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大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

翡翠 勾玉

2021-05-21 06:10:00 | 神仏について

勾玉の形は興味深いです。何故この形なんだろうと色々空想が湧いてきます。2つ合わさって陰陽の丸とか、69とか。月と太陽が合わさった形とか。胎児の形とか。色々ですね。


先日、急に妹が三つの勾玉を描かないとと思ったとか言っていました。天井画も着々と進めています。寝不足気味ではありますが。


また、勾玉を胎児の形とすると、超音波のない時代に胎児の姿をオタマジャクシ(お)にみたてた方がいたら、それは神通力かも!


無から男女の結合により胎児は宿ります。母の子の中で、胎児はおたまじゃくし(魚類)から人間の形になるまで進化をして誕生します。太古の生命体が何億年もかけてやり遂げた進化を母の胎内でたった1010日で。命の誕生の神秘です。




また、色々調べているとこんな図もありました。淡路島と琵琶湖。なんとも、奥深い!意味がありそうです。イザナギ様とイザナミ様は最初に淡路島をお造りになりました。




ところで、勾玉は翡翠で作られていたようです。新潟県の糸魚川辺りが翡翠の産地です。糸魚川の翡翠の霊力効果は「蘇り・不老長寿」のようです。





古墳の人骨の「胸」に糸魚川翡翠が置かれており、死からの再生、復活を意味し、不老長寿の霊力があると信じられていたみたいです。糸魚川翡翠を持つことが出来たのは、「特別な地位の有力者」か「祭祀・呪術を行う人物」でした。


糸魚川市は新潟県の最西端であり、昔の上野(こうずけ)の越後。つまり上越。その歴史も古く縄文時代、日本列島から朝鮮まで及ぶ翡翠の交易発祥地でした。


翡翠は、日本だけでなく、海外の歴史物や神仙物のドラマでもでてきます。交易の面でかなり貴重だったのではないかと。


十里桃花、夜光石画像検査より

確かに、夜光石は黒翡翠。昔電気がない太古、石が夜光るわけですから、それは昔の人は心惹かれたように思います。


また、ジブリ映画が好きな方なら、天空の城ラピュタのヒロイン、シータがもつ飛行石は翡翠だとわかると思います。この飛行石ですが、元々はラピュタ王国にて作られたもので、ラピュタ王家に代々受け継がれていました。


王家の末裔だったシータは特別な時以外は石を身に着けないことで、その存在を隠し、脅威から守ってきました。





天空の城ラピュタより


その滅ぼされた王家は実は天空には存在していたのです。






宮崎駿さんは映画を作るにあたり、インスピレーションを縄文時代からの翡翠の産地であった越の国にヒントを得ていたのかもしれません。越の国に隠された滅びた古代王朝があると夢想して、翡翠を鍵に映画を作ったのかもです。勝手な私の空想ですが。


飛行石はラピュタの王家の末裔シータが持つと威力を持つのと同じで、パワーストーンとかは持つべき人に辿り着くのかなと思います。私は残念ながら全く持っていません。


ところで、翡翠の産地糸魚川から静岡にいたる地質は、日本列島を東北日本と西南日本に分ける断層です。糸魚川は、フォッサマグナの西側の境界断層です。日本海から太平洋を縦に分断する割れ目です。






陰陽の分断、割れ目のようにも感じます。

勾玉の翡翠には、穴があけられています。アクセサリーとして身につけるには糸を通さないといけないからともいえますが、とても堅い翡翠に穴を開けるのは至難の技だったともいえます。


しかし、この穴、陰陽の勾玉の中の黒点や白点は意味があり、それは陰陽を繋ぐ穴かもしれないと思いました。




また、勾玉の穴をそのように捉えると素敵だなと思います。2つそろうと丸になりますし、片方を身につけるのは、貴方と一緒に丸になりましょうみたいな意味かな?双子もお腹ではこんな感じかな?





地質の分断は地震を引き起こしますから、なんとも、分かれて欲しくないところです。丸く丸く繋がって欲しい。


話しは変わりますが、翡翠は青い鳥カワセミの漢字でもあります。メーテルリンクの物語、幸せの青い鳥を探しに旅にでたけど結局は自分のところにいたというお話が有名ですね。




カワセミを表す漢字は沢山あります。翡翠、魚狗、水狗、魚虎、魚師、など。特に魚狗、水狗、魚虎、魚師などの漢字はカワセミが巧みに魚を捕らえる様子から来たとも言われといます。


カワセミは縄張り意識も強く単独行動を好むみたいですね。鉱石としてかなり堅い翡翠と、縄張り意識の強いカワセミ。なんだか、頑なペアですね。笑


堅い翡翠に穴を開け糸で繋げてアクセサリーにしたり、祭祀に使われていたこと、魚や川の漢字が糸魚川の地名にあるから、カワセミが川で魚を捉える姿を空想させたり。青いカワセミが翡翠の色みたいだったり。なんだか、言葉遊びみたいでグルグル糸で繋がり面白いです。




【画像は勾玉画像検索、フォッサマグナ検索より】





スクスク育て!

2021-05-20 06:53:00 | ひとりごと

教育現場、学校で子供はピュアですから、先生の言う事は正しいと思います。私も小さいころはそうでした。日本を批判する先生がいたら、日本は批判すべき国だと子供は思うかもしれません。大人になると、冷静に振り返って先生も色々だったなぁと思います。笑


勉強という枠に拘らず、努力には価値があると思います。学校教育が、人との出会い、自分の可能性や好きな事を開くきっかけにもなるのなら、価値があると思います。


学び自体も知識の詰め込みでなく、知りたいと湧き上がることをどんどん深めることができれば、本来は楽しいのかな。


教育と受験が結びついたあたりから、詰め込み偏重にならざるを得なくなったのかもです。少しずつ変わってきているとは思いたいですが。


また、教育が「結果」を求め過ぎるようなった事が、教育現場に被害者を生み出してしまったのかもしれません。大学生に会う機会があるのですが、割合は多くないけれど心の病を発症している子たちが毎年います。


ひとりひとりの子供たちにある光を気づかせるのが人を育てる教育ではないかな、と思ったりします。勉強は嫌いなら嫌いで、そこそこで良いかな、そのかわり、本当に好きなことには心をこめ思い切りやって輝いてほしいです。


趣味でも、スポーツでも、ダンスなんかでも。何でも、自分が楽しいと心から思えることを。


誰しも生まれたからには使命があると思っています。自分の内にあるものを輝かせて欲しい。日本の未来に希望を持って欲しい。好きな人のためには頑張れるように、日本を好きな若者が増えると良いなと思います。


そして、何よりも自分を好きになって欲しい。自分で自分を応援してほしい。そこが大事!自分が嫌いなんて思ったら、自分の中の神様は悲しみます。


否定や不満で日本を批判するのをテレビでみます。そんな、批評家が、不倫して次は批判されたり。


情報過多な社会でそんなのをみると、子供達は酷いなぁ、大人って、と思ってしまうかもしれません。純粋であればある程、びっくりします。


日本は本当は、素晴らしく安全で、多くの国民が正直で優しい人が多い国だと思っています。無くした財布がそのままで見つかる稀有な国と海外から絶賛されています。控えめですが奥深い文化を持つ素晴らしい国だと思います。


今は自分でテレビ以外に情報を沢山手にいれることができるようになりました。良い情報を選択して欲しいです。


情報も他人の意見もすぐに鵜呑みにするのでなく、自分の心のフィルターにとおして何が良いのかを見極め、自分の内なる神様の魂に合う良い思いを自分に反映させて、どんどん出していける若者が増えるといいな。


また、教育がそういう若者を増やすようなものへと少しずつ変わっていくと良いなと思います。詰め込みではなく、考えたりする過程を楽しんだりする場へ。


変えていく努力をしている現場の先生と、全ての若者を応援します!全ての若者がスクスクのびのび育って欲しいです。


田無神社

2021-05-19 06:40:00 | 神社仏閣

早くも梅雨入りですね。今日は、東京の田無神社のお話をします。


白龍の夢を見たあと、夢だというのにリアルだったし、可愛かった(←失礼!)から、龍神様が気になり東京では龍神様に縁深いとある田無神社に行きました。


龍はいるのか、いないのか、実際には見たことないからわかりませんが、いるとしたらエネルギーなんだと思います。


田無神社ですが、前の神主さんがお亡くなりになり、息子さんになったようです。昔を知りませんが、若い神主さんがとても神社を盛り立てようとされている気がしました。


ご利益グッズ販売も、龍神様の色に合わせて色々。私はグッズはあまり興味がないので買わなかったですが。

また、絶滅危惧種のメダカを神社の池で守ろうとしたり、開かれた神社という幟が沢山ありました。


今の神主さんの妹さんは、サッカー選手の原口元気さんの奥様だったり、大鵬さんが寄付した土俵があったり、青春の門の作者、五木寛之さんが九州から上京して早稲田の学生時代によく参拝してたとか、色々おもしろい話しがありました。




田無神社検索画像より


私は、そういうトリビアも楽しいなと思うのですが、神社は純粋にその場所に漂う氣を味わいに行きます。そして参拝させていただけた感謝のみを奉納します。


混んで無い方がやはり嬉しいです。観光地化された神社も活気があり良いですが、有名ではない神社のひっそりとした感じも惹かれます。あと、神話が好きなので御祭神の繋がりを見て空想するのが好きですね。


本殿には、金龍神。また、恵比寿、大黒社。塩竈社。少彦名社。弁天社。そして、四方を守る黒白赤青龍などいらっしゃいました。




ところで、田無の名前の由来は、田んぼもないほど水に恵まれないという意味だといわれています。


徳川家康は青梅街道を開くにあたり、水が豊かで肥沃な幕府直轄領に住んでいた谷戸の人々を水に恵まれていない青梅街道沿い田無に移住させました。


田んぼ、米には水は欠かせません。梅雨は鬱陶しいですが、農家の方には有難い雨です。田んぼが無いほど水が無い、そこに、江戸城や江戸の町作りのための、宿場町田無を造営したわけです。


神社の創建は鎌倉時代のようです。龍神様をお祀りして雨を乞い願う人々。田無の地に、五大龍神様を祀るのは、水という人間が生きていくには欠かせないものを願う気持ちからだとも思いました。


今では、口ひねるといつでも水が出ます。手水舎は、龍や蛇を象っているものが多いです。




蛇口をひねると水が出るなんて、昔の人がタイムスリップして今を見ると、ひっくり返るくらい信じられないことだと思います。井戸水が枯れたら、龍神様に雨を乞い願うしかなかった時代からいったら今はパラダイスです。感謝です。


龍つかいになる本とかあるようですね。なんとも、人間を上にしたネーミングで、驚きです。龍神様がいるとして、龍を使おうとする時点で、ん?と思ってしまいます。


水や雨を乞い願うような純粋な気持ちでなく、あれやって、これやって、とオネダリするイメージが「龍つかい」という響きに入っている気が何となくします。


空海さんは、旱魃で苦しむ生まれ故郷、讃岐に溜池を作り龍神様に祈り雨を降らせました。これは、大欲で、自分の願いは多くの民が生きるためです。

龍神様に思いが通じたのか、満濃池に水が凄く溜まる程雨が降ったそうです。そして、民の感謝は龍神様にも届いたと思います。


自分だけの欲心を願うのは小さな欲心、小欲だから、もし努力なく叶ったとしても、見返りが要求されそうです。感謝を忘れたりしたら、もっと大変。


とにかく、謙虚に自然に感謝して生きたいです。龍神様がいるとしたら、目に見えないけれど、水を循環させてくださっていると思うので、その自然のエネルギーに感謝したいです。


歴史の敗者

2021-05-18 06:36:00 | 神仏について

今日は、昨日の続きです。ご訪問ありがとうございます。


太古の歴史の中で、闘いに負け隠れした一族とか、敗者だって、命からがら逃げて今に命を繋いでくれているご先祖は日本の至る所に確かにいると思っています。


時代の波にのまれたりしながらも、生きている私達は、全てが勝者から縁を繋いもらって今を生きているとも思えません。


京から離れた配流の地、平家の落人なんかが隠れたのが、四国の阿波や土佐(高知県)です。歴史上、権力闘争に負けた人が流されたりしたのが佐渡島であり、九州であり、色んな小島です。


後醍醐天皇は、凄いですね!流されても、何度も復活します。後醍醐天皇を助けた楠木正成様は色んな神社で祀られていたり、皇居前にも銅像がありますが、明治天皇が御即位される前はそんな事なかったようですね。




悪党と言われた時代もあったわけです。楠木正成様の功績を正当に認めたのが明治天皇だということです。


時代によって、悪党とされたり、英雄になったり、人が色付けするのは、白黒真逆になるから、何とも不思議。


古代は未開の東北(蝦夷がいた地)なんかも、権力争いに負けたら逃れるには最適地だったかもしれません。


高知県出身の自分の血には敗者の涙も刻まれているかもと思っています。


配流の地だったと歴史で習った時は、えっ、犯罪者の流された場所!?と思った時もありましたが、悪徳お代官や、悪徳お殿様もいたでしょうし、土佐のいごっそうや、はちきん気質なら、嫌なものにまで媚びへつらうなんて出来ないかもです。情が厚い故郷の気質を私は気に入ってます。笑。


高知には、なんと、平家落人もびっくり!?な、もっと古代の遺跡も土佐市高岡から発見されています。居徳遺跡群という縄文時代晩期、(2800-2500年前)の遺跡です。


9人分15点の人骨が出土、内3体分には金属器によると見られる鋭い傷や矢じりの貫通痕があり、鑑定した奈良文化財研究所は「国内最古の集団同士の戦闘行為の痕跡」と発表したというのです。


平和だったとされる縄文時代に戦争が存在した可能性を示す画期的な発見のようですね。

縄文時代の敗者が悠久の時を経て何かを語るとは、ロマンなのか、悲しみなのかわかりません。


居徳遺跡群は、この「居徳人骨」以外にも様々な古代の出土品が出てきたそうです。


主に東北地方に分布する大洞式土器(縄文晩期~弥生時代初期)

国内に類例のない精巧な文様で装飾された木胎漆器(縄文晩期)





日本最古の木製鍬(縄文晩期)

全国最大級の土偶頭部(縄文晩期)





県内最大規模の祭祀跡(古墳時代前期~中期)


などなど。


昨日の長髄彦の話しに戻りますと、長髄彦の同系図によると、登美建日別命(長髄彦か?)は国造(阿波南部)や、我孫や都佐国造(土佐)の遠祖でもあり、事代主神の孫に位置づけられているともありました。


つまり、長髄彦本人は討たれたか、討たれたように見せかけて逃げた?ものの、その子孫は後世に残り、散らばらり、縁者の中には、四国の阿波・土佐方面に逃走・遷住し、国造りをしたものもいる?ということなのかもです。


また、高知県の田村遺跡からは、弥生時代の銅鐸が多数出土しています。高知県の銅鐸は、三輪氏や賀茂氏族との関連が指摘されているようです。


同じような銅鐸の出土分布が島根(出雲神話舞台)をはじめ、兵庫、徳島、奈良(三輪氏の本拠)、滋賀、長野(諏訪神一族)といった、三輪氏と物部氏の政治連合体で象徴的に用いられていたようですが、神武東征の影響で崩壊した可能性が指摘されていました。Wikipediaより。


銅鐸が何に使われたのか、祭祀なのか?はっきりしていないようですが、何か共通の部族間に銅鐸の形などに共通する特徴があったようです。


また、高知県には旧物部(安芸市や香美市)と呼ばれる地名や、物部川などもあります。


仏教が入ってきた際は、神道の物部氏と、推仏派の蘇我氏の対立がありました。物部氏は日本の土着の信仰を語る上ではかなり重要な鍵を握ると思いますが、敗者となり神道は仏教を抱きかかえる形?というか、圧倒される形で歴史はその後長い間推移します。


しかし、それを良しとしない物部氏一族の誰かが命からがらにげて四国山地を越え高知にたどりついたとしたら、そこで縁起地名、物部を絶対無くならない水、つまり、川の名前に残し純粋な神道の祭祀を継続していたのかもしれません。

 

都から離れ山に囲まれ、海に面した高知の地は、隠れるにも逃げるにも適していた?かもです。しかし、追われてビクビクしてたかもと空想すると少し可哀想にも思います。、、って、空想がすぎました。


昔から今に至るまで、この世に生まれるからには、人は一点の曇りのない完全な善人もいなければ、一点の光の無い完全な悪人もいないと思っています。歴史の勝者敗者は、視点が変わるとすぐ、善人は悪人へ、悪人は善人へと変わったりしてますから。


揺れ動く中でたまたま歴史の敗者となったとしても、私は敬意を持って亡き御霊を思いたいなぁと感じています。


地名にはロマンが詰まってますね!神様にちなんだ地名には、ワクワクです。そして、遺跡や遺構は何かを語りかける気もします。


また、気が向いたら古代の空想を書きます。長々と私の空想話し、トンデモなお話にお付き合いくださりありがとうございました。多分沢山事実とは違うと思います。

m(__)m


おわり


長髄彦

2021-05-17 05:50:00 | アニメ

今日の話は、マニアックです。自分の整理のために書いておきたいと思います。

大和朝廷に刃向かった勢力は、土蜘蛛もそうですが、関西にいた長髄彦(ながすねひこ)もいます。


ジブリ映画が好きなかたなら、『もののけ姫』の主人公アシタカモデルはエミシとされていて、「大和の王朝との戦いに破れ、北の地の果てに隠れ住むエミシ一族の数少ない若者であり、一族の長となるべき少年。」とわかると思います。


宮崎駿さんは、アシタカを東北の蝦夷の英雄アテルイと考えて作品を作ったようですが、なんだか、調べていくと、私は、アシタカを長髄彦ととらえてもよさそうな気がします。

宮崎駿さんの作品だから、やはり、宮崎駿さんがアテルイだといえば、アテルイですね。失礼しましました。笑。


長髄彦は、奈良の生駒市を支配する豪族だったようです。(生駒は転勤族の家庭で育った夫が幼少期を過ごした地です。)生駒の地は登美(トミ)とよばれており、長髄彦は登美毘古(トミヒコ)の別名もあります。生駒市には、トミがつく地名があるようです。

長髄彦の「長」は昨日も書きましたが、蛇を意味する「ナーガ」にあたり、「スネ」はソネ(曽祢)かスワ(諏訪)にも関係すると指摘されていました。龍蛇信仰の諏訪大社と繋がりました。

記紀には書かれていませんが、別の書物には長髄彦の出自について、事代主神(飛鳥大神)の縁者で、三輪氏一族の族長だったともあり、大蛇が三輪山の眷属神とされる大神神社の三輪氏と関係があるかもとされているようです。地理では三輪山と生駒山はとても近いです。



長髄彦の本拠地、奈良県生駒山近くには、鳥見(登美)という地が二か所あるようです。現桜井市と現奈良市で、長髄彦の本拠は桜井市のほうだったようですが、奈良市の方とも無縁ではなく、かなり広くを勢力範囲としていたようです。


この二つの鳥見にはそれぞれ等弥(トミ)神社、登弥(トミ)神社があるようです。また、富(トビ)神社は、出雲にもあります。行ったことはありませんが。


奈良市の登弥神社のご祭神のなかの一人に登美建速日命という神がいらっしゃいます。この神が登美毘古すなわち長髄彦なのではと指摘されている方もいます。

土着の長だったにもかかわらず、神武東征の際、大和朝廷に敗北したが故、朝敵とみなされ古事記なんかでは、けちょんけちょんに書かれていますが。


言霊のトミにも注目します。

北の鳥見(登美)は長髄彦の本拠地であり、その守護神(金の鵄トビ)の発祥の地であり、南の鳥見(登美)は長髄彦軍とイワレヒコ軍(後の神武天皇)が再度あいまみえ、金の鵄が飛来したところであるとされています。


色々調べて、わかった事があります。金の鵄トビは金の鳥であり、化鳥(トビ)。トビの言霊は、トベ、サカ、ナガ、ナガラ、ナガオなどとも繋がる、蛇神の呼び名なのです。長(ナガ)髄彦=登美(トミ)毘古が、金の鳥を守護神としたのが納得です。


また、ヤワタ(ヤアタ)、ミワ(ミイ)の言霊も、蛇神です。


全国には、八幡神社が多いですが、これは、ヤハタ、ヤワタ。元は蛇神様を信仰していたとも。ちなみに、八幡信仰はもとは白山信仰です。土着の蛇神信仰を隠すために八幡に意図的に起きかえられたと思いました。


また、白山は越の国です。後風土記には、「崇神天皇の治世、越の国にある人がいた。名を八掬脛(ヤツカハギ)という。その脛の長さは八束であった。力があり強かった。彼らは土雲の後裔である。その一族は大勢いる」とあります。


八掬脛のに注目すると、「上野利根郡後閑村(現群馬県)には八掬脛社があり、長髄明神というとの事が、松屋筆記(七十八)に見えている。」と書かれているものもあり、八掬や、土雲(土蜘蛛)と長髄彦は、線で繋がりました。これらは、大和朝廷に逆らった勢力であり、一括り(ククリ)にされた朝敵だったのです。


また、八の掬は、キク。菊。クク。白山神社の御祭神、菊理姫、ククリヒメにつながり、また、天皇家の菊花紋にも関係ある気がします。


蜘蛛については、

金井南龍氏の著「神々の黙示録」で、南龍氏が白山にて白山神界の封印を解いた時に、天から白山の眷属なる金蜘蛛が降臨された

とコメントにて教えてもらいました。


多分、今日の話しはなんのこっちゃと頭がごちゃごちゃとしたと思います。すみません。私の頭は、空想が空想を呼びますから。簡単に、色々繋がったのを纏めると、

超古代、多分縄文時代とか?に、土着の龍蛇信仰をしている民がおり、クモの名前だったり、ナガの名前をつけられたり、持って?いました。

その一族は、島根(出雲)、長野、奈良の生駒山や三輪山、白山あたりに、(ほかにも沢山あると思いますが)土着信仰を守り住んでいました。


素戔嗚尊が高天原を追われてお造りになった国土の土着の民、つまり国造神は、水を崇める龍蛇など自然の恵を大切に思い生活していました。


しかし、何の因果でしょうか、素戔嗚尊が嫌われて高天原を追われるように、土着の民たちも、恭順でなかったが故、その自然信仰を隠されたり、追われたり、逃げて、生活することを余儀なくされたように思われます。


白山には、掬脛(ツカハギ)という、大和朝廷に反駁した一大勢力がありました。しかし白山の名前は、幡と置き換えられ全国の白山神社は、八幡神社と名前を変えられました。御祭神の理姫、ククリヒメも、記紀には一度しか登場しません。


しかし、そのお役目は、天照大神の両親であるイザナギ様、イザナミ様の仲をとりもつ、ククリ直すという、日本国にとってはなくてはならない存在でした。

天照大神の皇祖天皇家が、菊花紋をもつのはこのククリ姫と繋がりがある気がします。


私の生まれた高知にも、逃げた勢力は多分いました。明日、書きます。まだ、書くんかい!と怒られそうですが。苦笑。


その押し込まれ隠されていた魂が、顔を出してきたようなそんな気すらします。


龍神は、やがて鳳凰になるそうですね。長髄彦は別名トミヒコ。蛇を表すナガトミ(鳥)と繋がります。つまり、金の鳥。鳳凰へ。


私が以前みた夢、鷲か鷹が羽で丸を描いていた形。その時は、何を意味しているかわからなかったけれど、あれは、大鳥神社の神紋(鳳凰)と同じだ!と最近気付きました。



目黒 大鳥神社神紋


押し込まれた御霊がいたとしたら、令和の時代には、大鳥のように(飛び)トビたって欲しいと思いました。そして、金色にキラキラ輝いて欲しいです。


つづく