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ひさしぶりに復活!?

『自己責任論』自分なりの考察

2004年05月01日 | +News+
今日、人質となった2人の会見があったので、
今までの整理の意味も含めて自分なりの『自己責任論』
をまとめたいと思います。
この事件に関しての投稿はこれで最後にするつもりです。

まず、前提としておきたいのは、
米国占領政策とか自衛隊派兵問題といった政治的問題を
ここで語るつもりは無いということ。
政治的な問題を絡めてしまうと、政府とNGOとの間の
確執など複雑な問題が、彼ら自身の問題と混同されてしまう
と思うからです。

まず、人質となった人達に対してバッシングが行われていると
言われていますが、国民は最初から『自業自得だ』といった
論調だったでしょうか?
自分は違うように感じています。
殆どの人々が安否を心配し、無事に帰ってきてほしいと
願っていたと思います。
家族の会見段階で多少は異論を唱える人もいたでしょうが、
本格的に『自己責任論』が噴出したのは、
救出された後の彼らの態度が原因だったと考えます。

救出後の最初の態度が
『自分達には使命があるから、これからも活動を続ける』
『自分達は信念に従って行動し、間違ったことはしていない』
では無く
『ありがとうございました』
『ご心配をお掛けしました』
だったらどうでしょう?
こんな事態にはなっていなかったと思います。
ここまで『自己責任』とバッシングされることも無かったでしょう。

もし、自分が彼らの親や親類だったとして、
子供が反対を振り切ってイラクに行って危険な目に合い、
その救出後の第一声が
『これからも活動を・・・』だったら、どうでしょう?
頬を引っ叩いて『こんなに心配掛けといて、何言ってんだ!』
と叱りつけるでしょう。
国民の怒りはこういことだったと思うのです。
『心配掛けてごめんよ、母さん!もう心配掛けないなから』
といった態度を期待していたんだと思うのです。

彼らはジャーナリストであり、NGO活動家だったため
『感謝』の言葉より『信念』や『使命』の言葉が
前に出てしまったのでしょう。
そこに一般的な国民との大きな溝があったのでしょうね。

このように、バッシングとなってしまったことの根幹は、
『自己責任においてイラクに行く』ことの良し悪しではなく
非常に日本人的な感情におけるものだと思います。