どんな亀か写真を紹介します。
大分県、宇佐神宮 亀の背にのる社殿。
安心院 鏝絵(こてえ)に鶴亀
すっぽん遺跡 安心院
大分県佐伯 大入島の島
原尻の滝近くの八幡神社 in 大分
豊後大野
祖母山登山で見かけた石 in 大分
祖母山登山で見かけた磐座
大きすぎて全体像は撮れなかったです。
阿蘇から福岡へ向かう道中
亀に鷺
左京鼻 壱岐島
長崎の壱岐島 辰の島辺り
亀づくし🐢🐢🐢🐢🐢
亀についてですが、
祭祀に何故使われたのだろうと考えたことがあります。
鹿も、何故鹿の骨が神事に使われたんだろう?と。
鹿の神事については以前書きましたので、亀の神事について書いてみたいと思います。
大嘗祭なんかの宮中祭祀にも今なお亀の甲羅を焼いてうらなう亀卜はあります。宇佐神宮では、熱せられた亀卜を冷ます竹が御神木としてありました。
宇佐の安心院はすっぽん料理が有名でした。
すっぽん料理in大分県安心院
亀を食べて、亀と一体になる。
まるで、諏訪の方が太古、鹿をタンパク源として食べて鹿と一体になるのと同じだと感じました。
天からの恵みを祭祀に使った後は、有り難く頂くという感じですね。
ところで、古代中国において、亀は「長寿と不死」の象徴、蛇は「生殖と繁殖」の象徴でした。
玄武の亀と蛇の合わさった姿を、「玄武は亀蛇、共に寄り添い、もって牡牝となし、後につがいとなる」と、陰陽が合わさる様子に例えているようです。津野山の天井画でも玄武は描きました。
「玄武」の本来の表記は「玄冥」と同じで、「冥」は「陰」を意味しています。
玄武は「太陰神」、つまり、北方の神様であり、季節でいうと冬で、冬の事を「玄冬」ともいうみたいです。
「玄武」の「武」は、玄武の「武神」としての神性に由来し、身体には鱗と甲羅があり故に武というとされています。
亀の甲羅は、確かに、亀の頭や身体の内側を守る鎧兜(甲冑)みたいですね。
奈良県の明日香村のキトラ古墳の石室内の北側壁にも玄武が描かれているようで、大陸から亀卜が奈良時代には既に伝わっていたことがわかります。
なぜ、亀がうらない(卜)に用いられたのかというと、玄武は、北にある冥界と現世を往来して、冥界にて亀卜、つまり亀甲占いの神託を受け、現世にその答えを持ち帰ることが出来ると信じられていたからのようですね。
竜宮を冥界とすると、亀の背にのって竜宮と現世を行き来した浦島太郎の話を思います。
郵便配達員になって冥界の便りを現世に運ぶイメージもあり、浦島太郎の話は何かを隠喩していそうだし、美しい海には、想像力を駆り立てる何かがある気がします。
つづく