
★中之島香雪美術館 サイト
『珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~』 Ⅲ 茶の道にみちびかれ ※9月2日(日)まで
7月からやっていたのに、会期切れあと1週間というところでやっと訪れることができた。
もっとも、御影の香雪美術館へは何度も足を運んでいるので、道具自体は見慣れたものだった。
最初に桂川花入が独立ケースに入って展示されていた。
(忠臣蔵にゆかりがあるし、まぁ、メジャーということで別格)
その後に続く展示は展示のされかたが御影とは違っていて、とても興味深かった。
御影は道具ごとにまとめて展示しているのに比べ、こちらは実際に開催され茶会の流れに沿って展示されていたのである。
(結構、最近の風潮デス)
村山龍平サンは嘉永3年(1950年)に生まれ、昭和8年(1933年)に亡くなった。
活躍時期は明治・大正の時代。
朝日新聞社の創業もして、政治家でもあって。
でも、朝日の共同者だった上野理一サンは若い頃から茶道のたしなみがあったそうだが、
龍平サンの方は元来、茶の湯は好きではなかったそうだ。
、美術品の鑑賞から次第に茶の湯へ傾倒するようになり、50歳を過ぎてから薮内流に師事するようになったのだとか。
そうして、藤田傳三郎や上野理一ら大阪の実業家18人が参加する「十八会」という茶の湯の会を結成した。
そして、明治35年(1902年)3月18日に大阪の自邸で第3回の十八会を催した時の道具組が紹介されていた。
会記のパネルがあって、その一部が展示されていた。
伊賀の耳付花入「慶雲」。
唐物の八角炭斗に伝・辻与次郎作の尻張釜。
木賊・蕨図の風炉先屏風がよかったなぁ。(江戸時代、寛政年間の頃の作。神先紹和という方が描いたらしい)
景徳鎮の古染付繋丁子香合も渋かった。
抹茶席の茶碗は彫三島「朝霧」。
これに合わせる茶入は展示されていなかったけれど、会記によれば不昧公の夜桜棗だそうな。ナルホド。渋いゼ。
独楽の食籠は蓋は東南アジア製だが、身は後から日本で蓋に合わせて作ったらしい?
他に煎茶席があったそうな。
十八会は明治35年の1月に始まり、毎月18日にメンバーの回り持ちで開催されていたようだ。
結局、翌年(明治36年)11月まで計17回開かれたそうで、日露戦争も始まったので打ち切りとなってしまったそうだ。
次は壬戌光悦会。
大正4年発足し、これは洛北の光悦寺で催される近代数寄者のそうそうたるメンバーが参加する会。
益田孝とか馬越化生とか三井松風庵とかが世話人をつとめていた。
その中で龍平サンは大正11年11月13日に席持ちをされた。
伝・光悦の日月図屏風がデーンを置かれたみたい。
道入作の楽焼耳付水指。ごっつい、飴釉の水指。
龍泉窯の青磁一葉香合に伝・与次郎の阿弥陀堂釜(←十八会の尻張釜よりもっと、重厚で古い)
茶入・茶碗の展示がなかったのが残念。
会記によると展観席が3席あったらしい。
3つ目は大正13年(1924年)11月14日に玄庵で開催された残茶会。
親しい友人を招いた小規模の茶会っぽい。懐石も出たそうだ。
参会者の中に高橋義雄(箒庵)もいた。
実はこの日、野村得七の碧雲荘に行くことになっていたそうだが、
以前から玄庵を訪れたいと思っていた彼は碧雲荘の方を夕方に延期してもらって、この茶会を訪れたのだとか。
伝・長次郎の炮烙(灰器)に名越浄味の秋草文長耳付筒釜(ペルシャの瓶みたい)、萩蒔絵柄の火箸。
赤織部の茶碗、織田有楽斎の茶杓、瀬戸の鉄釉水指、南蛮のおハンネラ建水。
うぅ~。これに合わせた茶入は何?と、会記パネルを観に行く。利休丸壺とのこと。さすが~
会記には懐石の献立も書いてあったけれど、覚えられなかった~
後座の薄茶席は溜塗菊形茶器に朝鮮の刷毛目茶碗(形が州浜の反りあり)
一入の黒楽茶碗「落葉」も出ていた。一入らしい黒楽なのに赤っぽい利休回帰の形。
そのせいかな。
玄庵の写しは11月半ばの季節に合わせているようなライティングだった。

間取り図、前からあったっけ?

高橋箒庵がらみ?で大正名器鑑の展示と掲載されている香雪所蔵の茶道具展示。
利休丸壺は前期展示で今回は拝見できなかったけれど、
瀬戸の耳付茶入「不聞猿(きかざる)」や高取の鮟鱇茶入「腰蓑」、瀬戸・美濃の黄天目。
龍泉窯の人形手宝尽文茶碗、朝鮮の御本雲鶴筒茶碗、光悦の黒楽茶碗「黒光悦」、仁清の「色絵忍草文茶碗」
など、香雪コレクションの代表格がずらっと並んでいた。
しかし、それだけではない。
エピローグが龍平収集の茶道具・優品選ということで、
唐物肩衝茶入「薬師院」、瀬戸・美濃の白天目、珠光の茶瓢形の茶杓、紹鴎の茶杓、利休の蟻腰の茶杓。
信楽の鬼桶水指、藪内竹心が描いた千利休像。
長次郎作の黒楽茶碗「古狐」。黒というよりは茶色。カセまくってる。
仁清の白釉鉄釉流耳付水指。乾山の色絵立葵文透鉢。
交趾の黄獅子香合(黄色というより赤楽っぽく見える)
仁清が多かったけれど、一昨年に御影で仁清展があって前後期ともに観に行った印象が強いだけに、有難みが少し薄かったかも
それと、敢えて言うならば、残暑厳しい中で汗かきかき炉の道具組、名残の時期の道具組を鑑賞するというの違和感があったかなぁ。
それと、間に朝日新聞社がらみの展示を見てしまうと注意力がそっちへ行ってしまうんだよねぇ。
今回は御影の村山邸の展示はスルーしたけど、朝日新聞大阪本社の建物の方はどうしても気になってしまうので、見てしまった。
旧大阪本社のビル、古い方は「大大阪」時代のものだと聞いていたけれど、昭和6年(1931年)の竣工だったのかぁ。
だったら龍平翁はあれを見ていたわけね。
旧フェスティバルホールが入っていたぶりは昭和33年(1958年)、高速が中を通っていた方のビルは昭和43年(1968年)かぁ。
なんか、時代を反映するビルだったなぁ。
昭和を代表するビル3つとも、もう存在しないなんて、残念だなぁ。
そして、平成の高層ツインタワーが今は建っている。

時代の流れにしみじみしつつ、グッズ売り場へ。
前回、お菓子を買ったのは覚えているのだけど、クリアファイルを買ったかどうか、自信がなかった。
(たぶん買ったハズ。でも、また見るとほしくなる~)

結局、自宅に2枚。
まぁ、1枚は普段使い用ににしよう。あ、お友だちに進呈するのもいいね。
※中之島香雪美術館バックナンバーリスト
2018年5月 『珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~』 Ⅱ.美しき金に心を寄せて →こちら
2018年3月 『珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~』 Ⅰ. 美術を愛して →こちら
『珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~』 Ⅲ 茶の道にみちびかれ ※9月2日(日)まで
7月からやっていたのに、会期切れあと1週間というところでやっと訪れることができた。
もっとも、御影の香雪美術館へは何度も足を運んでいるので、道具自体は見慣れたものだった。
最初に桂川花入が独立ケースに入って展示されていた。
(忠臣蔵にゆかりがあるし、まぁ、メジャーということで別格)
その後に続く展示は展示のされかたが御影とは違っていて、とても興味深かった。
御影は道具ごとにまとめて展示しているのに比べ、こちらは実際に開催され茶会の流れに沿って展示されていたのである。
(結構、最近の風潮デス)
村山龍平サンは嘉永3年(1950年)に生まれ、昭和8年(1933年)に亡くなった。
活躍時期は明治・大正の時代。
朝日新聞社の創業もして、政治家でもあって。
でも、朝日の共同者だった上野理一サンは若い頃から茶道のたしなみがあったそうだが、
龍平サンの方は元来、茶の湯は好きではなかったそうだ。
、美術品の鑑賞から次第に茶の湯へ傾倒するようになり、50歳を過ぎてから薮内流に師事するようになったのだとか。
そうして、藤田傳三郎や上野理一ら大阪の実業家18人が参加する「十八会」という茶の湯の会を結成した。
そして、明治35年(1902年)3月18日に大阪の自邸で第3回の十八会を催した時の道具組が紹介されていた。
会記のパネルがあって、その一部が展示されていた。
伊賀の耳付花入「慶雲」。
唐物の八角炭斗に伝・辻与次郎作の尻張釜。
木賊・蕨図の風炉先屏風がよかったなぁ。(江戸時代、寛政年間の頃の作。神先紹和という方が描いたらしい)
景徳鎮の古染付繋丁子香合も渋かった。
抹茶席の茶碗は彫三島「朝霧」。
これに合わせる茶入は展示されていなかったけれど、会記によれば不昧公の夜桜棗だそうな。ナルホド。渋いゼ。
独楽の食籠は蓋は東南アジア製だが、身は後から日本で蓋に合わせて作ったらしい?
他に煎茶席があったそうな。
十八会は明治35年の1月に始まり、毎月18日にメンバーの回り持ちで開催されていたようだ。
結局、翌年(明治36年)11月まで計17回開かれたそうで、日露戦争も始まったので打ち切りとなってしまったそうだ。
次は壬戌光悦会。
大正4年発足し、これは洛北の光悦寺で催される近代数寄者のそうそうたるメンバーが参加する会。
益田孝とか馬越化生とか三井松風庵とかが世話人をつとめていた。
その中で龍平サンは大正11年11月13日に席持ちをされた。
伝・光悦の日月図屏風がデーンを置かれたみたい。
道入作の楽焼耳付水指。ごっつい、飴釉の水指。
龍泉窯の青磁一葉香合に伝・与次郎の阿弥陀堂釜(←十八会の尻張釜よりもっと、重厚で古い)
茶入・茶碗の展示がなかったのが残念。
会記によると展観席が3席あったらしい。
3つ目は大正13年(1924年)11月14日に玄庵で開催された残茶会。
親しい友人を招いた小規模の茶会っぽい。懐石も出たそうだ。
参会者の中に高橋義雄(箒庵)もいた。
実はこの日、野村得七の碧雲荘に行くことになっていたそうだが、
以前から玄庵を訪れたいと思っていた彼は碧雲荘の方を夕方に延期してもらって、この茶会を訪れたのだとか。
伝・長次郎の炮烙(灰器)に名越浄味の秋草文長耳付筒釜(ペルシャの瓶みたい)、萩蒔絵柄の火箸。
赤織部の茶碗、織田有楽斎の茶杓、瀬戸の鉄釉水指、南蛮のおハンネラ建水。
うぅ~。これに合わせた茶入は何?と、会記パネルを観に行く。利休丸壺とのこと。さすが~
会記には懐石の献立も書いてあったけれど、覚えられなかった~
後座の薄茶席は溜塗菊形茶器に朝鮮の刷毛目茶碗(形が州浜の反りあり)
一入の黒楽茶碗「落葉」も出ていた。一入らしい黒楽なのに赤っぽい利休回帰の形。
そのせいかな。
玄庵の写しは11月半ばの季節に合わせているようなライティングだった。

間取り図、前からあったっけ?

高橋箒庵がらみ?で大正名器鑑の展示と掲載されている香雪所蔵の茶道具展示。
利休丸壺は前期展示で今回は拝見できなかったけれど、
瀬戸の耳付茶入「不聞猿(きかざる)」や高取の鮟鱇茶入「腰蓑」、瀬戸・美濃の黄天目。
龍泉窯の人形手宝尽文茶碗、朝鮮の御本雲鶴筒茶碗、光悦の黒楽茶碗「黒光悦」、仁清の「色絵忍草文茶碗」
など、香雪コレクションの代表格がずらっと並んでいた。
しかし、それだけではない。
エピローグが龍平収集の茶道具・優品選ということで、
唐物肩衝茶入「薬師院」、瀬戸・美濃の白天目、珠光の茶瓢形の茶杓、紹鴎の茶杓、利休の蟻腰の茶杓。
信楽の鬼桶水指、藪内竹心が描いた千利休像。
長次郎作の黒楽茶碗「古狐」。黒というよりは茶色。カセまくってる。
仁清の白釉鉄釉流耳付水指。乾山の色絵立葵文透鉢。
交趾の黄獅子香合(黄色というより赤楽っぽく見える)
仁清が多かったけれど、一昨年に御影で仁清展があって前後期ともに観に行った印象が強いだけに、有難みが少し薄かったかも

それと、敢えて言うならば、残暑厳しい中で汗かきかき炉の道具組、名残の時期の道具組を鑑賞するというの違和感があったかなぁ。
それと、間に朝日新聞社がらみの展示を見てしまうと注意力がそっちへ行ってしまうんだよねぇ。
今回は御影の村山邸の展示はスルーしたけど、朝日新聞大阪本社の建物の方はどうしても気になってしまうので、見てしまった。
旧大阪本社のビル、古い方は「大大阪」時代のものだと聞いていたけれど、昭和6年(1931年)の竣工だったのかぁ。
だったら龍平翁はあれを見ていたわけね。
旧フェスティバルホールが入っていたぶりは昭和33年(1958年)、高速が中を通っていた方のビルは昭和43年(1968年)かぁ。
なんか、時代を反映するビルだったなぁ。
昭和を代表するビル3つとも、もう存在しないなんて、残念だなぁ。
そして、平成の高層ツインタワーが今は建っている。

時代の流れにしみじみしつつ、グッズ売り場へ。
前回、お菓子を買ったのは覚えているのだけど、クリアファイルを買ったかどうか、自信がなかった。
(たぶん買ったハズ。でも、また見るとほしくなる~)

結局、自宅に2枚。
まぁ、1枚は普段使い用ににしよう。あ、お友だちに進呈するのもいいね。
※中之島香雪美術館バックナンバーリスト
2018年5月 『珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~』 Ⅱ.美しき金に心を寄せて →こちら
2018年3月 『珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~』 Ⅰ. 美術を愛して →こちら