ふと気が付くと、なんとなく、生活全体が物足りないような気持ちになることが多くなっていた。
こういう気持ちは、なにもそんなに長く人生をやっていなくたって、誰もが一度は感じるに違いないと思う。
どこか漠然とした物足りなさみたいなものが、頭の中から離れなくなってくるのだ。
人生っていうのは、もっと刺激に満ちあふれていて、思いもかけない出来事が次から次へとわきおこるような、そんな世界ではなかったのか。
そんな疑問がふっと湧くようになった。
子供の頃は、そんな出来事はひとりでに向こうからやってくるものだったが。
でも、いつのまにかそれは自分から求めなくては、現れなくなっているのではないか、という焦りに似た気持ち。
何かしなくてはならないのではないか??
まあ、強いて言えばそんな気持ちだろうか。
確固たる意思に基づいた気持ちではなくて、なんとなく他に何かできることってあるかもしれないなあ、という、非常にふにゃふにゃとした気分になるときというものはあるものなのだ。
要するに退屈なのだ。
退屈なのだ。
そんなとき、よく思い出すのは、去年の冬に青春18きっぷで北海道へいったときのことだ。
何時間もかけて列車を乗り継いで青函トンネルを抜けて北海道に行ったことだ。
今日からしばらく北海道に行ってきます。
旅行中に携帯から掲示板に日記をかければと思っています。
こういう気持ちは、なにもそんなに長く人生をやっていなくたって、誰もが一度は感じるに違いないと思う。
どこか漠然とした物足りなさみたいなものが、頭の中から離れなくなってくるのだ。
人生っていうのは、もっと刺激に満ちあふれていて、思いもかけない出来事が次から次へとわきおこるような、そんな世界ではなかったのか。
そんな疑問がふっと湧くようになった。
子供の頃は、そんな出来事はひとりでに向こうからやってくるものだったが。
でも、いつのまにかそれは自分から求めなくては、現れなくなっているのではないか、という焦りに似た気持ち。
何かしなくてはならないのではないか??
まあ、強いて言えばそんな気持ちだろうか。
確固たる意思に基づいた気持ちではなくて、なんとなく他に何かできることってあるかもしれないなあ、という、非常にふにゃふにゃとした気分になるときというものはあるものなのだ。
要するに退屈なのだ。
退屈なのだ。
そんなとき、よく思い出すのは、去年の冬に青春18きっぷで北海道へいったときのことだ。
何時間もかけて列車を乗り継いで青函トンネルを抜けて北海道に行ったことだ。
今日からしばらく北海道に行ってきます。
旅行中に携帯から掲示板に日記をかければと思っています。