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大善人へ身魂磨き

大洗磯前神社 末社併合奉斎殿

大洗磯前神社本殿の東西には「末社併合奉斎殿」がありました。

このお社は、境内の各所に鎮座していた末社を東西の社に併せ祀った神社のようです。ツアーの人数は多かったものの、はじめに亀磯の鳥居をみてきたからか、姉と2人で参拝することができました。それぞれ三社がお祀りされていました。

ホームページより


全て手をあわせましたが、私はこの中で静神社に注目しました。

静神社は、君の名は ムスビ をかいた時に紹介した倭文神がいらっしゃいます。
機織りの神様ですね。
星に縁のある神仏を随分前に書いていました。機織りを伝えたとされる神ですから、秦氏に縁があるのかな、スクナヒコナ神は様々な技術を伝え大国主命と一緒に国を造りましたが、その中には養蚕もありました。
そして、大国主命と国造りをされた後、この神社の近くの磯から、常世へ還ることになります。


恭順しなかった月や星を信仰する天津甕星(あまつみかぼし)は、別名、天香香背男(あめのかがせお)です。この茨城の地で倭文神に説得されて従うことになったようです。

日本神話においては星神(天津甕星)は服従させるべき神、「まつろわぬ神」として描かれ、星神を信仰していた部族が大和王権になかなか服従しなかったことを表しているようです。

全国の星神社や星宮神社の多くは天津甕星(カガセオ)を祭神としているようですね。

茨城の日立市には大甕(おおみか)という地名があり、神と人の住む境界として「大甕」が埋められていたか、あるいは「大甕」をおいて祭祀が行われ、祈願の際に祭壇にささげられた酒をもった器にちなんでつけられたといわれています。

甕🟰カメ🟰亀🟰神🟰醸す

また、大きな甕は太古は棺でもあり、日月は、この世とあの世の陰陽のイメージもあります。スクナヒコナ神は常世に帰りますが、それが茨城のこの地です。実はこのあと3社目で行く御岩神社の山の頂上は、土蜘蛛が最期を遂げた地なのです。(後日書きます。)

酒🍶の神様、機織りの糸を紡ぐ養蚕を伝えたスクナヒコナ神。機織りの神様、倭文神を通して、酒でも飲み交わし星を司る天津甕星を説得したのでしょうか。恭順しなければ、更なる被害を被るかも、我慢しろ、、と。もしくは、機織りにも関係あるこの地に逃げた一族を全滅させたことを、あたかも機織りの神様が説得させたようにしたのか、、

いずれにせよ、スクナヒコナ神がこの地から常世にカエルのです。海の中に、逆列(サカツライ)という岩があり、そこが目印(明日記載します)です。逆(さか)列磯前神社を酒列磯前神社と漢字を変えています。スクナヒコナ神はお酒の神ですから。

秦氏は、沢山もたらした技術を残して、大陸に一度帰ったのかもです。それは、徐福も二度来訪して、二度目はニギハヤヒを名乗った、、という出雲の本の内容と関係があるのか?ニギハヤヒは道教を広めようとしたともあります。道の教え。日本神話には、土着の信仰、大陸からの信仰、融和と攻防が織り込まれているのかもですね。

星神を信仰しても月神を信仰してもいいじゃないですか。。元は一つ。

今は信仰の自由があって良かったですね。✨🌝🌞 😌


葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで、天津甕星はタケミナカタ神と同一神とされることもあるようです。また、北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもあるようですね。

また、平将門創建で妙見菩薩(今はアメノミナカヌシ)を主祭神とする福島県の相馬市にある相馬中村神社、その近くの南相馬市にも「大甕」という地名があるのも、

因縁が輪廻のように近い場所で繰り返されている感じがして不思議だなぁと思いました。




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