銀閣寺「春の特別拝観」
※5月18日(日)まで
http://www.shokoku-ji.or.jp/information/news/080315.html
銀閣寺へは高校時代に一度行ったきり。
正しくは東山慈照寺(とうざんじしょうじ)ということを初めて知った。
通称名ともなっている、かの銀閣(観音堂)は現在修復中。
約2年かかるのだそうな。
その代わり?なのだろうか。
初の試みで東求堂の同仁斎で室町時代(創建当時)の書院飾りが再現された。
そして、公開中。
同仁斎は小間(四畳半)茶室の原型だもの。
「これは見逃せない!」と急遽、フリークに組み込んで見物しに行った。
もともとは室町幕府八代将軍の足利義政公が書斎として使用した部屋。
畳で塞がれていたが、炉も切ってあり、湯を沸かして茶を喫んだのこと。
付書院は机として使われていた。
実際に義政公が愛用していた2本の筆(堆朱と鎌倉彫)、墨台、水滴、硯などが並べられ、まるで部屋の主がちょっと中座したかのよう。
ひょっこり義政公が戻ってきて、付書院の前に座って筆をとって文でもしたためそうな、そんな雰囲気だった。
(国宝級の品々を剥き出し状態で陳列していることから、同仁斎の中には入れてもらえず、隣の間から拝観するに留まった)
この空間には村田珠光もよく出入りしていたそうで、炉を囲んで茶の湯を楽しむを2人を想像したりもした。
付書院の隣の違い棚の上段には台天目、中段?に四方盆上に曾呂利の花入、下段に食籠が飾ってあった。
光線の加減でどんな天目台がわからず、写真を見せてもらったところ、人形の螺鈿細工が施された豪華なもの。
食籠の螺鈿細工はもっと手のかかったもののようだった。
もちろん、写真撮影禁止だったので、配置を目に焼き付けるのに一苦労。
『君台観左右帳記』をもとに書院飾りを再現したという。
もらったリーフレットに絵図のコピーがあったが、今ひとつピンとこない。
そこで、今回の情報元の新聞記事データベースを検索したところ、プレス披露時に撮影された写真つきの切り抜き記事を閲覧した。
斜めから撮影されたものだが、充分に配置と雰囲気がわかる。
ついでに、手持ちの資料で同仁斎について理解が深まるものはないかを探した。
昨年購入した『よくわかる茶道の歴史』(谷端昭夫著。淡交社、2007刊)には期待した記述や図説がなかった。
仕方なく、某資料室の書庫に入り、『週刊朝日百科 日本の歴史 15 中世2-4 金閣と銀閣』を開く。
(この資料は復刻版も出たが、オリジナルともども既に絶版となっている)
絵図をもう少しリアリティのある絵に再現したものが載っていた。
(拝観した配置とほぼ同じ)
その他の解説文や画像にも目を通し、改めて茶室の原型について復習することができた。
茶室や茶の湯の創成期に触れてみたい人にとってはお勧めしたい場所。
(ただし、工事中の銀閣は抜きにして)
拝観料がちょっとお高めなのと説明時間が決まっていて、所要時間は約40分あることを留意してください。
ちなみに、創建当時は銀閣と東求堂の目の前は大きな池だったらしい。
あの白くて硬い砂のような枯山水もなかった。
復元図を見て、少しびっくりした。
※5月18日(日)まで
http://www.shokoku-ji.or.jp/information/news/080315.html
銀閣寺へは高校時代に一度行ったきり。
正しくは東山慈照寺(とうざんじしょうじ)ということを初めて知った。
通称名ともなっている、かの銀閣(観音堂)は現在修復中。
約2年かかるのだそうな。
その代わり?なのだろうか。
初の試みで東求堂の同仁斎で室町時代(創建当時)の書院飾りが再現された。
そして、公開中。
同仁斎は小間(四畳半)茶室の原型だもの。
「これは見逃せない!」と急遽、フリークに組み込んで見物しに行った。
もともとは室町幕府八代将軍の足利義政公が書斎として使用した部屋。
畳で塞がれていたが、炉も切ってあり、湯を沸かして茶を喫んだのこと。
付書院は机として使われていた。
実際に義政公が愛用していた2本の筆(堆朱と鎌倉彫)、墨台、水滴、硯などが並べられ、まるで部屋の主がちょっと中座したかのよう。
ひょっこり義政公が戻ってきて、付書院の前に座って筆をとって文でもしたためそうな、そんな雰囲気だった。
(国宝級の品々を剥き出し状態で陳列していることから、同仁斎の中には入れてもらえず、隣の間から拝観するに留まった)
この空間には村田珠光もよく出入りしていたそうで、炉を囲んで茶の湯を楽しむを2人を想像したりもした。
付書院の隣の違い棚の上段には台天目、中段?に四方盆上に曾呂利の花入、下段に食籠が飾ってあった。
光線の加減でどんな天目台がわからず、写真を見せてもらったところ、人形の螺鈿細工が施された豪華なもの。
食籠の螺鈿細工はもっと手のかかったもののようだった。
もちろん、写真撮影禁止だったので、配置を目に焼き付けるのに一苦労。
『君台観左右帳記』をもとに書院飾りを再現したという。
もらったリーフレットに絵図のコピーがあったが、今ひとつピンとこない。
そこで、今回の情報元の新聞記事データベースを検索したところ、プレス披露時に撮影された写真つきの切り抜き記事を閲覧した。
斜めから撮影されたものだが、充分に配置と雰囲気がわかる。
ついでに、手持ちの資料で同仁斎について理解が深まるものはないかを探した。
昨年購入した『よくわかる茶道の歴史』(谷端昭夫著。淡交社、2007刊)には期待した記述や図説がなかった。
仕方なく、某資料室の書庫に入り、『週刊朝日百科 日本の歴史 15 中世2-4 金閣と銀閣』を開く。
(この資料は復刻版も出たが、オリジナルともども既に絶版となっている)
絵図をもう少しリアリティのある絵に再現したものが載っていた。
(拝観した配置とほぼ同じ)
その他の解説文や画像にも目を通し、改めて茶室の原型について復習することができた。
茶室や茶の湯の創成期に触れてみたい人にとってはお勧めしたい場所。
(ただし、工事中の銀閣は抜きにして)
拝観料がちょっとお高めなのと説明時間が決まっていて、所要時間は約40分あることを留意してください。
ちなみに、創建当時は銀閣と東求堂の目の前は大きな池だったらしい。
あの白くて硬い砂のような枯山水もなかった。
復元図を見て、少しびっくりした。