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大善人へ身魂磨き

信じるということ

信じられぬと嘆くよりも、

人を信じて傷つく方がいい


武田鉄矢さんの贈る言葉のフレーズ。


私は人を信じて、傷つきたくない。

最後まで信じ続ける。


人の御魂には神様がいるから、

人を信じることは

神様を信じることだと思う。


自分にとって

信じられないようなことをされたり、

言われたりして、それを

裏切られたとか、傷つけられたとかは

自分勝手な幻想で、


本当の自分の御魂は他者によって

傷つけられるようなものではない


自分の御魂に相手が反射するくらい

磨けていたら

相手が何故そういうことを

したのか、言ったのかがわかり

時に相手の真意を汲み

自分の至らなさを思い知る。


自分の御魂がくもっていると

起こったことの背景も何も

関係なく、信じることを

放棄するのかもしれない。



そんなことを考えていました。


条件付きの信じるだと

自分の思い通りでないと

すぐ落ち込む。


いったい信じるって何だろう?


こうあって欲しいと他者に願う

そんな思いこそ、

自分の自意識であり、

我なのかな


まるで、神様が願いを叶えれば

神様を信じますというのと

同じなのかも


信じるということにおいても


信じ抜き、

信じ切るということにおいても

まだまだだなと自分を反省する



コメント一覧

あき
鬼雷さん

おはようございます
中国の故事にまつわる逸話を教えていただきありがとうございました。故事や完璧の言葉のいわれを知らなくて調べ感動しています。

宝石は、君主の心をあらわしているのかなと思いました。下和の心は信じて貰えない事を悲しんでいましたが、宝石は、下和を信じる気持ちを持った文王の元で、光り輝き、後に国に富をもたらしたのですね。
文王がきちんと今までの君主がした過ちを下和に詫びる姿勢も過去に国の代表がしたことを自分のこととしており、当然かもですが、なかなか出来ることではなくて素晴らしいです。

また、争わないのが国家のためという、恥も外聞もすて、私欲のない心を守り抜き、最古は藺相如と廉頗将軍は互いに認めあい和した話も、形のない心の本意を知る姿勢の大切さも教えてくれている気がしました。

やった、やられた、仕返す、罵るを繰り返すうちは、まだまだで、信じる心を持てるように頑張ろうと思います。
コメントありがとうございました。
鬼雷
こんばんはです。人の言の葉と書いて、信と言いますね。

例えば、中華の昔の話では、信義とは、刎頸の交わりと申します。

話は長くなるのでここで記しませんが、お互いの誤解の中、藺相如を廉頗将軍は口舌と徒とし、排斥しようと、立ち向かいましたが、藺相如は、自らがへりぐだり、和を大切にしました。
藺相如の真心は、国の安寧にあったゆえんであります。
その心に気がついた廉頗将軍は、自らの過ちを正す為に、鞭を自分に打つように述べました。
ここに、藺相如と廉頗将軍は、互いに認めあい、刎頚の交わりを結びました。
ここに、和氏の壁に因果があります。和氏の壁をもって、完璧と申します。

さて、信なる道は、思いやりなる道で御座います。
あき
スーさん

温かいコメントありがとうございました♪

自分を信じる、それが一番ですね。
凹みながらその穴を埋めながら😅
私も人生まだまた修行中です。

その修行は終わらない気もしています😚
sue2006
私は、信じてもらえる自分でありたいなぁ。
裏切られて凹むことはあっても、人を裏切らない自分であれば良い。
自分を信じる、それが一番。
そう思いました。
まだまだ人生修行中です。
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