アリンコ日記

あの暑かった2004の夏から数年、夢中になっていたアリ飼いの記録です。もうすっかりアリンコ生活をしていません・・・。

マニアの道

2014-05-05 22:03:49 | 24 なんと!10年目
先の記事でこのブログを久々に更新したのは、今朝友人から「家にアリがいた!」というメールをもらったのと、関西のアリ仲間から「地震大丈夫?」という連絡をいただいたこと、それに昼間に偶然つけたEテレ(旧NHK教育ね)の「視点・論点」という10分間のアバンギャルド番組で「へんないきもの」シリーズの早川いくを氏が「『へんないきもの』への認識の変遷」を語るのを見てしまって、「こっ、これは、アリのせかいが私を呼んでいる・・・!」と感じたからなのであった。

早川氏の「視点・論点」はNHKオンデマンドの見逃し番組に登録されていて、108円払えばたぶん5月18日まで視聴可であることから、本ブログ読者の皆さまには氏の語り口と番組演出(政見放送を想像されたい)のギャップをぜひとも味わっていただきたいが、その内容を要約すれば以下のようになる。
・・・要約というより抜粋ですんません。(録画してメモとりながら見ました)

昨今、ダイオウイカ・ダイオウグソクムシといった深海生物やハダカデバネズミ等、かつては嫌悪の対象ともなっていた生物が人気となっている。
自著「へんないきもの」はベストセラーとなったが、その読者の多くは女性であり、寄せられた感想には「癒された」というものが多い。かつて研究者とマニアの興味しか惹かなかった「へんないきもの」が一般社会への広がりを見せている。
これは価値観の多様化――「キモかわいい」やら、「オタク」の市民権獲得など――を示していると考えられる。
しかし、「癒される」という感想の裏には、「他とまったく違う奇妙な生き物が実際に存在し、生きているという事実」に対するシンパシーがあるのではないか。
むしろ社会の中での同調圧力の高まりに対抗するための、自己肯定の根拠として「へんないきもの」に人気が集まっているのではないか。
生物は人間がどう思うかにはお構いなく、それぞれの環境の中でしのぎを削って生きているだけである。人間の側の一方的な思いは、生物に投影した自己を見ているに過ぎない。


まったく同感。
その気持ちの表れが「少年少女漂流記」の感想文に出てしまっているくらいである(パクりって言わないで!)。
自己肯定の根拠としての生物(の形態や生態)、というのは、一見、逃避行動のようにも思えるが、そんなことはない。・・・ないのよっ!
不肖ワタクシが何かやらかした場合の自己肯定作業:(答えがNoの場合、次へ)
 1.それはその場の行動として許されるか?
 2.それは社会人として許されるか?
 3.それは人として許されるか?
 4.それはイキモノとして許されるか?
まあ、「人に迷惑をかけてない」のが大前提だが、たいがい、4番目にはYesになるので、オールオッケーなのである。おほほほほ。
そしてそれは、そんなに間違ってないと思う。
社会人としてNGというのは(場合によっては「人として」でも)、文化的・社会的環境によって変化する。
より普遍的な観点からモノゴトを見るのが、肝要なのである(自己肯定作業には)。

たとえば、「何をやってもうまくいかないワタクシ」→何回でもやり直せばいいのだ!または、あきらめてもいいのだ!
たとえば、「誰の役にも立っていないワタクシ」→ニッチがあれば、そこで生息すればいいのだ!
(ニッチ:生息できるような環境の”隙間”)
たとえば、「生活の先行きが見えないワタクシ」→とりあえず今日を粛々と生きればいいのだ!
たとえば、「いつか死んでしまうワタクシ」→そのときはあっけらかんと死ねばいいのだ!
・・・早川氏が天才・赤塚不二夫氏のウナギイヌの話をしていたためにバカボンパパ口調になってしまったが、世のしんどそうな顔して歩いている人たちに、声を大にして、あるいはせめてテレパシーで伝えたい。

動物園でサルやペンギンやクマが人気なことからも分かるとおり、あるいは、先端科学のあれやこれやでも言われているとおり、ヒトは何を見ても結局「ヒトとは何か」という問いを考えたがるものらしい。
情報化社会で地球が小さくなってしまったとかで、居場所のない人たちが夢想すべき「ここではないどこか」を夢想する余地が減ってしまった。
社会の健全化も「アウトローとして生きる」という道をより険しいものにしている。
「へんないきもの」(とかアリとか)の生き方に自己を仮託するだけでなく、彼らの生態をより深く見つめることで、「ヘンなものはどうやったら生き延びられるか」とか、あるいはもう一歩進めて「ヘンなものを内包したシステム(社会)をいかに構築すべきか」というところへ、早くたどり着けるといいんだけどなぁ。

ということで、行き場のない人たちはみんな「アリのせかい」にやってきて、そのうちの何人かが生態の解明なんかに成功してくれるといいと思う。 ←結局自分の興味のためだっ。(イキモノとして正当な行動)


「少年少女漂流記」

2014-05-05 21:03:59 | アリ本
「少年少女漂流記」
古屋×乙一×兎丸/集英社文庫

著者は「古屋兎丸」と「乙一」(合作)だが、集英社文庫では「お46」(乙一の項)に分類されている。
初出誌:「小説すばる」2006年2月号~2007年1月号
単行本:「少年少女漂流記」 集英社 2007年

学校の中で「あいつはイタい」と思われている少年少女が主人公の、いわゆる「学校カースト」もののマンガ。各話ごとに異なる主人公の物語で、最終話で大団円という構成。
古本屋でパラパラめくっていたら、第二話でアリの絵(クロヤマかしら微妙)が出てきたので購入。
巻末の対談によれば、著者のひとり乙一がアントクアリウムでのアリ飼育中(ご多聞に漏れず末期)だったことと、古屋兎丸がアリを調べたことがあって詳しかったことから、「第二話アリのせかい」ができたという。
(古屋兎丸が読んだという「上下巻の『蟻』という本」が気になる。タイトルが漢字の「蟻」一文字の本の中で上下巻になってるものが思い当たらない。ハクスリーは一巻本だし・・・著者は誰? 問い合わせてみようかしら。)

さて、第二話の内容だが、ご想像通り、世間に疎外感を抱くいたいけな少年・金沢史郎くんが、「アリのせかい」に引きこもっていくお話。
アリの生態および飼育に関しては、ごく一般的なイメージで描かれていて、突っ込みドコロ満載ではあるが(巨大アントクアリウムが登場)、「アリ飼いは世間からこう見られている」ということを再確認できるという意味で、アリ飼いには一読の価値があると思う。この物語からアリのマニア(研究者も含む)が今後取り組むべき課題が読み取れると思うのだ。
つまり、「アリあるいはアリ飼いの何が面白いのか」という点が世間に認知されていない!
ああ、こんなに面白いのに。
何を面白いと思うかは、人によってさまざまであろうが、飼ってみれば採餌と巣作りより、どうしたって産卵・育児に行っちゃうと思うんだけどなー。
はっ! 金沢くんはワーカーしか飼っていなかったのかも。
まあ、アリ飼いが面白いっというところまで行ってしまうと、「クラスで孤立する金沢くん」の話が「クラスはどうでもいい金沢くん」の話になってしまうので、物語が破綻してしまうから仕方がないか。
いいじゃないか、クラスの人間関係なんかどうでも――とならないところが、中学生の苦しいところで、まさにそこがこの作品全体の主眼。

書評(だったのか?)を離れて、私の考える「アリあるいはアリ飼いの何が面白いのか」。
1.飼育者の思惑と無関係に生活するところ
2.採餌・栄養交換・幼虫の世話など、行動そのものの面白さ
  (妙にセカセカ、あるいはビクビクしているところを含む)
3.個体によってはかなりマヌケな行動をとるものがあること
4.2.のカッコ内や3.にも関わらず、それでも全体としてはきちんとコロニーの維持活動が機能するところ
5.生態について未解明の部分が多く残されていること
五つに分けてみたが、一言でいうと「生き物としてのたたずまい」だろうか。
アリじゃなくてもじっと観察していれば、たいがいの生き物は面白い。
ヘンに擬人化したり、自己投影したりしないほうが、面白味が増すと思うんだけどな。


「アリの巣の生きもの図鑑」

2013-09-17 01:21:34 | アリ本
「アリの巣の生きもの図鑑」
丸山宗利・工藤誠也・島田拓・木野村恭一・小松貴 著/東海大学出版会


ため息が出るほど美しい図鑑。すばらしい。
写真が美しい、レイアウトが美しい、そして何より、ひとつひとつの生きものに添えられた簡潔な説明文が美しい。
情け容赦なく専門用語を使ってすぱっと切り捨てているのに、なぜかあふれる詩情と愛情。
アリも含めたこの生きものたちと、研究と、あとたぶんぜったい写真撮影技術とに注がれている愛情がハンパない(写真撮影技術については、5人の著者がそれぞれ書いているコラムで何人かが触れている)。

添えられた英語タイトル「The Guests of Japanese Ants」は先行書名の踏襲とのことだが、この「日本のアリのお客」のほうが、「アリの巣の生きもの」よりもなんだか心にぐっとクる。
なんだこの多種多様さは! アリはどんだけお客好きなんだ!
「お客」の分をわきまえないヤカラもいっぱいいるぞ!
私の貧弱なイメージではアリヅカコオロギやアリスアブ、シジミチョウあたりの仲間の生態がわかる図鑑なのかと思っていたが、いやいやいやいや、なんかもう、チミモウリョウの百鬼夜行の図、なのであった。
写真はほんとうにきれいなんだけれども、被写体の大半が、その、喫茶店で広げて読むにはちょっとアレな感じ。
生物多様性(形態の)を実感いたしました。

おそろしいことに、そんな美麗な写真に添えられた文章の多くに「不明」だの「未詳」だのといった文言がつく。
体長数ミリの虫に生えてる毛の一本いっぽんが数えられるような写真を見せられてるのに、「これは何やらワカラン生きものなんですよ」という説明。やっぱりチミモウリョウ。
「何やらワカラン生きもの」の写真は、できればネス湖のネッシーのような、あるいはビッグフットのような、粒子ザラザラの薄ぼんやり写真にしてほしい気がする。ああ怖い。

この本は魔界の入り口なのか。
この本を読んでしまったいたいけな少年少女たちが、何人もアリの巣口の形をしたおそろしい深淵に吸い込まれていくのが見える気がする。
・・・たくさん吸い込まれて研究者が増えますように!


なお、「お客」には寄生種のアリも含まれているのがちょっと面白い。
「お客」たちのページが終わった後、映画の最後のスタッフロールのように「ホステス」のアリたちが説明文なしで淡々と羅列されてるのも面白い。
そしてその後におまけで「シロアリの巣の生きもの図鑑」までついてる過剰さがほんとうに面白い。
美しく、真摯な愛情にあふれた一冊。
絶版になったら、高値がついちゃうんだろうなー。


去りて来る

2013-08-05 12:34:24 | 23 拡張?衰退?
今年はなんとか7月の浜離宮観察会(シン・ハン氏主催)には参加できたものの、まったくアリに身が入っていない。
7月7日の観察会直前に、トビシワ08-1号ロージー一家を乾燥でヤってしまった。
結論:学研・2年のかがくのアリ飼育ケースは給水しづらい。←学研のせいにした

で、もちろん学研ケースのカタコンベは放置したままなのであるが、その数日後、新しいオトモダチがやってきた。
・・・ここで写真を入れたいところだが、アパートの階段下でマゴマゴしていた翅つきのお嬢さん(なんか茶色いケアリ)だったので、まあ、未婚だわな、と思い、そのうち放す(あるいはケアリ12-1号ツッチーの餌場行きの)つもりで、写真もメモも取らずになんとなく小さいケースに入れていた。
でだ。

【ケアリ13-1号ステ】 Q1 E60くらい? L10としとこうか C7かしら Wまだ

卵生んどるなーと思ってたら、あれれ、しわしわ(幼虫ってことだ)になってる?なんてことになり、次に気づいたのが、今さっき。繭だ。
私がうすぼんやりしている間に、ちゃんと仕事をしてるチミは偉いねー。
ということで、今あわてて名前をつけた。
ステちゃん。えーと、あれですよ。階段下にいたから、ステップのステちゃんね。
もちろん、丈夫に育つようにという日本古来のマジナイの意味も込めています。

ここ半年で老眼が一気に進み、目が見えない。
もともと目はムダに良かったので、「虫めがねって何の役に立つの?意味わかんなーい」だったのが、今では志賀昆虫で買ったジュエルルーペでは、なかなか焦点が合わず、名探偵ばりに虫めがねのお世話になっている始末。
しかも、光量が足りないとぜんぜん見えない。
きーっ。
という次第で、以前にも増してアリを見ないのであった。

ついでにツッチーも見ておこうか。(今日見ないと、また次はいつになるか分からんから)

【ケアリ12-1号ツッチー】Q1 E40? L50? P15? C8? W80?

熱心に数える気が起きないので、数には全部「?」をつけてみた。
ほんとは、ワーカーを数取り器つかって数えてたら「96」まで行ったんだけど、まさかこの私が100に迫るようなワーカー数を1年ちょっとで叩き出すなんてことは神様がおゆるしにならないと思ったので、遠慮した数字。
しかしなんだ、ツッチーよ。
裸蛹ばっか作るのは、なんでだ。
エサをやらないからか。
昨日ベランダの鉢の中で絶命していた、なんかでっかいハチを入れてやったが、トビシワのようなガッツがないので、ぜんぜん食ってやがらねぇ。
チミたちは、あれか。
サクラエビとかカツブシとかメープルシロップとか、そういう軟弱なエサが欲しいのか。←つまりこういう餌はやってない。餌場にあるスポンジは、たぶん5月くらいにやったやつ。

余談だが、7月の終わりにツッチーの故郷、房総半島の和田浦へ今年も行ってきた。
道の駅WAOや、シロナガスクジラの全身骨格展示(レプリカだけど全長26mなので野外展示)もできて、クジラの町がいよいよ充実していた。
見学も、肩が日光で焦げるくらい熱心にしたが、今年は小さいお嬢さんには出会えなかった。
揚がったクジラがオスだったせいかしら?(昨年はオス・メス各1頭が揚がってた)
今年は紀州・太地も和田浦もあまりクジラが捕れないらしい。
アリンコも春から結婚飛行にいつ出ていいやら分からんようなお天気つづき。
まあ、そんな年もありますわな。


「アリ=永久機関」説

2013-04-17 23:25:01 | 23 拡張?衰退?
あけましておめでとうございます!(だって、今年初更新だから)

つくづく、アリの生命力は偉大だなあと思う次第であります。
たまーに金平糖をエサ場に入れてやるくらいで、エサなんか月に一度すらやってないにもかかわらず、ケアリ12-1号ツッチー一家と、トビシワ08-1号ロージー一家は今冬も生き延びましたよ。


【ケアリ12-1号ツッチー】E約70 L3 C19 W8
お母さんの下に、またまた剥けたてちゃん
虫エサはそんなにやってないはずなのに、幼虫の腹が真っ黒でパンパンなのはなぜだろう?
昨日おとといあたりに繭作りのブームがあったらしくて幼虫が少なくなっちゃってるが、まだ繭の端っこじゃなくて中心部が黒いヤツが数匹(いちばん手前のヤツとか)。
たしかワーカー7で越冬体制に入ったはずなのに、剥けたてちゃんが2匹いるのと関係があるのかしら?かしら?
あっ、こないだのバカ陽気で湧いた蚊を1匹やったんだった!
(蚊をやったときにすでに腹黒だったのは気が付かないフリ)
あと、石膏のあちこちが黒カビっぽいのにも、わたしはまだ気が付いてません。


【トビシワ08-1号ロージー】Q1 ELPWよく見えない(見る気もない)
ワーカーは100もいないかもしれない

学研2年のかがく付録のケースをしつこく使用中であるが、こん人たちはすぐと砂をエサ場に運び出しくさるとよ。
本日、堪忍袋の緒が切れたので、埋戻した。
メの細かい砂部分が、彼女らの気に入っていた稜線。かなりの土砂災害。
しかも、大量の水まで投入。
たぶん、いちばん浸みてるところが巣穴。
お母さんとお子たちは、大丈夫だったのかしら(ここは無垢な気持ちで読むところですよ)。

決死の覚悟で復旧のために働く作業員たち(よく見えない)

ロージーの餌場にたしか3週間くらい前に投入したヒメカツオブシムシっぽいゲジゲジ(ウチの畳の上で餌場行きを熱望していた)が、まだご存命だったのにびっくりした。
ムシって、ほんとに丈夫ねー。

ツッチー一家の卵の数に恐れ入ったのと、ロージー一家の土砂災害へのお詫びで、両家にメープルシロップとゆで卵の黄身(冷蔵庫に入ってたんだけど、これ何年前のかしら?)を差し入れた。