HP作成日記

更新情報のせてたのですがHP作成関連ばかりなので。
本編はリンクの本館へ。

nと戦いつつ

2005-08-11 | テーマサロン
引き続きうちのPC、熱暴走です。
メモ帳を広げていて、席を外して帰ってきてふと見るとnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnと10行くらい自動書記されていて。

油断もすきもありゃしない、と一人でぷりぷりと怒っておりますが

・・・この自動書記、どこかで見た事があると思ったら、大学の時眠さに耐えて無理にノートをとったときのあれです。あとから見直したら暗号のような文字が並んでいたというあれ。

なつかしい

じゃなくて。

そろそろ覚悟を決めないといけないかも。





nと戦いながらほんとうに久しぶりに某所にログインしたら、消えてしまわれた方がいて。

文章がすてきな方で、とても好きだったのですが。

仕方ないのかな、とおもいつつ、もうその方の文が読めないのかと思うと

とてもさみしい。です。



13才の原爆ドキュメンタリー監督@USA

2005-08-11 | テーマサロン
コンピュータ、動かなければただの箱

を実感しつつあるこの2,3日。なんとなく症状はわかりつつあるのですが、いよいよだめかしら。それとも冬になればまた使えるのでしょうか。

メイン更新。とてもじゃないですが、一回じゃ無理だということを実感。続き物に。(でもでもしかし、このマシンでいま続き物をするというのは無茶ではないのかと自問)


で表題はこちら。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091122890940.html
シカゴ郊外の13歳の中学生、スティーブン・ソートー君とトレイス・ゲイナー君の2人が、原爆ドキュメンタリー「ジーニー・イン・ア・ボトル」(15分)を構成から編集、作曲まで全て自分達で作り上げたということで話題になっている。

今年は、広島・長崎原爆投下60周年にあたるということもあり、このビデオの反響はかなり大きく、核拡散防止条約再検討会議開催中のニューヨーク国連でも上演され、スタンディング・オベイションだったという。

何で「原爆ドキュメンタリー」を作ろうをしたの? きっかけは?
「もともと映画作りが好きなんだけど、学校の授業で原爆について触れた時に、すごく興味を持った、というのがきっかけかな? でも学校の課題研究のような形のビデオにだけは絶対にしたくなかったんだ。ちゃんと作って沢山の人に観てもらいたかった」と言う二人。

1942年、最初の核反応とマンハッタン計画のエンリコ・フェルミと共に働いていたシカゴ大学の物理学者へのインタビューや、シカゴ訪問中の秋葉忠利広島市長へのインタビューしたもの等が盛り込まれている。

2歳のときに被爆し白血病となって逝った佐々木貞子の千羽鶴の話を取り入れたり、13歳からの視点で撮った同年代へ向けた映画だが、国連での上演後の反響が大きかったせいで、英国、韓国、イタリア等から上演の話が持ち上がっていて、6日にはカナダへ行くという。

他国で上演の話が持ち上がっているのに、当の日本はどうなんだろう?
「秋葉広島市長も広島にいらしてください。と言ってくれたんだけどスポンサーがいなくて」とスティーブン君。

エンリコ・フェルミ・・・いやすごい。
中学生のころ、そんな名前は知らなかったよ。日本人だけど。
(でもフェルミさんはフェルミ・レベルの方が日本では有名かも)

(2020年の核兵器廃絶の目標は達成できると思う? という問いに)
「あと15年じゃ早過ぎるかもしれないけど、不可能なんてことはないんだ」という。

前向きですねぇ。頼もしい。

だけど、アメリカの学校できちんと原爆教えてるんですね。
それでこういう子たちが出てくるのはうれしいことです。



いやそれにしてもですね、秋葉市長。

いらしてください じゃなくて ご招待します なんでは。

せっかくアメリカの未来ある青少年が一生懸命作ってくれたのだから。

広島に呼んで、お好み焼きと海のミルク=広島名物牡蠣を食べさせてあげれば。
それくらいの価値はあると思いますですよ。外交的には。





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