☆ HAPPY HAPPY DAYS ☆

気ままに書いています

パート2

2006年09月12日 | Weblog
「いつでもハワイにいけるように出発の準備をして置いてください」と言われるも次の日もその次の日も、留守電は「取れませんでした」のメッセージのみ。そんなことを言っているまに
ハワイに立ち寄っても1泊しか出来ない日程になりハワイは諦めることにした。
しかし、次に待っていたのは「日本に帰れない」と言う現実だった。
テロの被害にあったのは、すべてアメリカの旅客機。
私たちが日本から乗って行った飛行機はUAだったので
また、テロがあったらどうしよう・・・と飛行機に乗るのが怖くなって自分でもJALとANAに電話をかけて航空券を手配することにした。
ずっと話中で、やっとつながったと思っても一番早く帰れる方法で一週間後だった。
着るものもなくなっっていたのでコインランドリーで洗濯をしたり、ショッピングにも飽きて、ホテルのプールで泳いだりするしかやることがなくなっていた。

ホテルで会う日本人のファミリーの顔も覚えてきて
「帰れそうですか?」なんて会話をするようになってきた頃やっと、旅行会社から連絡が来て当初シカゴ経由だったのに対してサンフランシスコ経由の飛行機に換えることで2日後に日本に帰れることになった。


フロリダからサンフランシスコに向かう国内線はガラガラで
乗客も20名ほどしかいなかった。
座席も一人一列取れたので横になって寝ることも出来たけど
気流が悪く寝るに寝れなかった。
映画「ムーランルージュ」を観てたのを覚えてる。
サンフランシスコの空港も周りにはパトカーと警察だらけで
かなり物々しい雰囲気だった。

サンフランシスコから成田に向かう飛行機もガラガラで
飛行中、ずーっと窓の下に戦闘機が何基も飛んでいるのが見えた。
自分が乗っている飛行機が変な飛行を始めたら
撃墜されてしまうのかな・・・。
なんて思ったらまた怖くなって
やっぱり眠れなくなってしまった。

飛行機が無事に成田に着いたときには
本当に心から安心してほっとしたのを覚えてる。

9/22になっていました。

まさかこんなことに巻き込まれるとは思っていなかったので
行くときに買った2000円分のKDDIカードでは足りず
電話代だけで20000円くらいになってしまったこと。
延泊代はディズニーが持ってくれたこと。
ハワイに行けなかった分として30000円年末に旅行会社から戻ってきたこと。(全然足りないよ・・・)
ちょっと勉強になりました。

ハワイに行ってた人はホテルの部屋が足りず
みんな廊下やロビーで寝ていたと言うことを聞いて残念だけどハワイに行かなくて良かったと思えました。

じゃあちゃんは当時NY5番街に勤めていて、私たちの結婚式に来るため日本に来ていたのでテロの被害は免れました。(しかしNYに帰れたのは私たちが帰国してから3日後)


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