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Akatsuki庵

後活(アトカツ)中!

六閑斎忌

2008年09月01日 04時42分00秒 | 茶会/茶事
昨日は早起きして、六閑斎忌の追善茶会に参会した。

数寄屋袋に数珠を入れて、あるお寺へ。
まず法要。
その後、本堂の脇と奥の広間で添え釜が2席懸けられた。
(濃茶と薄茶<立礼席>)

冷房なし。
窓全開で自然の風を取り込む。
湿気を含んだ空気なのに、なぜか暑苦しさをあまり感じない。
それはきっとお庭のおかげ。

3日間ほど天候が不安定で夜中に随分雨が降ったのに、きれいに掃き清められている。
水たまり一つなく、雑草もなく、見事に手入れされていた。


まさに禅寺の鏡!
(聞いた話では、厳冬の早朝でも御住職自ら廊下を拭いていらっしゃったとか)

お茶会には使ってないけれど、小間の茶室が見えた。
誘導の方にお願いして、露地を歩かせていただき、にじり口から席中を拝見させていただいた。
四畳半。
(帰宅後に再度、本を開き読み直し、小堀遠州好みのお茶室だと知る)

帰りに足を延ばしてお墓参り。
案内係の方が指し示して下さらないと見過ごしてしまいそうな小さな墓石。
(お墓の写真を撮るのは気が引けて、遠慮した)
手前の線香台を覆う石室の屋根には苔がむしていた。

今でこそ、事ある毎にお参りされ追善茶会も毎年あるけれど、それも40年ほど前から。
それというのも、この御方のお墓が長いこと此処にあることすら、誰にも知られていなかったそうだ。
(本拠であった京都にもお墓が建てられたそうだし)

で、同門の方が“探墓”して、“発見”されたとのこと。
見つかってみれば、そのお寺との関係を考えると、「なるほど、此処にあっても不思議ではない」ということではあったらしいけど)

300年近い遠い昔に故郷を離れた出張先の地で儚く逝った御方に思いを馳せつつ、手を合わせた。

去年も同じ趣旨のお茶会に参会したけれど、会場も違ったし、「追善」の意味も深く考えず、フツーのお茶会のつもりで行ってしまった。

今年は会場もさることながら、事前に“予習”もしたし。
濃茶席の道具組、主茶碗と水指は子孫のあたる方による手捏ねだった。
それは故人が若いながらも生前に手捏ねの茶碗を造られていたことに因む。(←察するに)
茶杓は故人の手作り。
掛け物は故人が慕っていたこの禅寺の開祖による書き物。
添え釜を懸けられた方々の故人を偲ぶ思いがさりげない伝わってきた。
「追善」の意味がやっと理解できたような気がする。

いいお茶会に参会できる機会を与えられたことに感謝
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