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大善人へ身魂磨き

白太夫 と紀貫之 高知県長岡郡大津

前回の続きです。


白太夫が,お亡くなりになった高知県の長岡郡大津村船戸ついてです。


「和名抄」記載では、大角(おおつ)郷の地とありますから、大津は、大角だったのですね。高知県高岡郡津野町にあります津野山(昔は東津野山と呼ばれていました)は「角山」だと以前教えてもらいました。


この地は、長岡郡に属し、村の東南部に高天ヶ原(たかまがはら)山の小丘が広がり、三ッ塚(みつづか)古墳群、そのほかに六郎山(ろくろうやま)古墳などがあり、かなり早くから開かれた地だったようです。


長岡郡に国府(現南国市)が設置されると、大津はその外港として重要な役割を果しました。


土佐守として赴任した紀貫之は934年、土佐を離れますが、その「土佐日記」一二月二七日条に「おほつよりうらどをさしてこぎいづ」としるします。


この貫之が船出した大津は、「今ノ大津村ノ中ナル、鹿児崎ノ東北ニアタリテ、船戸ト称フ地アリ、コレイニシヘハ国府ヨリ出テ、乗船セラレシ所ナリトイヘリ」と記され、現舟入川左岸の舟戸(ふなと)の地に比定します。


この大津の船戸で、白太夫は946年2月11日にお亡くなりになります。今の建国記念日ですね。


一方、紀貫之は、平安時代、土佐の同じ地、大津の船戸をわずか12年前に離れています。白太夫は同じ地で命つきます。同じ時代を生きた人が、土佐に縁をもつんです。


高知県にはもう1つ大津村が土佐清水にあります。土佐清水あたりは、四万十川が太平洋に合流するあたりです。





大津村地検帳によれば、安楽寺や天神の表記があるようです。


安楽寺は、菅原道真公に縁深い筑紫にあります安楽寺に因んで土佐に、息子が建立した菅原道真と縁深い寺です。


そのほか、大津村は、島根にもあるみたいです。斐伊川水運の要衝で、奥出雲と深くかかわっているようです。


中世、島根の大津村には杵築大社(出雲大社)の神田のほか日御崎社(日御碕神社)や鰐淵がくえん寺なども存在します。鰐淵といえば、ワニ族などに関係ありそうです。


出雲大社から北西に9km。日御碕(ひのみさき)という高台には素戔嗚尊(スサノオ)の終焉の地と呼ばれる遺跡があり、また、須佐神社も終焉の地とされています。


大津村の地名だけでも色々調べると、おもしろいですね。



わたしだけかもしれませんが。。😅


つづく

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