花山。常子に礼を言う4
戦争特集の32号は
多くの読者の支持を得て100万部
を超える売り上げとなった。
編集長室では常子と美子、
花山が話をしていた。
花山は、読者の戦争体験の手紙を
よみながら、「共感してもらえて
よかった、」といった。
「これでほっとしましたね。」
「ゆっくりできますね」と
常子と美子がいうと
花山は、「次号があるだろう?」
といった。
常子と美子が顔を見合わせると
「心配するな。決して無理はしないから」と
いたずらっぽく言ったので
常子たちは笑った。
昭和51年1月・・・
その花山もあまり会社にでてくる
ことがなくなり、社員たちは
会社と花山家の往復をしながら
仕事をやっていた。
久しぶりに怒鳴られたという社員。
「やり直せ」と言われた。
「止めちまえ」と言われた・・
「何回怒鳴られたかわからない」と
いう社員たち。
「でもこうでなくては
あなたの暮らし出版では
ないと思う」という。
怒られても、それがなぜか
懐かしいような、うれしいような
気分である。
「今頃たまきさんも
怒鳴られているのかな」
とわいわいと言っていると
たまきが帰ってきた。
花山さんに怒鳴られたのかと
みんなが聞くと
たまきは
暗い顔をして
「怒鳴られるぐらいならまだ
ましです。
いつもの口述筆記をしましたが
それも、つらそうなご様子でした・・」
常子と美子は不安に思った。
雪が降るある日、常子がゲラ刷りをもって
花山宅へいった。
花山はそのゲラを見て
「これでいいだろう」と、常子に
渡した。
そして常子はそれを受け取り
会社へ帰るはずだったが、花山は
常子をじっとみて、
「口述筆記を頼みたい」と
いった。
「あとがきをね」
常子はテープレコーダーに
スイッチを入れた。
「今まであなたの暮らしをご愛読
下さった皆様へ。
私が死んだらその時の号のあとがきに
載せてほしい」という。
常子は、「なんてことを」というが
花山は「人間いつ死ぬかわからない。
このあと、君が帰るときに交通事故で
先に行くかもしれないよ。」といった。
「わかりました」と言って常子は
口述筆記の用意をした。
「読者の皆様へ。
今まであなたの暮らしをご愛読くださり
ありがとうございます。
昭和22年、創刊以来27年たtって部数が
100万部になりました。
これは皆様が、一冊一冊
買ってくれたからです。
創刊当初から本当に良い暮らしを作るために
私たちが掲げてきたのは庶民の旗です。
わたしたちの暮らしを大事にするひとつ
ひとつは力が弱いかもしれません。
そんな布の端切れをつなぎ合わせた旗です。
・・はぁ・・・・・」
花山は息を吐いて力をいったん抜いた。
そしてまたつづけた。
「世界で初めての庶民の旗、それはどんな
力にも負けません。
戦争にだって負けません。
そんな旗を上げ続けられたのも
一冊一冊を買って下さった
読者の皆様のおかげです。
広告がないので、買ってくださら
なかったら、とても今日まで
続けることはできませんでした。
そして、私たちの理想の雑誌を
作れなかったと思います。
力いっぱい雑誌を作らせてくださって
ありがとうございました。」
花山は同時に頭を下げた。
「それに甘えてお願いがあります。
今まであなたの暮らしを読んだこと
のない人にあなたが
あなたの暮らしをご紹介してください。
一人だけ新しい読者を増やして
いただきたい。それが私の最後の
お願いです。」
花山はテープを止めた。
そして、椅子の背にもたれて
ため息をついた。
そして
小さな声で
常子に言った。
「さぁ、もう帰りなさい・・・・」
常子は、凍りついたように花山を見た。
「もし・・・花山さんがいなくなったら
わたしは
どうしたらいいのですか?」
「常子さん、大丈夫だよ。君はね、28年
一緒にやってきて
たいてい僕の考えと一緒
です。君の考えでやっていけれる
だろう。悩んだ時は君の肩に
語りかけろ。
君に宿ってやるから・・・
おい、花山・・・
どうしたもんじゃろのーーーー?
と・・」
常子は、泣きながら笑った。
常子は玄関先で三枝子に
「お邪魔しました」と言って
挨拶をした。
そこへ花山がゆっくりと歩き
ながらやってきた。
そして、「これを忘れていた。」
といって、イラストを渡した。
次号の表紙だという。
あかい服の女性だった。
常子は、「すてきな絵ですね」といった。
花山は
「初めて私の絵を見たときも
君はそんな目をした・・」という。
赤い三角屋根の家の絵だった。
「すてきな家ですね・・・」といった。
「常子さん・・
どうも、ありがとう・・・・」
花山は頭を下げた。
常子は
「やだわ、花山さん。」と明るく
笑った。
「またきますね。」
といって
原稿を大事に封筒に入れて
玄関の扉を開けた。
常子が花山夫婦におじきをした。
花山は手を振っていた。
常子が玄関の扉を閉めるまで
手を振っていた。
三枝子は、花山を支えて
「さあ、あなた・・・・」といって
部屋に戻って行った。
外は相変わらず雪が降っていた。
屋根にも
道にも・・・
常子は、花山家を見上げて
そして、帰り道についた。
********************
唐沢さん、渾身の演技です・・・
もう次に常子に会うことはできないと
思ったのでしょう。
あとがきを死んだら載せてくれと
いったことで、常子は
花山を失う予感を覚えたこと
でしょう。
常子は覚悟を決めなくては
成りませんでした。
「読者の皆様へ・・・・」
感謝と
お礼と
お願いを
あわせて、残されました。
大変感動的でした。
常子がやっと作った会社であり
自分が持てるだけの力を
注いできた会社です。
もし、自分がいなくなれば・・・
そのことを思って
読者の皆様、まだ読んでいない人へ
一人でいいです、ご紹介ください。
常子の見開いた両眼から
涙があふれてきました。
もし、花山さんがいなくなったら・・
どうしたらいいのですか?
花山は「悩んだら肩に語り掛けろ。
宿ってやるから・・・」
常子と自分は
考えは同じだともいいました。
常子にとってこの言葉は
頼もしいものだったのでは
と思います。
いつか、人は死ぬ。
常子は、玄関を出るとき
花山が手を振ったことに
今世永遠のさようならを
感じたのかもしれません。
戦争特集の32号は
多くの読者の支持を得て100万部
を超える売り上げとなった。
編集長室では常子と美子、
花山が話をしていた。
花山は、読者の戦争体験の手紙を
よみながら、「共感してもらえて
よかった、」といった。
「これでほっとしましたね。」
「ゆっくりできますね」と
常子と美子がいうと
花山は、「次号があるだろう?」
といった。
常子と美子が顔を見合わせると
「心配するな。決して無理はしないから」と
いたずらっぽく言ったので
常子たちは笑った。
昭和51年1月・・・
その花山もあまり会社にでてくる
ことがなくなり、社員たちは
会社と花山家の往復をしながら
仕事をやっていた。
久しぶりに怒鳴られたという社員。
「やり直せ」と言われた。
「止めちまえ」と言われた・・
「何回怒鳴られたかわからない」と
いう社員たち。
「でもこうでなくては
あなたの暮らし出版では
ないと思う」という。
怒られても、それがなぜか
懐かしいような、うれしいような
気分である。
「今頃たまきさんも
怒鳴られているのかな」
とわいわいと言っていると
たまきが帰ってきた。
花山さんに怒鳴られたのかと
みんなが聞くと
たまきは
暗い顔をして
「怒鳴られるぐらいならまだ
ましです。
いつもの口述筆記をしましたが
それも、つらそうなご様子でした・・」
常子と美子は不安に思った。
雪が降るある日、常子がゲラ刷りをもって
花山宅へいった。
花山はそのゲラを見て
「これでいいだろう」と、常子に
渡した。
そして常子はそれを受け取り
会社へ帰るはずだったが、花山は
常子をじっとみて、
「口述筆記を頼みたい」と
いった。
「あとがきをね」
常子はテープレコーダーに
スイッチを入れた。
「今まであなたの暮らしをご愛読
下さった皆様へ。
私が死んだらその時の号のあとがきに
載せてほしい」という。
常子は、「なんてことを」というが
花山は「人間いつ死ぬかわからない。
このあと、君が帰るときに交通事故で
先に行くかもしれないよ。」といった。
「わかりました」と言って常子は
口述筆記の用意をした。
「読者の皆様へ。
今まであなたの暮らしをご愛読くださり
ありがとうございます。
昭和22年、創刊以来27年たtって部数が
100万部になりました。
これは皆様が、一冊一冊
買ってくれたからです。
創刊当初から本当に良い暮らしを作るために
私たちが掲げてきたのは庶民の旗です。
わたしたちの暮らしを大事にするひとつ
ひとつは力が弱いかもしれません。
そんな布の端切れをつなぎ合わせた旗です。
・・はぁ・・・・・」
花山は息を吐いて力をいったん抜いた。
そしてまたつづけた。
「世界で初めての庶民の旗、それはどんな
力にも負けません。
戦争にだって負けません。
そんな旗を上げ続けられたのも
一冊一冊を買って下さった
読者の皆様のおかげです。
広告がないので、買ってくださら
なかったら、とても今日まで
続けることはできませんでした。
そして、私たちの理想の雑誌を
作れなかったと思います。
力いっぱい雑誌を作らせてくださって
ありがとうございました。」
花山は同時に頭を下げた。
「それに甘えてお願いがあります。
今まであなたの暮らしを読んだこと
のない人にあなたが
あなたの暮らしをご紹介してください。
一人だけ新しい読者を増やして
いただきたい。それが私の最後の
お願いです。」
花山はテープを止めた。
そして、椅子の背にもたれて
ため息をついた。
そして
小さな声で
常子に言った。
「さぁ、もう帰りなさい・・・・」
常子は、凍りついたように花山を見た。
「もし・・・花山さんがいなくなったら
わたしは
どうしたらいいのですか?」
「常子さん、大丈夫だよ。君はね、28年
一緒にやってきて
たいてい僕の考えと一緒
です。君の考えでやっていけれる
だろう。悩んだ時は君の肩に
語りかけろ。
君に宿ってやるから・・・
おい、花山・・・
どうしたもんじゃろのーーーー?
と・・」
常子は、泣きながら笑った。
常子は玄関先で三枝子に
「お邪魔しました」と言って
挨拶をした。
そこへ花山がゆっくりと歩き
ながらやってきた。
そして、「これを忘れていた。」
といって、イラストを渡した。
次号の表紙だという。
あかい服の女性だった。
常子は、「すてきな絵ですね」といった。
花山は
「初めて私の絵を見たときも
君はそんな目をした・・」という。
赤い三角屋根の家の絵だった。
「すてきな家ですね・・・」といった。
「常子さん・・
どうも、ありがとう・・・・」
花山は頭を下げた。
常子は
「やだわ、花山さん。」と明るく
笑った。
「またきますね。」
といって
原稿を大事に封筒に入れて
玄関の扉を開けた。
常子が花山夫婦におじきをした。
花山は手を振っていた。
常子が玄関の扉を閉めるまで
手を振っていた。
三枝子は、花山を支えて
「さあ、あなた・・・・」といって
部屋に戻って行った。
外は相変わらず雪が降っていた。
屋根にも
道にも・・・
常子は、花山家を見上げて
そして、帰り道についた。
********************
唐沢さん、渾身の演技です・・・
もう次に常子に会うことはできないと
思ったのでしょう。
あとがきを死んだら載せてくれと
いったことで、常子は
花山を失う予感を覚えたこと
でしょう。
常子は覚悟を決めなくては
成りませんでした。
「読者の皆様へ・・・・」
感謝と
お礼と
お願いを
あわせて、残されました。
大変感動的でした。
常子がやっと作った会社であり
自分が持てるだけの力を
注いできた会社です。
もし、自分がいなくなれば・・・
そのことを思って
読者の皆様、まだ読んでいない人へ
一人でいいです、ご紹介ください。
常子の見開いた両眼から
涙があふれてきました。
もし、花山さんがいなくなったら・・
どうしたらいいのですか?
花山は「悩んだら肩に語り掛けろ。
宿ってやるから・・・」
常子と自分は
考えは同じだともいいました。
常子にとってこの言葉は
頼もしいものだったのでは
と思います。
いつか、人は死ぬ。
常子は、玄関を出るとき
花山が手を振ったことに
今世永遠のさようならを
感じたのかもしれません。