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大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

自己犠牲と自己発露

2023-09-26 06:48:00 | ひとりごと

犠牲にする、犠牲になるは、英語ではsacrifyで、いけにえになる、自己を他者のために殺すとかいう意味もあります。


キリストの十字架は自己犠牲の精神の顕れだとかいったりします。


この自己犠牲の最初のsacriは、「神聖な」の英語sacredと語源が同じかどうかはわかりませんが、キリストの自己犠牲は、神聖なことに結びつきますので、語源は同じかなと思ったりします。


しかし、どうもこの自己「犠牲」という日本語には違和感を覚えます。


犠牲には、自分を殺すようなニュアンスを受けてしまうからです。

自分を殺すのは、自分の中にある大切な神様を殺すことで、それなら誰しも自己犠牲の無い世の中になればいいのになと思ったりします。神様を宿す自分の心を大切にする人が溢れる世の中です。他者の中にも、自分と同じ神様をみいだす世の中です。

自分で自分を殺す人がいなくなる世界が理想です。


宮沢賢治の小説、銀河鉄道の夜でジョバンニの友カンパネルラは友達を助けようとして水の事故に遭い還らぬ人になります。

周りからみたら、典型的な自己犠牲ですし、イエスキリストのような行為だとも思います。


しかし、カンパネルラからしたら、犠牲になろうと思っていたわけではなく、他者と自分に区別が無かっただけなのかなと思っています。相手の痛みがまるで自分のことだっただけ。

結果的にカンパネルラは犠牲になりましたが、他者を救うことが自分を救う、自分を救うことが他者救済。


なので、自己犠牲ではなく最大の自己発露🟰 revelationなのではないか、と感じています。revelationは顕現のようなニュアンスもあります。


犠牲にはどこか結果ありきのニュアンスがあります。

自己発露には、結果は関係ありません。ただ、その瞬間に魂を輝かせたか。

一瞬一瞬をきちんと輝かせたか。その一瞬は愛だったか。という、過程のみに重きが置かれている気がしています。


線路に轢かれそうになる人を見て、とっさに助け身代わりとなった方は、まさに、犠牲になろうとしたのではなく、魂の輝きが咄嗟に顕れて相手の痛み🟰自分の痛みとして、他者の痛みをとるために爆発するような光を放つ自己発露により最期を迎えた方だと思っています。


自己犠牲は他者からみた見方で、本人にとっては、自己発露(自己の魂の顕現)に過ぎないと思うと、


カンパネルネルラが、亡くなったあとに、ジョバンニに悲しそうに呟きます。

本当に良い事をしたのだから、お母さんは許してくれるだろうか、

その言葉の「本当に良い事」は、


「最大の神聖sacredな自己発露revelation」をしたのだから、


お母さんは、自分の行為を、受け入れて、自分をお母さんの中に生かしてくれるだろうかと読みかえます。

魂の顕現、それは、一瞬一瞬、一言一言にも刻まれている気がします。


残された者の無念な思い、それは故人への供養と共に時間をかけて溶かされるのかなとも思います。







ボタエモン童話 単衣と綿入れ

2023-09-21 05:40:00 | ひとりごと

カツラギ ボタエモンこと、出口日出麿さんの童話を紹介します。




頑なに

××しなければならない、

〇〇してはいけない、、

なんていうときこそ、

柔軟に。。


神様の御言葉に忠実である村人を

可笑しく描いています。

神様は、村人の幸せを願っていますが、

自分の頭で、考えてね、、

という感じでしょうか。


あの時ああは言ったけれど、

時代が変わったから

いつまでも

こだわらないでもいいよ、

とかいうことも

あるかもですね。😌


ただいつの世も人々が幸せに、

寒い時は暖かく、

暑い時は涼しく、


辛い時は踏ん張れと

なにくそ石ではないけれど、




うずくまりそうになっても


道を歩もうとする人が

迷わないように

光を遣わし

縁を手繰りよせ

良い時期に繋ぎ、結び、

こちらで学ばせ

あちらで動かしたりしているのかもです


神様は今は何を望んでおられるのだろうと


自分で考えて動くことで

新たな風を吹きこみつつも

真に大切なものは誠に守り

良い方法で良い方向に色々

かわるといいですね。






らんまん 竹の花と南方熊楠

2023-09-14 04:21:00 | ひとりごと
らんまんも、残りわずかです。すっかり朝ドラはまってしまいました。仕事があるため、今は録画です。帰宅後の楽しみのひとつです。

竹の不思議。竹の花は120年に一度一斉にさいたら、竹林ごとお役終了のように一斉に枯れる話が紹介されました。
我が家にも竹の花があります。




ネット注文した際何かのオマケに付いてきたものです。今では、何を注文したか忘れましたが、そのオマケを今でも大切にとっています。

竹🎋は不思議で、中が空洞です。そして、竹はしなるけれど竹刀もあるくらいですから、非常に強いです。柔であり、また剛も兼ね備えます。

中が空であり虚であることは、柔剛を兼ねるのかなと思います。
神社の神域に竹藪が多いのも、結界の意味合いがある気がします。

そして、昨日のらんまんでは南方熊楠が出てきました。




神社がどんどん破壊されていく中、政府の暴挙を烈火のごとく批判します。神社は、大地と天の循環のエネルギーが自然の姿となって現れ、自然霊、ご眷属、目には見えない神々が確かに坐す悠久の神域だと思っています。
目先の利益のため破壊しようと政府が命令を出したころから、日本がどんどんと金欲、軍国主義、戦争へ突入したように感じます。

誰も見向きもしなかった田舎(渋谷)は、信じられないくらいの都会へと変わっていきます。それは、人のエネルギーがそうします。そんな時代が、朝ドラ、らんまんには描かれます。人々の織りなす当時のエネルギーが様々な形で感じられます。

南方熊楠は、昭和天皇との逸話が残る御方です。
昭和天皇と南方熊楠には、心と心の親交があったのだなぁと感じる和歌があります。

雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ

昭和天皇の和歌から、旧友への思いと森羅万象への思いが優しく感じられます。

南方熊楠は、粘菌の研究に熱心な御方でした。

熊楠が粘菌にひかれたのは学問的な興味ではなく、粘菌の小さな生命体を通じて、「動と静」「生と死」の表裏一体を感じ、そこに普遍的な宇宙の真理を見出したからと言われています。

熊野の地は熊楠にとって万物流転の思索を深めるのにふさわしい環境だったようです。

万太郎の出身の土佐の佐川にあります酒蔵が火落ちにより腐造を作ってしまい、潰れてしまいます。酒は神様が作ると信じられていた時代、女性は穢れているから酒蔵にさえ入ってはいけなかった時代でした。

日本酒は主に麹菌、乳酸菌、酵母菌の3種類の微生物がおり、余計な菌がはいると腐造となることが今はわかっています。

菌類の研究をして、酒の奥の深いところを藤丸さん、これからしてくれるのかもと期待です。

菌類は分解者です。


食物連鎖の最下層。この最下層の働きが無ければ、何も始まらない。土の中に坐す神様。

私の中では、勝手にですけど、榛名神社の御祭神でもあります、土の神様、ハニヤス神。
もしくは、別天津神のウマジアシカビヒコジ神です。

国稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名は、

宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神


目に見えるもの、見えないもの様々な菌類の無形の働きを理してかった御方が南方熊楠だったのだなぁと思います。紀州という木々が生い茂る土地に現れた大地の申し子のように感じます。

また、無形の目に見えない働きによって、南方熊楠、植物学者万太郎、植物画家の野宮さんといった、植物をハートで愛する存在が繋がるのは、袖振る縁も他生の縁だなぁ、まさに内なる神々が惹きつけあい、結ぶのだなぁと感じました。

らんまん、終わりに近づいてきて、ロス間違いないなぁと、、思います。

牧野富太郎博士の瞳

2023-09-04 08:52:00 | ひとりごと

「剣客商売」「鬼平犯科帳」の著者である池波正太郎が、牧野富太郎博士の写真を見て下記のように述べられていました。



九十余歳の博士の、大きな巾着頭や、耳までたれ下った銀のような髪の毛や、強情我慢的な鼻や、女のようにやさしくしまった唇や、痩せぎすな猫背を丸めて、両手に何気なく持った白つつじの花や


中略


何よりも私の心を引き掴んで離さなかったのは、その博士の眼であった。


 白い眉毛の下に、ややくぼんで、小さな、澄みきった眼がある。


それはもう、ただ澄みきっている眼というものはこういう眼をいうものであろうかと思われる美しさであって、一葉の写真を通して、この眼の美しい輝きが汲みとれるのは撮影もすばらしいものなのだろうが、撮(うつ)された対象が何よりもすばらしいのだと、私は思った。






朝ドラ、らんまんは終盤を迎えています。高知出身でありながら、幼い頃遠足で訪れた牧野植物園に縁のある植物学者くらいしか知らなかったのですが、らんまんをみて、


天命を知り天命に従い純粋に生きること、素の素晴らしさ、自然に親しみ自然から沢山教えられる発見の数々に感動する万太郎(牧野富太郎)の姿に、とても共感しています。


また、奥様のすえこさんも素敵ですね。何があっても万太郎を信じ支える強さや可愛さがあり、乾坤夫婦一対で後世に残る偉業を成した感じがしています。


目というのは不思議だなと思います。


何世も輪廻転生しながら人は姿形、生まれる所を変えながら刹那の世を生きている気がしています。


しかし、その目は、瞳は、ずっと永劫、同じなのではないかと思っています。


赤ちゃんの瞳を見たら、その透き通るような美しさ、水晶のような瞳に驚かされます。一旦、過去世を忘れ今生をいかに生きるかやってやるぞ!と、らんらん、キラキラしていて、その目に吸い込まれそうになります。


その瞳に、ほんの100年弱の生きている間、うつし世(現世)の中、何を映し、写し、撮すのかなぁと思います。


目にうつる対象「物」のみを映してそれに揺さぶられ、心を惑わしたり、曇らされるのか


心の目、瞳の奥に映される本当の光に気づき、それを現世に投影できるのか


天真爛漫に生きた牧野富太郎博士の生き様と、この目の美しさの話を知り、牧野富太郎博士は後者を生きた稀有な御方だったように思いました。


心の目を大切にしたい。


【画像はお借りしました】





世界は広い in 🇲🇳

2023-07-28 06:40:00 | ひとりごと
モンゴルに娘が行っていました。

バイトしてお金貯めて、経験を積んで、若いって、いいですね。やりたいことを実行にうつし、世界中に友達を作るなぁと感心します。

ボランティアなら日本でも出来るよ、という私に、色んな世界を見てみたいとモンゴルで住み込みボランティア。

エアチケットから全て何から何まで自分で手配します。何日から行ってくるね、、っと報告のみ。フットワーク軽いです。

経験は行動の先にあります。




こちらのゲルにて宿泊したみたいです。




この自然を見れただけでも良かったなと思いました。余分なものが何もない。

土と緑と空と水と自然の気。人が生きるには、定住出来ない、移動しながら家畜を飼いながら暮らすモンゴルの草原の人たち。

その大自然は、写真からも空気に穢れがない様子が伝わってきました。

いいねー見てみたいなぁと言うと、お母さん、次は一緒にボランティア行こう!と。笑

モンゴルの人の写真をみた時、日本人とそっくりなのにも驚きました。蒙古斑も日本人とモンゴル人だけだし、ルーツが近いのかも、、。
わかりませんが。

若い時は沢山の外の世界を見てみたかったなぁと思い返します。

バックパックを背負って、言葉の壁にもどかしい思いも沢山しましたけれど、今でもふとあの頃のアドベンチャーな日々、若かったなぁと思い出します。

今は日本🇯🇵の神社参りをするようになって、日本の素晴らしさに魅了されています。

日本はいいですね。

地球は、世界は、日本は本当に美しい。
みんな仲良く手を繋げば良いな。

外から内へ、そしてまた自分の中へ。

若い時はやりたい事に挑戦し、外に出てみて様々な所を見た上で、
次第に内にある、内鳴る素晴らしさにも気づくのかもですね。

沢山身体を動かして沁み込む何かもある気がします。