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大善人へ身魂磨き

阿蘇神社 in 熊本県

弊立神宮の参拝を終えて阿蘇に向かいます。子供の頃に来て以来だと夫はいいます。私は人生初です。阿蘇の噴火でできた大カルデラです。



車窓にも阿蘇を感じます。

阿蘇


阿蘇


あっそぅ、、🤭

阿蘇神社に到着です。
駐車場から御神木がみえました。



記憶に新しいですが、2016年4月14日2月に熊本県と大分県で相次いで発生した地震により、阿蘇神社の門は崩れてしまいました。
再建にむけて今なお建設中ですが、参拝客を喜ばせようと、門には壮大な絵がかけられています。

これは


エッ😳


近くには色んなお店が連なる通りがあり、クマモンがいました。

クマもんっていつもビックリしています。😙


それでは、阿蘇神社にて参拝します。


地震による傷跡を示すポスターと、復興の努力が紹介されています。



こちらは、さすが、一の宮、沢山の参拝客がいました。

再建のための建物が背後にあります。





3ヶ所で参拝をします。

阿蘇神社の御創立は孝霊天皇9年(紀元前282年)と伝えられ、約2,300年の歴史を有しており、全国に約500社ある「阿蘇神社」の総本社です。

御祭神は

健磐龍命
阿蘇都比咩命
ほか10柱

孝霊天皇(第7代)、健磐龍命の子で、のちに初代阿蘇国造となる速瓶玉命(十一宮)が、両親を祀ったのに始まると伝えられています。
阿蘇神社大宮司世襲し、この地方の一大勢力となっていた阿蘇氏は、速瓶玉命の子孫と称しています。(ウィキペディアより)

ボランティアガイドさんがいましたので、話しかけてみました。創建の由来や阿蘇氏の宮司さんの歴史が天皇家に繋がる事などを教えてくださいました。

ウィキペディアで後に調べると、阿蘇氏の本流は断絶し、傍流の宇治氏がこの地を治めたともあり、宇治惟宣の時代には阿蘇近辺を支配する武士団を形成していたようですね。神職であり、お殿様ということでしょうか。城跡が阿蘇神社の近くに確かにありました。政教分離ではない時代の統治を感じます。

源氏方で活躍した宇治氏が後に阿蘇姓を賜ったようですね。

こちら↓の説明はより詳しいです。

蘇氏の祖は一般に神八井耳命の子とされる健磐龍命で、『日本書紀』には景行天皇の親征に、子孫の「阿蘇都彦」(美穂主命)が登場します。

その後裔は阿蘇氏となりますが、その本流はのちに断絶し、傍流の宇治部公菟道稚郎子皇子の子代部に由来。のちに宇治宿禰を賜姓。)が継承したため、現在の阿蘇氏は宇治部公の系統である。

菟道稚郎子皇子は、仁徳天皇の兄です。宇佐神宮にて、若宮には仁徳天皇他4柱が祀られていましたが、この皇子様だけは春宮で一柱だけ祀られていました。

皇位継承を辞退するために、宇治川に身を投じたとされる皇子ですが、王仁博士を家庭教師につけ、将来を期待された皇子様だっただけに気になる非業の死ではあります。

九州のこの地にも縁があったとは。

九州に来ると、九州王朝は確かにあり、それは権力争いの末に幕を閉じたという気がしました。





下の絵が、地震により崩れてしまった門です。


系譜を色分けされていて、一の宮でお祀りされている神様、二の宮、三の宮、と説明してくださいました。



右手にみえる御神木は、地震の被害を免れました。とのこと。昭和天皇がお手植えされた、、とか言っていました。

天皇家の系譜も。
ボランティアを含め、様々な神社のガイドさんは、定年後の方などがご自身がお住まいになる氏神様を大切に思い語り継ぎたい一心でされていると感じました。

そこには、英語も単語が書かれており、おそらく、今はコロナで居ないですが、外国人のお客様にも語り継ぎたいという、温かい愛に溢れた想いがあるのでしょう。

皆さんお顔が福々しい優しいのです。

私達は、ボランティアガイドさんの話のあと、もう一度参拝をしました。



駐車場近くには手水舎がありました。

次は、阿蘇国造神社に参拝です。



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