昨日からの続きです。
神功皇后は、三韓征伐の際に龍神から授かった2つの珠(潮干る珠・潮満る珠)を使って、船で近づこうとする新羅軍を「潮干る珠」で足止めし、船を降り攻めてきた新羅軍を「潮満る珠」で滅ぼした話がありました。
また、神功皇后の祖先である天之日矛(アメノヒボコ)、おそらく、ツヌガアラシトも、伝来した時に持参した物に「玉津宝(たまつたから)」と称する次の8種の宝があったと言われています。↓
- 珠 2貫
- 浪振る比礼(なみふるひれ)
- 浪切る比礼(なみきるひれ)
- 風振る比礼(かぜふるひれ)
- 風切る比礼(かぜきるひれ)
- 奥津鏡(おきつかがみ)
- 辺津鏡(へつかがみ)
そしてこれらは「伊豆志之八前大神(いづしのやまえのおおかみ)」と称され、兵庫県豊岡市の出石神社祭神のようです。
伊豆志、イヅシ→出石。
また、
『日本書紀』でも、新羅王子の天日槍が渡来した際に次の7物を持ってきたと記されていて、但馬国に納め永く神宝としたといわれています。
- 羽太の玉(はふとのたま) 1箇
- 足高の玉(あしたかのたま) 1箇
- 鵜鹿鹿の赤石の玉(うかかのあかしのたま) 1箇
- 出石の小刀(いづしのかたな) 1口
- 出石の桙(いづしのほこ) 1枝
- 日鏡(ひのかがみ) 1面
- 熊の神籬(くまのひもろき) 1具
これらの但馬国の出石神社の御祭神の宝と、饒速日命が神から贈られた十種神宝には名前に類似点が多いなと思いました。
下記、十種神宝とは物部氏の祖、神饒速日命が天神御祖より授けられた宝です。↓

羸都鏡(おきつかがみ)一、
邊都鏡(へつかがみ)一、
八握劔(やつかのつるぎ)一、
生玉(いくたま)一、
死反玉(まかるがえしのたま)一、
足玉(たるたま)一、
道反玉(みちがえしのたま)一、
蛇比禮(おろちのひれ)一、
蜂比禮(はちのひれ)一、
品物比禮(くさぐさのもののひれ)
また、饒速日命が御祭神である元伊勢籠神社には、息津鏡・辺津鏡という2面の鏡が伝世しています。
饒速日命が持参していた十種神宝の沖津鏡・辺津鏡があり、また、アメノヒボコが持参した宝にも同様の名前の宝がありますね。
そこで、アメノヒボコの神宝に縁のある出石神社と、饒速日命の神宝に縁がある石上神宮には繋がりがないかなと調べましたら、ありました↓
出石神社には禁足地があり、天日槍(アメノヒボコ)の廟所(お墓)と伝えられるようです。しかし、そこに実は神宝が埋められている可能性があると指摘されている方がおられました。これら神宝は、日本書紀に、天日槍の曾孫の清彦(神功皇后の祖先)が天皇の求めに応じて自らが携えて献上し、石上神宮(神庫)に収められたとありました。
また、石上神宮にも拝殿南側に禁足地(布留社)があり、明治時代に、神功皇后に縁のある七支刀をはじめ各種の宝物が発掘されているようです。御神体が鎮まる霊域としてここで祭祀が営まれていたということですね。
三種の神器の原型のような、(渡来人のもたらした)これらのご神宝には、類似点が多く、古代からの何らかのメッセージが込められている気がしています。
饒速日命や、神功皇后、ツヌガアラシト(アメノヒボコ)に共通する神宝に象徴されるのは何を意味するのでしょうか。
つづく