わらび機まつりの由来
蕨は江戸時代の終わりごろから綿織物業が盛んになり
昭和30年代くらいまで生産されてきました
蕨の機織りの先覚者である「髙橋新五郎翁」は現在の塚越(稲荷)神社の末社に
「機神様(はたがみさま)」として祀られております
新五郎翁は、文政9年(1826年)7月7日の霊夢のお告げにより
それまでの高機(たかばた)に改良を加え「青縞(あおじま)」を織り始めたところ
江戸の市場を圧倒する人気を得
その後、普段着などにする「双子織(ふたこおり)」を世に出し
綿織物生産地・蕨は、全国的に知られるようになりました
いつのころからか、この7月7日を機業創始の日として
同業者が集まってお祭りをするようになりましたが
時の町長・故高橋庄次郎氏はこれを町全体の祭りとしてとり上げ
織物業はもちろん町全体の産業の発展を願い
昭和26年7月7日「第1回機まつり」が盛大におこなわれました
その後、昭和28年には七夕装飾コンク-ルを実施し
昭和30年から8月7日を中心に開催するようになり
現在まで「機織りの町わらび」の伝統を大切にして
「わらび機まつり」は今年で68回を数え、蕨の誇る観光事業に発展しています
蕨は江戸時代の終わりごろから綿織物業が盛んになり
昭和30年代くらいまで生産されてきました
蕨の機織りの先覚者である「髙橋新五郎翁」は現在の塚越(稲荷)神社の末社に
「機神様(はたがみさま)」として祀られております
新五郎翁は、文政9年(1826年)7月7日の霊夢のお告げにより
それまでの高機(たかばた)に改良を加え「青縞(あおじま)」を織り始めたところ
江戸の市場を圧倒する人気を得
その後、普段着などにする「双子織(ふたこおり)」を世に出し
綿織物生産地・蕨は、全国的に知られるようになりました
いつのころからか、この7月7日を機業創始の日として
同業者が集まってお祭りをするようになりましたが
時の町長・故高橋庄次郎氏はこれを町全体の祭りとしてとり上げ
織物業はもちろん町全体の産業の発展を願い
昭和26年7月7日「第1回機まつり」が盛大におこなわれました
その後、昭和28年には七夕装飾コンク-ルを実施し
昭和30年から8月7日を中心に開催するようになり
現在まで「機織りの町わらび」の伝統を大切にして
「わらび機まつり」は今年で68回を数え、蕨の誇る観光事業に発展しています
以前この機まつりを見に来たのは、もう20年以上前かなぁ・・・
今年は、猛暑の中、行ってきました
コメディ映画「ミニオンズ」
今、若者に大人気の「電球ソーダ」
夜だったらピカピカ、キラキラ綺麗なんだろうな💡✨
生姜専門店の出店、みんな冷たいジンジャエール飲んでました🍹
春にこの生姜専門店で生姜の栽培セットを購入
今、庭ですくすく育っています
日本画家、河鍋暁斎(かわなべ きょうさい )
これは、ゆるキャラ、「わらじろう」
中仙道69次蕨宿の蕨( わらび)と草鞋(わらじ)をかけたネーミングの「わらじろう」
イベントがあるときは現れます
20年前と比べると、大がかりな飾りは少なくなったかな?
ものすごく暑かったけど、楽しかった🙂