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大善人へ身魂磨き

南無阿弥陀と医術とホジュン

踊り念仏は踊ることで救われると説いたものでしたが、念仏は念仏でも、苦しい世の中で、極楽を願う民に南無阿弥陀仏と唱えると救われると説いたのが親鸞聖人の浄土真宗です。


私は熱心な仏教徒でも無いし、親鸞聖人が開祖で悪人でも救われると説いたことしか覚えていませんでした。


自分の悪いところや、嫌なとこを思い、あぁ、こんな自分でも念仏を唱えたら大丈夫なのか、がんばろ、と気持ちを切り替えていけるとしたら、有り難い教えだなぁと思いました。


韓国ドラマ、ホジュンを纏った時間がある今の時期にゆっくり観ています。2回目なので、ストーリーはわかります。韓国ドラマは、長い。60話以上とか平気にありますから、覚悟を持って観る。笑


ホジュンは、おそらく朝鮮の方は知らない人がいないくらい、朝鮮王朝時代の偉大なお医者様のようです。身分制度の厳しい中、身分の低い中から王の御医にまでなった方でした。


まだ、宮中に入る前に、ホジュンは師匠の一人と出会います。その方は、お大師様と呼ばれた医員兼お坊さんで、当時壮絶な差別をされたハンセン病の患者を集め、山寺で医術を施します。


このお大師様と多くの患者から慕われた方が、南無阿弥陀仏を唱えるんです。


ただ念仏を唱えなさい、救われますから。一部の学のある、経典を理解した人や、身分の高い人、僧だけを救うのでは無い、一人残らず衆生を救う感じがします。

生まれ出た貴賤でしか人が判断されない時代、差別なく人が渡われる教えはきっと有難いものだったのかもですね。


ホジュンに出てくるお大師様は、数奇な運命でハンセン病の子供を養子にし、


社会の冷たさを目の当たりにし、外見を蝕む病苦により差別されたドン底の患者たちを家族とし、寝食を共にし医術を施します。


印象的だったのは、


患者を一人救うことで、ひとつ自分の邪心が消えるのだ、


自分は、患者によって救われた


とお大師様がいうところです。



医術を施したり、何かを為して「自分が」やったといいません。


自分がやった、やってあげた事に拘るうちは、その行為により自分が救われていることには気付けないし、


衆生を救おうとする阿弥陀仏の愛により、自分も生かされて救われていることにも気付けない、ということでしょうか。


ホジュンは、人生の中でどん底の時にこのお大師様の元に行き沢山の学びを体得します。


ドラマで心医が語るのが、医の道は、本来なら立身出世や金欲なんかの私心が入らない道であり、目の前の人を救いたい、楽にしたいという憐れみの心でなされるものだということでした。


藁にもすがりたい苦しみや痛みを自分のことのように感じるのが心医だと。


医という漢字からも、刺さった矢を抜いてあげたいというイメージがあります。


ドラマには脚色もあるでしょうが、様々な記録や偉業がホジュンにはあります。結果的には、立身出世しましたが、そうなろうとしてなった訳ではなく、内なる魂の尊い発露が外にあらわれたといえそうです。


ホジュンが韓国や朝鮮で心医だと今も呼ばれ語り継がれるのは、その尊い生き様からだとも思いました。











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