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ワンダーランドの日記帳goo

話題は何でもアリスです。ブログ人のワンダーランドの日記帳そっくり
引越しました。記事は検索機能で見つけて下さい。

トト姉ちゃん149感想

2016-09-23 16:29:37 | テレビ番組
常子、大きな家を建てる5
たまきは常子の会社の様子を見て
その活気に魅力を感じた。
丁度スチームアイロンの商品試験
をしていて、どうしても
アメリカ製の製品に追いつかない
国産だったが、
やっと、国産が勝ったとの
結果にみんな湧いていた。
「メイドインジャパンは
安かろう悪かろうと
いわれていたが、これで職人の
面目躍如となった、いよいよ
世界へ誇れるメイドインジャパンの時代
になる」と喜んでいた。

その夜、たまきは
常子の部屋を訪問して
常子の会社に就職したいと
いう。
「銀行に行くといっていたのに
なぜ」と常子が聞くと
たまきは、「世の中の役に立つ
仕事をしたい」と
いった。
常子の会社の方針のひとつである。
自信に満ちたやりがいのある
仕事をしたい。テレビで
電気会社のひとが、ここまで
商品がよくなったのはあなたの暮らしの
商品試験の影響もあるといっていたこと
や、今日垣間見た会社の様子
とかで、ここで自分を試したいと
思ったという。
でも、今まで言い出せなかったのは
縁故採用と思われたくないからと
いうと常子は
たまきの気持ちを理解して
やってみたらと
いう。

たまきは、正平と鞠子の
了解を得て
あなたの暮らし出版を
うけるべく、履歴書をかいて
いた。
正平と鞠子のほうがどきどき
していた。

たまきは最終試験まで
残った。

その試験は一風変わっていた。
受験生は二階の部屋に集まり
花山の話を聞いた。
「本日は御苦労!」といって
「いまから最終試験を行う。
試験という形で人を選ぶ
ことになるのも、おかしな話
だ」と挨拶をした。
そして、
最終試験は、場所を厨房に
うつしておこなわ
れた。
銀座の中華料理のコック長の
やんさんが青椒肉絲をつくるので
それをみて
質問なりメモなりしていいと
常子は言った。

いったい何の試験なのかと
みんな不思議に思った。

やんさんは、見事な手際で
説明を加えながら
青椒肉絲を作った。

あっという間に出来上がり
やんさんは、「ではこれで」と言って
帰って行った。
常子は、「いまの作り方を
伝える記事を書いてください」
といった。

「だったら最初から言って下さい」と
受験生から苦情が出た。

「質問するなりメモを取るなり
自由にしてくださいと言いましたよ」と
いう。
たまきは
「どこで記事をかくのですか」と聞く。
何しろ厨房なので机も何もない。
「ここです。」と常子が答えた

たまきは、いきなり床に原稿用紙を
おいて、うずくまる姿勢で
書き始めた。

それをみて、ほかの受験生も
書き始めた。

20分という制限時間である。
書いている途中で花山は
ベートーベンの運命のレコードを
大音量でかけた。
みんなびっくりして
集中できないという。
花山は音を止めた。
「記者たる者、どこでも記事が
書けなくてはいけない」と
いった。
そして、工事現場の音や
地下鉄の電車の音などを
うるさいぐらいに
テープで流した。

制限時間がきて原稿は
回収となった。

花山は拍手をした。
受験生も
ぱらぱらと拍手をした。
「次は最後の問題です。
ここへくる前に私がいったことを
書きなさい」といった。

前の部屋からこの部屋に来るとき
に最後に花山がいったことばとは
・・・・
「本日は御苦労」といって話し始めた
内容だった。
「記者たる者、いつだって
人の話を集中して
聞かなければいけない」という。
「では、はじめ!!!」
たまきはまた床の上に原稿を置いて
うずくまって書き始めた。
******************
そうなのです、
うっかりしていました。
厨房へ移る前に
花山が採用試験を受けに来て
落とされるのもおかしな話だ
と、何かしら哲学的なことを
いいました。
選ぶほうも選ばれるほうも
大変な思いをするが
この方法しかなくてとか
いっていました。

あの話についての
感想ではないかと思います。

せっかく受けに来ても
落とされるとは・・・と
思う人もいるだろうねと
いうことでした。
選ぶ側にも、苦労はあるというのだ。
選ばれなかったら
それはそれで、残念な思いをするものだが。
この話にどんな記事を書くか。
花山らしい試験方法である。
少しでも、気持ちが
ゆるんでいると、大事なことを見逃す
とか聞き逃すとか
するものである。
それは、記者として
致命傷になると
花山は思っている。

だから小さなことでも見落としたり
聞き逃したりするとこっぴどく
おこったことがある。

おそらくそういうことだろうと
思った。

この場所に集まった受験生の
ファッションは
大きな立ち上がった襟とか
明るい色や細かい模様の
服装をしていた。

この当時、サイケデリックである
ことがお洒落だった。
なんとも、なつかしい。

先週の公開の商品試験の話が
緊迫感満載だったので
それが終わったら
おとなしめのストーリー展開
となっている。

ああ、もう終わるんだなと
思う。

昭和48年
あなたは何をしていましたか。

わたしは、

大学に入って

先のわからない人生を
なんだろうなぁ?と
思っていました。

なにが大事なことなのか

なにが、大したことでは
ないものなのかと
その選択がつかずに
ああだこうだと
人の意見に振り回されたり
がんとして、人の話を
聞かなかったりしていました。

ただ、卒業するときには
中堅の某企業に就職が決まり
そして母をがんで亡くしました。

私にとってそれは
毎日がつらいという時代の
はじまりでした。
学生と社会人とのギャップになか
されました。

日本は世界一の経済大国に
なって行きました。

バブルの時期を迎えます。

会社の窓からは
あちこちのビルの屋上に
不動産屋の看板が
たくさん立っていました。
それほど、日本は
潤っていた時代でした。




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トト姉ちゃん148感想

2016-09-22 10:15:33 | テレビ番組
常子、大きな家を建てる4
「小さな幸せというものなの
かしら。その積み重ねで今の幸せが
あるのね。
本当にありがとう。あなたたちは私の
一番の娘よ」

そういった君子が・・・

昭和40年1月

君子は73年の生涯を閉じた。

いただきます。
あさの食事は、竹蔵のころと
同じく、家族で食べる。
そこに君子がいない。
常子は、何を見ても君子を思い出す。
お椀の中のもみじ型の人参
に・・・
あのとき、君子がこれをつくって
「すごい」といったら
「見た目も楽しいほうがいいと思って」と
いった。
ふとみると
真由美がハンカチをおっている。
「こうすれば、きれいにおれるのよ」と
手ほどきをしていた君子をおもった。

『小さな幸せというものかしら
その積み重ねで今の幸せが
あると思うのよ・・・』

常子は、はっとして思いついた。

会社へ行ったとき
さっそく花山に
話しにいった。

それは、以前花山が何か書いてみないか
といったことの返事だった。

君子の葬儀のときは花山にも随分と
世話になり、そのお礼を言ってから
「じつは・・・
書くものを見つけた」といった。
君子から教わった小さな幸せを
書いてみたいという。
「何気ない日常の幸せをかきたい。
誰にもあって、でも気にもならない
だから
それをそっとお知らせするような・・・。」

「私は母から習ったことを伝える子供が
いません。
その代りに読者にそれを伝えたい」と
いうと
花山は「すぐに書け」と言った。
「何より私が読みたい・・・」と。

常子は笑って、机に向かい
原稿を出してペンを走らせた。

これはのちに小さな幸せという
記事になり、単行本になるほど
読者の支持をえた。

このころ日本は奇跡ともいえる
経済発展をなしとげ
世界第二位の経済大国と
なった。

あなたの暮らし出版は
多くの社員が女性であり
主婦である。
子育てをしながらの仕事も
制限があったりするが常子は
一人一人に配慮した。
そして女性の目線を大事にした。

1970年から
女性のファッション誌が多く
発刊された。
それは既製服であり、小物も
アクセサリーも、多くが
既製品だった。
この服には、このバッグ。
この靴をあわせるというファッション誌
であり、またブランドの紹介も
ある。

物がなくて手作りで
工夫して作る生活はどんどん変わって
いった。
あの戦争を知らない世代が
増えていく。
このころの働く女性の悩みと
いうと、時間のやりくりばかりでは
ない。
大塚澄子や、康江、綾は
母親が働いているというだけで
世間から
悪口を言われるという。
旦那の稼ぎが悪いから
貧乏だから
小銭がほしいから
だからあの奥さん働いて
いるのね
という感じである。
偏見があるのだ。

大塚は子供の母親として
働く母として
子供にいいものを作ってやる
時間がなくて、既製品が多くなる
のは、助かるという。

そんな時代である。

そんな昼すぎに
大学生になったたまきが
常子の会社へやってきた。

常子の仕事の忘れ物を届け
にきたという。

そして、スチームアイロンの
商品試験の現場を見て
目を輝かせた。
******************
昭和40年代・・・

私の記憶にも残っている時代
です。
新幹線やオリンピックは
あまり身近に思えなかった
けど、
昭和48年という背景の
シーンでは学生街の
喫茶店というガロの
歌が流れていました。

あのころの若者のファッション
といえば、ぼさぼさ
の頭に
すそがひろがった
パンタロンと呼ばれた
パンツ、ジーパン
大きなたった襟
に、柄のたくさん入った
ミニベスト。
でした。
ガロの学生街の喫茶店が
時代の象徴の歌として
チョイスしましたか・・・

昭和40年代といっても
・・・
流れが速くて
フォークソングブームのまえに
GSブームがありまして
エレキギターで
テケテケテケテケ・・・っていうのが
流行りまして・・
ブルーコメッツとか
ザ・タイガースとか
テンプターズとか・・・
たくさん出てきました。
それから、フォークブームで
した。学生フォークが
ややあって
昭和40年代の終わりごろに
吉田拓郎が登場します。
スター登場というのでしょうか。
自分で歌を作って自分で
歌うスタイルです。
学生フォークは、貧乏くさいのですが
吉田拓郎は素敵でした。

貧乏くさいで思い出しましたが
女性の敵は女性といわれていました。
うちの母も働いていました。
小学校の教師でした。
その職業を言わずに
母は働いていますというと
すごく、偏見にみちた反応がありました。
学校では、おまえんちは貧乏なんだなと
決めつけられました。
おそらく、お母さんが働いている
お家は貧乏なのよと
母親が教えるのでしょう。

ところがなぜか、女の子の友達は
「なにいうてんねん
この子のお母さん
がっこうのせんせんやねんで!!!!」

といってくれます。

私の代わりにです。

すると、わけのわからない
悪がきどもは
だまります。
「へえ???」っていって。
「お代官様~~~~~~」って
感じですね。
しかし、母が教師でなかったら
かなり、シビアな言われ方を
したと思います。
「貧乏なんやね」とか
「お母さん小銭を稼いで
いるのね」とか
「子供をほったらかして
いるのね」とか。

年に一回か、警察が家庭訪問
をして、家族の状況などを
聞きに来ます。防犯のためとか
いっていたような気がします。

もちろん、平日の昼間です。
メモを取りながら話すのですね。
「うちは母は働いています」という
と・・・
すごく横柄な雰囲気になり
「何だつまらん」と
いう感じで横目で私を見て
直立でメモを取っていたのが
ヤスメの姿勢に変えて
「それでぇ???お母さんは
帰って来る時間は何時ぃ???」

「夕方の六時かな。」

「ふんふん・・・でぇ???
何の仕事してるのやぁ???」

「小学校の教師です。」
「・・・・・・・!!!」
それを言ったとたん
やつは
背筋を伸ばして
しゃきんとして
敬礼までして

「それは
それは
失礼しましたっ!!!!」

っていうのです。

笑い話ですよ。
こっちは子供だから。

大人の横柄な態度は
よく見ることですので
かまわないけど
敬礼まですることないでしょ。
私は警視総監ではないの
だから・・・

これ・・・・
また次の年、人事異動で
警察官が変わると・・・
毎年繰り返されましたね。

「ご家族は何人ですか?
お父さんとお母さんと
あなたですか。
お父さんのご職業は?
お母さんは今日は
お留守ですか?」

「母は働いています。」

「なに?お母さん働いて
いるのぉ??
ふ~~~~ん・・(この辺で直立が
ヤスメになるのです)
・・・それでぇ?
何の仕事してるんやてぇ???」

「学校の・・・」

という具合に
これをいうと必ず
「失礼しましたっ」と言って
敬礼します。

田舎ですからね。
中には
「同じ公務員ですね」
といって
愛想笑いをする
やつもいました。

んなこと
子供に言うてもわからへん
やんか。








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トト姉ちゃん147感想

2016-09-21 14:48:10 | テレビ番組
常子、大きな家を建てる3
小橋家に花山が君子の見舞いに来た。
君子はいちど、花山にお礼が
いいたかったという。
「娘たちをりっぱに育てて下さって
ありがとうございました。」

花山は、「とんでもない」といって
「常子さんに関してはこれでよかった
のかと思います。
常子さんは人生を
かけて雑誌を作るといいました。
その言葉に縛られて、もっとほかに
人生があったのではと
思います。仕事だけをさせて
しまって申し訳ありません」という。

「常子は他人に頼るのがへたな
こで、いつも悩みを自分で抱えて
しまう子でした。
花山さんにあってしかられて
ようやく常子は誰かに頼って
生きることが
できたと思います。
本当にありがとうございました。
・・・よかった、お伝えできて・・・」

花山は、「長居してしまいました、お体に
触るといけませんのでこれで失礼します」と
いって帰りかけた。

君子は、「これからも、娘たちを
よろしくお願いします」と
いった。
花山が帰ると君子はほっと
息をぬき、満足そうな顔に
なった。

花山を玄関先で見送る三人の
娘たちだった。
「花山さんが来てくれて
母も喜んでいると
思います」と常子が言うと
「こちらこそだよ、素晴らしいお母さん
だね」といって帰って行った。

君子は仏壇の前に座って
竹蔵の写真を見ていた。

常子は、声をかけた。

「トトにご挨拶ですか?
何か話をしませんか?」

そういって、美子が会社で
取引先と電話で話をしている
とき、少々お待ち下さいを
少々お待ち下されといったことを
話した。
みんなおかしくて笑った。
君子は「あなたたちがいてくれてしあわせ
だった」という。

「美子、あなたはいつでも、みんなを
和ませてくれたわ。
あなたが笑うと私たちは幸せな気持ち
になったわ。だからいつも笑っていてね。」

「鞠子、あなたはいつもさりげなく
心配りをしてくれるので
みんな安心していたわ。」
「常子・・・」
「はい・・・」
「あなたはいつも一生懸命でみんなの幸せ
のために走り続けてどんな時も
私を支えてくれたわ。
本当にありがとう。」

君子は立ち上がり
押し入れの中から古い行李を
だしてきた。
「これは、私の宝物よ。」

ふたをあけると

トトが桜が見たいといったとき
につくった桜の花があった。

常子が初めて商売をした
練り歯磨きがあった。

「一つ一つがいとおしくて
ついとっておいてたのよ。
小さな幸せの積み重ねが今の
しあわせになっているのね。」

常子は「トトもそういってましたね」と
いった。

「みんな本当にありがとう。
あなたたちは私の一番の娘よ。
明日のお昼は久しぶりに
常子の親子どんぶりが食べたいわね。」

「はい・・・準備します。」
常子が答えると
君子は笑いながら
ふたたび仏壇の竹蔵のほうを
むいた。

君子が亡くなったのは
それから10日後のこと
でした・・・・・。
*******************
ガンになるともっと苦しんで
意識もなくなるのだろうと
思いますが、君子がこうして
思いを伝えることができたのは
家にいたからこそと思います。
もちろん大家族で
だれかがいるので
君子の面倒は
それぞれがみることができます。
これが一家族だけだったら
できないことだったでしょう。

悔いなく一日一日を
すごすことは病院では
難しいと思います。
常に管理されているからです。

なかなか本音を言う
雰囲気でもないでしょうしね。

君子さんは幸せな人
だったのだなと思います。

おもえば、常子たちが
小さい時から、日々の生活を
大事にする中に幸せがあると
竹蔵がいっていたとおり
子供たちも君子も
毎日の暮らしを大事にして
生きてきましたね。
常子は家族を守るために
会社を立ち上げたことも
素晴らしいと思います。
食べることも着ることも
また、住むこともできない
不幸に家族を落としてはいけない
と、常子は必死で
考えて・・・・
あの鉄郎おじさんのように
稼がなくては家族を守れないと
いわれたように、考えて
出版社を立ち上げました。

自分で作った「すたあの装い」
が花山の助言で売れて
できた資金を元手に
です。
花山という素晴らしい編集者
をえて、妹たちと
会社を守って行くところなんか
この時代、すごいことです。
自分が女性であることに
甘えていたらできないことでした。
この人の生き方は
私にとっても心に残る
ような深いものでしたが
女性特有のしなやかさで
決して、力むことなく
商品試験の世間の疑惑も
かわしていったあたりは
素晴らしいと思いました。

花山が君子に常子には
もっとほかの人生が
会ったのではないかと思うと
いったことは
いちど、星野が
会社に現れたとき
ぴんときたことではなかった
かと思います。

仕事ばかりさせてしまって
別の人生を考えるゆとりがな
かったことで、第二の人生を
生きることができなかったこと
を君子に詫びています。

これは、花山が心して
君子に詫びたかったことでは
ないかと思います。

でも、君子はそんなことは
問題とも思わず
常子を守ってくれてありがたい
というばかりでした。
そして、今後も娘たちを
よろしくといったのは
花山は、遺言と
受け止めたのではと思います。

なかなか本心を語らない
人ですので、わかりにくいキャラです
が・・・
そして、このお話にあった
数々の・・
多くの、エピソードが
あっという間に画面に流れ
懐かしさでいっぱいになりました。




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トト姉ちゃん146感想

2016-09-20 22:13:43 | テレビ番組
常子、大きな家を建てる2
君子が倒れた。
ガンだった。
本人にはそのことは告げない
常子。
「お医者様は何の心配もない、
きちんと治療したらなるだろうって。」
「そういうとだったら、退院したいわ。」

君子は
ひとりでいるより、みんなといたいと
いう気持ちだった。
昭和39年10月。
朝、ラジオからオリンピックの放送が
聞こえる。
君子はそれを聞きながら
子供たちの声に注意をむけた。

たまきが、真由美の髪を
といていた。
でもたまきは咳をしている。
君子がそこへ来てたまきの
額に手を当てると
「熱い」といった。
どうやらたまきは
風邪をひいているらしい。
たまきは学校を休むことに
なった。
君子はたまきのかわりに
真由美の髪をといた。
真由美は髪の毛をといて
もらうのが好きだという。
君子は真由美のそんなところが
美子と一緒だといった。

鞠子は真由美と潤をつれて
幼稚園へ行った。
君子はたまきに氷枕を
あてがいながら
昔、鞠子が体調を崩したことを
おもいだしていた。
たまきは常子に似ているようで
鞠子によく似ている。
勉強がすきで
やりはじめたら最後までやること
がんこなところ

そういってたまきの頬に両手を
あてて、「こうしたら安心でしょ」と
いった。
君子が子供のころ母である青柳滝子から
こうしてもらったことも
たまきに話した。
夕方水田や常子美子が帰って来る。
たまきが風邪をひいて学校を
休んだと聞いた水田は
おどろいて
たまきの部屋に行く。
君子はたまきにおかゆを
つくっていた。
そして、ニンジンを葉っぱの
形にアレンジしてどう?と
大昭にきいた。
大昭は、きれいですねという。
白いおかゆの上にのったあかい
人参の甘露煮のような
葉っぱにたまきは
「きれい」と喜んだ。
そして君子は真由美にハンカチのきれい
なたたみ方を教えた。
そばで潤が絵をかいていた。
そして今日も
大家族の夕餉が始まった。
潤はその大きな家に住んでいる
一人一人の似顔絵を
書いていた。
君子は、「この絵をちょうだい」と
潤にいうと潤は気持ちよくくれた。
みんな、楽しそうに食事をした。
君子は目を細めてその光景を
みていた。

部屋に帰る君子に付き添って
廊下を行くとき
君子は鼻歌を歌っていた。
常子は君子が鼻歌を歌うときは
悲しい時だと覚えていた。
それをきくと、君子は笑って
「知らないうちに心配かけて
いたのね」といった。
「でもうれしいときも鼻歌が
でるのよ」といった。
「今日は
髪をといて
料理をして。。
にぎやかに笑って
あと何日みんなでご飯を
食べられるかしら」と
つぶやく。
常子は「何をいっているのですか?
数えたらきりがありませんよ」と
いった。

君子は仏壇に手を合わせて
「今日はぐっすりと寝れるわ」と
いった。

「おやすみ・・」
「おやすみなさい・・・」

廊下に、君子の鼻歌が
聞こえてきた。
常子は…うつむいて聞いて
いた。

昭和39年12月。
君子の病状は悪くなり
一日中寝ているときが多く
なった。

常子は相変わらず仕事に打ち込んで
いたが、ある日
花山とともに
帰宅した。
花山は君子の見舞いに来たという。
出迎えた鞠子は
「ありがとうございます」といった。
******************
常子は癌であることを
君子に隠している。
君子は知っているだろうし
治らないだろうということも
知っているだろう。
自分の体のことだから。

鼻歌はそんな君子の悲しい気持ち
の表れだったのではと思う。
楽しいときも出るのよというが
三姉妹の常識は君子が鼻歌を
歌うときは悲しみを隠している
ときだった。

だから、きっと常子が君子にうそを
ついていることを見破っていて
嘘をつかなければならない常子
を悲しいと思っているのではと
思った。

常子がいたのは君子という
大きな存在があったからであると
昔、花山がいった。
そして、花山は君子になにを
言いに来たのだろうか。

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トト姉ちゃん145感想

2016-09-19 22:22:44 | テレビ番組
常子、大きな家をたてる1
水田の提案は
常子に大きな家を建ててもらって
水田家はそこに同居したいという
ことだった。
すると、南も自分たちもそうしたいと
いう。
君子はみんなで暮らすことが
うれしくてたまらない。
常子は目標三項目の
最後、「家を建てる」をクリアするために
がんばる。
昭和33年新幹線開通と
オリンピックに沸く日本列島だった。
このとし常子は美子を嫁に出した。

昭和39年、大きな家には常子君子の
ほかに、
水田家、正平と鞠子、長女たまき13歳
長男潤5歳
南家は 大昭と美子、長女真由美4歳
以上、9人家族となった。
楽しくてにぎやかで
君子は幸せだった。
みんな常子に感謝した。
美子は結婚出産を経て
編集の仕事を続けていた。
あなたの暮らし出版は
女性の雇用を推進していたし
女性の社会進出に協力を
していた。
女性社員も多い会社と
なった。あの綾は子育てが終わり
正社員として働いた。
今月は84万部をクリアした。
もうすぐ、100万部発行に
近いと水田は美子にいった。
美子もわくわくしていた。

花山は常子に新しく何か記事を
書かないかという。
常子は社長業が忙しくて
最近記事を書いていない。

常子さんにしかかけないものを
書いてほしいというのだ。

常子は、「なにをかくか、
考えてみます」と
返事をした。「ところでお母さんは
どうしている?」と花山は聞いた。

あるひ、ぼんやりと庭を見ていた
君子。七夕が近いので
子供たちが作った
笹の短冊をみあげていた。
すると、急に具合が悪くなって
君子はうずくまってしまった。
庭で洗濯物を干していた
鞠子が驚いて駆け寄った。


「なんでもない」という君子だった。
そこへたまきが潤と真由美をつ
れて帰ってきた。

何でもお遊戯会があって
その衣装を作らないと
いけないという。
鞠子は美子に造ってもら
おうというが
君子が自分が作るといった。
たまきも手伝うという。
君子は久しぶりに
ミシンを踏んだ。
たまきは針をつかって
器用にしあげた。

その衣装をきた潤と
真由美が夕餉が
終わってからみんなに
お遊戯を
披露をした。
衣装は
なかなかの好評だった。
かわいいとかセンスがいいとか
言い合う中また、君子が倒れた。
4日後君子は入院した。

常子と鞠子と美子は病院で
医者から話を聞いた。
主治医は最善を尽くしますがという。
一日一日を悔いなくすごすように
という。
君子は癌だった。

君子は三人の娘たちに
たわいのない話をした。
病院の待合櫃の横の売店で
「あなたの暮らし」を売っているらしく
それを買って読んでいた人がいた。
君子は嬉しくなって声をかけて
話をしたという。

「ところで、先生はどうおっしゃった
の?ちゃんと正直にいって。」
といった。
常子は「何も心配いらないって、
ちゃんと治療をしたら治るって
おっしゃっていたわ」という。

君子は「そう?だったら退院したいわね」
という。「ここで一人はさみしいわ。」
常子は笑って
「わかりました。
お医者様に聞いてみますね」といった。
君子は「お願いね」と
笑った。
******************
常子がトト姉ちゃんになって
竹造のかわりに家族を守ると
誓ってから長い年月がたった。
あのとき、家族を守ること
鞠子と美子を嫁に出すこと
家を建てること
その三項目はすでに果たし終えた。
そして、君子は賑やかな家族に
守られて幸せをかみしめて
いた矢先だった。
君子を病魔が襲った。
常子は癌を悟られないように
しようと思ったのか
笑顔で何とも無いといった
ようだった。
このころ、私はなにをしていたのか。
まだ小さな子供だったが
日本が、わいわいと
楽しくにぎわい

社会が
便利に、お金持ちになって
行くのが
あたりまえのように
感じていた。


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