威光消えない熊野本宮神社跡地
鎌倉時代、時宗を開いた一遍上人は、踊り念仏を唱えました。空也聖人から多大な影響を受けたといわれています。熊野の地でも踊ったのかな?と想像しました。
踊り念仏は、念仏を唱え太鼓をたたき、集団で踊るうちに、無我の境地にはいるというもので、当時の人びとに広く受け入れられたようです。楽しそうですね。
踊りを舞ともいいますが、舞は無と同源のようです。無は「无」が「元」の漢字です。
巫女の舞も、無から「元」有るべき状態を乞い求め、雨乞いなんかの際使われました。静香御前の雨乞いの話もありました。巫女の巫も、無(无)と同源の漢字です。
日本には、お祭りがあり盆踊りなんかも、帰ってくる目には見え無い故人を癒すために踊ります。
踊りや舞の伝統の中に、目に見え無いけど、確かに存在しているだろうものを大切に思う心を残しているんだなあと思います。
片付けるの意味の仕舞うは、無に帰することを天に祈り、舞い納める意味もあるようです。
もとは、能からきた言葉で、シテが貴人のアンコールにこたえてきちんと終わらす、美しく締めくくることのようです。
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終わり良けれは全てよし、きちんと仕舞う、今の終活とかも、日本人の美徳かもしれません。
また、武士道の精神は、日本が誇る精神性だと思います。この、武士の武も、舞や、巫女の巫、無と同源の漢字のようです。無(无)から派生した漢字はどこか本来の姿に戻ろうとするような共通点がある気がします。
武士道では、命よりも、全てに恥じない死に方を選びます。お仕舞いにも、振る舞いも、美しさをという潔さがあります。
恥の精神は、日本に根付く高い精神性だと思います。自分に対して、常に恥ずかしい行動をしてい無いかを俯瞰して見る精神性です。
生かされた命も、必ずお仕舞いを迎えます。誰しも、さぁ、舞ってきなさい踊ってきなさいと生命を与えられ、この世に送り出されたのかもしれないですね。
舞も、踊りも、アワ踊り、ドジョウスクイ(土壌救い?)、よさこい踊り(夜さ来い踊り)、色々ですね。
下手で結構。楽しく踊りあかそう♪サンバビバサンバですね♪
生きていると色々ありますが、お仕舞いまで諦めず自分なりに前向いて舞い踊りたいなあと思いました。