに興味を持たなければ、スクリャービンのことも知らないままだったと思います。


 スクリャービンの次はショパンで、夜想曲19番は単純なメロディーがホロヴィッツの手によってスケールの大きな曲に変わっているのが分かり、最弱音には1つ1つすべてに悲愴感があります。
 スケルツォ第1番は、張り詰めた雰囲気に超絶技巧が折り重なり、とどまることを知らない猛烈なスピードに唖然とします。聴衆は度肝を抜かれたからか、演奏後の拍手はかえって控え目な気がします。
 2曲のドビュッシーでは、「小さな羊飼い」の静かさと音色が個性的でした。透明さではなく、今にも切れてしまいそうなくらい細い糸がピンとしたような直線的な音色が聴こえてきました。
 自身によって編曲されたリストのハンガリー狂詩曲第2番は、稲妻のようなフォルティッシモ、嵐のような加速が凄まじいです。(7:08~)の熱狂的な表現や、左手と右手から別々の音楽が同時に弾かれている気がする瞬間(6:27~)も聴きものです。
 ハンガリー狂詩曲第2番には、管弦楽用の編曲版もあります。比べてみると、ホロヴィッツのピアノ独奏にないものは合奏の厚みと音色だけでした。何十人ものオーケストラが同時に演奏するのと同じか、それ以上の迫力と音量が、1台のグランドピアノから発されていました。
 アンコールは3曲が弾かれています。
 ショパンのワルツは音色が悲しさを語っています。
 クレメンティは楽しい曲ですが、もう少し静けさが欲しいと思いました。
 プロコフィエフにはホロヴィッツでしか成し得ない凄味があります。しかし、この曲は第3楽章だけ取り出して聴くと、ただ凄いだけで終わってしまう気がしました。

 「~ それにしても聴衆ノイズの少ないことに驚かされる。聴衆にも集中力を強いた演奏だったのだろう。これほどの演奏を毎度毎度していてはとても体が持つまい。実際、この演奏を最後にホロヴィッツは3月11日、ミネアポリスでのコンサートをキャンセルし、結果的には12年にわたりコンサート活動を停止してしまうのである。 ~」
 (『ホロヴィッツ 全録音をCDで聴く』藤田恵司(アルファベータブックス))
 他と同じ一つのライヴ録音として聴いても名演ですが、「12年にわたりコンサート活動を停止してしまう」直前の録音であることを知れば、スクリャービンもショパンもリストも他の曲も、さらに感動的な記憶として残ります。

 (つづく) 



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