湯川学の波がある人生 ~双極性障害だっていいじゃん~

双極性障害とともに生きる日常を書いています。「躁鬱病患者の電気けいれん療法」からブログのタイトルを変えました。

過去ブログ:病気以前その1(中学時代)

2010-11-17 07:27:18 | 過去ブログ
過去ブログを始めたいと思います。
※もし良かったら、ブログ「はじめに:その2」を参照ください。

どこまで遡るか、迷いましたが、今回は「中学~大学院時代」を書きたいと思います。
いま振り返ると、躁鬱気質であったことを記録に残したいから、中学~にしました。


中学時代は、どちらかというと所謂、不良と呼ばれる人たちとよく遊びました。
たぶん、俺も不良と呼ばれていたんだと思います。
ただ、小学校の頃から算数と体育は優秀だったんで、友達よりは成績は良かったです。
そういった中で、中学の番長とまではいかないまでも、友達の中では中心的存在でした。

中1、中2は、サッカー部で、よく練習をし、帰宅後も空き地に集まって、練習していました。
いくら練習しても、楽しくて、どんどん上達する気がして、パワフルに活動していました。
特に中1の頃は、中3の部長と仲良くし、空き地の練習にも参加してもらいました。
その頃から、年上の人と話すのが楽しいと感じていました。
そして、サッカーでは、ブラジル留学を本気で考えたことがあり、頑張れば、プロ選手に
なれるかも、と本気で思っていました。

中1から塾には通っていたのですが、いま振り返ると、目立ちたがり、自分が話題の中心でいたい、
という感じで、勉強以外のことでも塾に行って、塾長や他の先生とよく議論しました。
この頃から、おしゃべり好きというか、議論好きだったんですよね。
話題は、政治、哲学、科学など。

そして、中3のとき、塾長と政治の話をしていて、「俺は総理大臣になる」と宣言したことも
ありました。
俺が中学の頃は、日本経済の景気も悪くなく、頑張れば、なんにでもなれる気がしていました。

国語や社会は苦手だったので、英語、数学、理科で受験できる大学を意識して、高校も選択。
そのような科目で受験できるのは私立大学しかなく、私立大学で一番いいところ(何をもって
一番というかは難しいのですが)、そして自分の性格にもあってそうな大学ということで
Y大学理工学部を目指すことにして、そうすると高校も、それなりの進学校、可能なら
特別推薦枠のある高校ということで、M高校を選び、中3の夏休みからは受験勉強にかなり
熱が入りました。
とにかく、中1、中2、中3もほとんど、まともに勉強していなかったので。
でも、塾長の影響かもしれませんが、頑張ったら受かるという、あまり根拠もないことを
信じて勉強し(もちろん苦手な国語や社会も)、M高校に合格したのです!!


『一生懸命ものすごく頑張れば、ものごとは成し遂げられる』

という意識が自分の中に定着したのは、高校受験で合格したことがきっかけだったと
思います。

今回は中学時代だけにしておきます。もっと、さらっと書くつもりでしたが、結構な
分量になったので、次回は高校時代~。

やっぱり、中学時代に、「総理大臣になる」とか、考え方に躁鬱気質があるなぁと感じました。


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