*+ Cloud Nine +*

ひさしぶりに復活!?

『世界の中心で、愛をさけぶ』に関連して

2004年05月20日 | +Music etc+
前回、この映画のことを取り上げたのですが、
その記事に、あるコメントを頂きました。

その方のご家族が白血病とのことで、カンタンな気持ちでこの映画を
みてはいけない気がするというものです。
また、死で盛り上がるのはどうなんだろうか・・・・と。

確かに自分が同じ境遇に置かれていたら、
やはり同じようにこの映画は見れないでしょうね。
それがいかに感動的な内容だったとしても・・・
また、何の問題もない健康な人間が
この映画の「死」を唯の感動の材料として見ていたとしたら
いたたまれない気持ちになると思います。
可哀想で済む人はいいよね!って気持ちにもなろうかと思います。
自分としてはそんな見方をしたくは無いですし、
この映画で扱われる「死」や「命」というものについて
きちんと考えるべきだと思いました。

では、この映画で描かれているのもはどのようなものでしょうか?
※実はまだ映画を見ていないので、原作をベースとして
 書かせてさせて頂きます。(一部ネタバレあり)

この作品の中で、主人公の朔太郎がラジオに投稿するエピソードがあります。
朔太郎は投稿を読んでもらう為に「友人(アキ)が白血病」
という話をでっち上げ、まんまと読まれることに成功します。
しかしその後、アキが本当に白血病にかかってしまい、
朔太郎は自分のついた嘘を後悔するとともに、アキを失うことに
強い悲しみを覚えます。
映画ではアキがこの世を去った後の朔太郎の喪失感や気持ちのゆらぎが
描かれているそうです。

少なくとも自分としてこの映画は、次々と人が死んでいくサスペンス映画や
アクション映画、ホラー映画などより遥かに「命の意味」に向き合った
映画だと思っています。多分、この映画(小説)で描きたかったのは「死」
では無く、「生きることの意味」ではないでしょうか。
人間は誰しもいずれは死を迎えます。
そのときまでの人生をどう生きるか、
その人の生きてきた人生の意味をどう考えるか、
それを考えさせてくれるものだと感じます。
少なくとも自分は、そういった気持ちでこの映画を見たいと思っています。

もっと書きたいこともあったのですが、頭と気持ちが整理できていないので、
ここまでにしておきます。
今、障害を扱ったドラマが多いので、そのことについても時間をみて触れたいと思ってます。