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大善人へ身魂磨き

世界のトイレ事情

昨日の続きです。

フンコロガシはエジプト神話では日の出の神様でした。下働きを黙々とやってくださる神様でした。その流れから、今日は世界のトイレ事情について書いてみます。

格差社会って言葉があります。親の収入による教育格差、正規、非正規労働者などの労働格差、などなど日本でもニュースとかで聞ます。

しかし、そういう差よりも深刻な差が、日本と世界の特に水や、トイレ事情にはあります。

私の子供の頃は水洗トイレがない家もありました。しかし、トイレのない家はなかったです。


田舎なんかは、かなり水洗トイレの普及は遅かったですね。夜のボットン便所は怖かったです。


そんな時代を過ごしたからか、トイレのウォシュレットを見ると、日本って贅沢な国だなぁと思います。


トイレを綺麗に使うことはトイレの神様、金勝要の神様への敬意を表しますね。良い事ですね!


先日、とある団体から送られてきたパンフレットを読むと、スーダンでは自宅にトイレを持っている人の割合は32% 人口の3割は屋外で用を足しているようです。


女性は耐えらない気もしますが、現実のようで驚きです。娘はアフリカに行って水の事情は目の当たりにしました。トイレは幸いある家でした。


かつて、日本にも不衛生からくる疫病がありました。トイレを外でする国では今なお実際に多くが水や不衛生が原因の疫病にかかり、命が奪われているようです。


また、1日の大半を水汲みに費やす少女達がいます。その水は泥の混じった茶色い水です。朝、日の出前に「さあ、水を汲みに行きましょう。」と起こされ、茶色い水を汲み、日が沈む頃にようやくその

汲んできた濁り水を沸かして食事をするようです。


日本は、便座でお尻まで綺麗に洗うワォシュレットトイレの普及がある一方で、世界を見回しても、トイレ事情の差だけみても、同じ人間なのにこの格差があります。


水を1日かけて汲んでいる少女が日本に来てトイレをみたらどんな思いになるんだろう。私が反対の立場なら、用を流す水だけでなく、ワォシュレットの水に複雑な思いを感じるかもと思いました。


当たり前に水があるわけではなく全て神の恵です。水はより低い方へ低い方へと向かって流れ全てを潤した後大海に注ぎます。


日本は、戦後ボロボロの状態からここまで豊かな国へとなりました。日本人の勤勉さ、きめ細やかさ、真面目さの賜物です。トイレにおいては、世界ナンバーワンだと思います。水の豊かさと自然の豊かさのお陰ですね。



アフリカが同じように支援したらなるのか、それは、水が循環し下水道を含め安全な水を持続可能に出来るシステムを構築する必要があります。


しかし、日本のように自然豊かな恵まれた国で実現するよりもはるかに難しい様々な困難が、川や緑の少ない国々にはあるんだろうなとも思います。


水にさえ恵まれない国のトイレ事情を知るとは、日本に生まれた事は本当に有り難いことだと感じながらも、少し複雑な気持ちもわいてきます。


先進国の物質社会が、本当に困っている国をすくい分かち合う社会へ変わっていくといいなとスーダンの話を読み思いました。


恵を沢山与えられた日本は優しい国となって、世界の困っている人達に沢山の事を伝えたり支援していけたらいいなと思いました。



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