明鏡   

鏡のごとく

戦争への関わり方の違いから

2016-12-30 13:16:24 | 日記


事実として。真珠湾攻撃に加わった飯田房太海軍中佐や原爆投下したチャールズ・W・スウィーニーのように、当事者として、決定的なことをしたものは、後悔などしていないということ。

一方、うがった見方であるかもしれないが。
何をしていたかわからず、戦場を右往左往したり、野垂死にしたり、使われた感が色濃く残るものには、後悔というより、命令されてしたと言うことになり、嫌々ながらさせられたということになり、自分の意思に反して行われたということにまですることで、いつまでもしこりとして残り続けるということ。

戦争への関わり方の違いで、その戦争への思いも違ってくるということは確かなことだと思う。

そういったことも踏まえて。
閣僚による参拝や慰霊の旅は、上記のごとく関わりの深さから言えば、当然、責任を感じるものであり、すべての戦死者を弔い、すべてのなくなったものを慰霊するのは当たり前のことであり、他者に、とやかく言われる筋合いのものではないと個人的には思っている。

慰霊さえも文句を垂れるとは、人として、どうかしている。

たとえどんなことをした人であろうとも、死を悼み悲しむ者がいるということを、決して無視してはならない。


http://dogma.at.webry.info/201612/article_6.html