御祭神は
大己貴命、少彦名命
民を難儀から救うために降臨された神と紹介されています。
二神は力を合わせ心を一つにして天下を経営し、まじない、医薬などの道を教え、日本の国の礎を作った神様です。
大己貴命は、大国様とも言われ、慈悲深く福徳を授ける神として崇敬されています。
また、神話で大変親しまれている神様でもあり、「因幡の白兎」の昔話は特に有名です。
鰐(わに)に皮をはがれて苦しんでいた白兎に、真水で体を洗い、ガマ(蒲)の穂の上に転がると傷がいえると、教えてあげたという神話です。
古くから、福や医療の神様として慕われていることがわかります。
少彦名命は、医療祖神と仰がれ万民を難病から救う神として信仰されています。
少彦名命も神話によく出てきますが、多くの場合に大己貴命と一緒に行動し、温泉(湯治場)を開発、医療の方法を定めた神様として語られています。
そのお姿は一寸法師のモデルともいわれ、御神影のように大己貴命の手に収まるような小さな体と語られています。
↑↑これは、ホームページから抜粋
ツアーは混みますから、初めに集団から離れて道路わたって海に立つ神磯鳥居へ向かいます。
そして、神磯鳥居へ。
兎に角、海が最高に綺麗でしたね。
御祭神が降臨された岩礁を「神磯(かみいそ)」と称し、神聖な場所として禁足地としており、鎖がはってあります。
また、水戸の徳川光圀公が当神社を参拝の折に、この景観を称え、
あらいその岩にくだけて散る月を
一つになしてかへる浪かな
と詠まれましたようです。月光に光る海、音を聴いてみたくなる、そんな場所でした。
荒磯、と詠まれるように、波が荒い写真が多いようですが、私達が訪れた時は穏やかな美しい海でした。
そして、大洗磯前神社にもどり、100段の階段を登る途中の清良神社を参拝しました。その近くの池です。清良神社は祟りを鎮める神様だとガイドさんが言っていました。
今はコロナですが、大昔は天然痘が流行り、飢饉が起こるなど大変な時代で、特に御祭神御降臨の3年前には流行り病が猛威を振い多くの死者が出たようです。
薬も医者もいない時代に常世の国(不老不死の国)とも言われた常陸の国に医薬の神、スクナヒコナ神が
「今、民を救わんがために、また帰り来たれり」
と仰り降臨されたのは、もう2度と同じような災難が繰り返されないよう、人々の願いを受けて二神が降臨されたと考えられています
神仏混合の際は、大洗薬師寺の薬師菩薩明神とされました。同じく医薬の神様です。
境内から涌く水は眼病に効くといわれ明治時代まで「目さらしの井」があったりと、神社前の海岸は潮湯治(病気治療のため、海水につかること)で江戸時代から御祭神の御利益をいただこうと賑わっていたようです。
また、東日本大震災では4mの津波が、この地を押し寄せたにもかかわらず、大洗町では津波での死者はいませんでした。
「目さらしの井」があった辺りには今でも少し水が湧いているようですが、不思議なことに、この時には大量の水が湧き出し、大洗町は震災の際は断水していましたので、この御神水を求めて多くの町民が神社に訪れ、喉を潤すことで地震で沈んだ心が癒えた方が多くいらっしゃった話があります。
神様は、人々を助けようと、いつも思ってくださっている、そんなお話ですね。
さらには、断水という非常事態により、人々の心が水の恵みを当たり前でなくつくづく感謝した、その多くの人の内なる神の心が、非常事態にあって奇跡をもたらしたのかもしれませんね。
神は目に見えない全てを抱く慈愛そのものなのですね。感謝。
境内裏手に梅の花が咲きます。
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
あるじなしとて、春な忘れそ
茅葺の屋根は痛みやすいので茅葺の社殿は少ないようですが、拝殿裏手の本殿は茅葺屋根ですから、そちらは見てくださいねと、ガイドさんが教えてくれました。伊勢神宮などは茅葺ですと。そういえば、宇佐神宮も茅葺だと現地でガイドさんが言ってました。貴重かつ稀少なんですね。茅葺く前にウガヤフキアエズ命を産んだ豊玉姫を思います。
本殿
御神体は石のようです。光る石が本殿の中にあり、見ることは出来ないけれど、本殿の真後ろが一番近いと教えてもらいました。姉と2人で参拝できました。
拝殿 の透かし彫り14体のうち、正面からは10体見える。元禄時代のものらしいですね。
境内社 御本殿のひだり 大杉神社の神様、右、伊勢神宮の神様。
次は後本殿右手へ向かいます。