一拍だけのAm7-5

2014年12月31日 12時51分08秒 | NEW!
何年か前、押尾コータローにハマッていた時期がある。
CDやDVD買ったり、Liveに行ったりしていた。
それに飽きたらず、彼のように弾きたいと目論んでエレアコ買ってTAB譜も揃えた。
さらには娘名義で通販のスカルプチュアキットも買って、爪のアクリル化に励んでいた。
ガッチリ固めないと右指の爪があっという間にペラペラになる、悪魔の如きコータロー奏法である。

ずいぶん一生懸命練習したが、結局飽きてしまって中断。
最近、将来的なボケ防止に繋がればと思い立ち再開したのだが、ものの見事に綺麗サッパリ忘れてた。
たった3年で、ここまで忘れるものだろうか?

とりあえずストロークプレイからやり直そうと思い、選んだのがなぜかPerfume。
何となくカッコイイ感じだったから。

いざ弾いてみるとコードチェンジがトリッキーだったりして、けっこう面白い。
中田ヤスタカ、案外いいな。
お気に入りは「微かなカオリ」。
下の進行表は5カポで弾く。オリジナルキーより弾きやすいし、響きも良い。
特にたった一拍だけ出現するAm7-5が、非常に良い。

A♭→Gm7→Fm7→Gm7ときて一拍だけ入るAm7-5そしてG。
タマランなあ。痺れるぜ。
5カポのA♭なんて、エレキギターならともかくアコースティックではけっこう来るよ。
なかなか綺麗に響いてくれないのであった。


「メメント・モリ」(藤原新也)

2014年12月29日 12時55分54秒 | NEW!
何人か「師」と呼びたい人がいる。
「酒の師匠」「仕事の師匠」「本の師匠」等々・・・人生の師匠たちである。

定期的に宿題を出してくれる本のお師匠さんから戴いた今回の宿題。
フォト・エッセイという括りでいいのかな?

「死というマテリアル」から始まる。
インドの、野垂れ死にした、流れ着いた、諸々の死体たち。
放置され、犬に食われ、火に焼かれる、諸々の死体たち。
日本では特に慎重に隠蔽され続ける、物体的結果としての死を淡々と晒す。

そして風景、人物、人工物、昆虫等々を切り取り、短い文が添えられている。

「死人と女には花が似合います。」
「眠りは、成仏の日のための錬磨のようなもの。」
「人間は肉でしょ、気持ちいっぱいあるでしょ。」

この人の写真には、温度がない。
インドだろうがチベットだろうが日本の寒村だろうが都会だろうが、温度がない。
正確に言うと、暑くもなく寒くもなく、でもちょっと肌寒いかな程度の温度に保たれている。
「生」の躍動感はなく「死」の臭いを帯びているが、強くしつこく漂うのでもない。

生から死に至るまでの時間において、「意識の連続性」を意識することで見えてくるものがあるよと言っている。
この「意識の連続性」というヤツが曲者でね、相当に疲れる。
肉体という容れ物は、意識を休ませても生き続けさせてくれる便利な装置である。
なんにも考えなくたって、生命の維持にはあまり影響がない。
意識の連続性を常に保つには、肉体から離れた純粋な意識を抽出しない限りは不可能だろう。
肉体は「疲れる」のだから。

なんてことを考えてました。愚考というヤツだな。

「歩みつづけると、女の人は子供を孕むことがあります。
 歩みつづけると、男の人は自分の名前を忘れることがあります。」

確かに、忘れた。



南7まとめ12/21

2014年12月22日 09時53分30秒 | NEW!
友人と会った。
特に親しいわけではないが、たまに連絡が来たりする。
「年内で今の仕事辞めて、別のところで別の仕事する」らしい。
結果的にどうやらもう会うこともなくなりそうな状況。
なのでお別れにちょっと会って話してきた。
今の仕事はちょっとアレな仕事で、でも借金返すために仕方なくというか泣く泣くというか・・・
事情は何となく知っていたが、実際に聞くと本当に大変な一年だったんだな。
「戻ってくるんじゃないよ」
「うん、がんばるよ」
がんばってほしいものだ。

寒い中、開店直後に到着。
常連さん約1名、早くもイイ感じでやってた。
隣に座る。社長は私の足元で丸くなる。

まずは生ビールと蒸し牡蠣。



そして浅蜊の酒蒸し。



竹鶴三味一体濁りを燗で。



鶏皮ポン酢と清酒竹鶴燗。



満を持して生牡蠣。



お酒は杉錦の生酛、そして〆のアラ汁。



常連さんと、ちょっと書けないような超マニアック話で盛り上がっちゃった。


のようなもの

2014年12月15日 11時08分26秒 | NEW!
何年かぶりでの忘年会。

忘年会といえば鍋。
まずはビールで。



次は日本酒。
鍋もおかわり(!)





いっぱいになる。



牡蠣1個だけあった。



あとは焼とんセット、浅蜊の酒蒸。
お酒は竹鶴酸味一体の濁り、竹鶴の何か、杉錦の生酛。2合ずつ。
社長元気。


で、キメラ。



自分はマティーニと〆の電気ブラン。






ブラントンの、ハイボールのようなものが美味しそうだった。

今回は地下鉄に間に合った。

なにたべた?

2014年12月14日 09時36分46秒 | NEW!
詩人の伊藤比呂美さんと、料理研究家の枝元なほみさんのFAXによる往復書簡集である。

内容をざっくり摘むと、伊藤さんは制度上は重婚に当たらない日米二つの家庭持ち、枝元さんは独身であるが複数の男性の間で迷子になりかけてって感じか。
その二人が、その日食べたもの(料理したものがほとんど)を中心にFAXでやりとりした記録である。食べもの関係が約8割、男について約2割、その他少々といった配合。

まず、二人のおかれた状況について。
それが特殊なことなのか、女性にとってあるべき姿なのかということ。
特殊な状況だと思うのは勝手だろう。でも、特殊=悪ではないし、だからといってステキなことでもないだろう、この場合は。
そんな単純な二元論では語れないことはよくわかっているし、何とも上手く言えないのだが、女性ではない自分は女性目線での捉え方がわからない。
そもそも当初は公開を目的として書かれたのではない、「素」の女性としての私信集である。
「女性目線」でなければわからないことが多いのではないか、女性じゃない自分は完全にわからないまでも「女性目線」を想像して読まなければこの本の真のおもしろさに気付けないのではないのかなどと考え読み始めた。
しかし、オンナゴコロのなんたるかを分からない駄目男が想定する「女性目線」なんぞ碌なモノではないことに思い至ったのは1/4ほど読み進めた辺り。
そんな余計なことをゴチャラゴチャラと考えたために始めは相当に読み辛かった。
半分を過ぎた辺りからようやく二人の文体というか思考にある程度シンクロできるようになってきて、後半はスルスルと読み進めることができた。

内容について。
食べるということ、ひいては生きるということへの熱意、それはもう執念と言っていいほどのこだわりに圧倒される。
枝元さんは料理を生業とされているから当然であるが、伊藤さんのこだわりは文筆を生業にしているだけに書き殴りに近いものにしたってかなり深いところを抉ってくる。
ごちゃごちゃと理屈をつけまくり、ディテールの構築から入る「男のこだわり」とは違う、いきなり本質なり核心をつく「女のいきざま」を感じる。

伊藤さんは、見た目(ビジュアルではなく人としての表面)も中身も見事なくらいの肉食獣だろう。ライオンとか虎とか豹とか。
枝元さんは鼬族。貂とかミンクとかオコジョとか、見た目(同上)は小動物だけど実態はけっこうな肉食獣。

女は、男に対して何枚もの踏み絵を踏ませる。
男はそれを分かっていて踏むこともあるが、大抵は気付かずに踏んでいる。
女はその結果を、この件に関してだけは「名前をつけて保存」して管理活用している。
男も女に対してたまに同様のことをするが、この件に関してだけは「上書き保存」で最新のデータのみ有効としたがる。

以上。