旅アーカイブへ戻る
前回からの続き~
4月4日(水) 午後2時。
久しぶりに訪れた新潟市。
とりあえず万代橋に向かって歩き出した。
既に風が強くなっていた。
路線バスに乗ろうかなとも思ったが、よくわからないので、とりあえず歩き出した。
橋を渡る時は吹き飛ばされそうな強風で、でも長い橋で。でも、歩行者もいてビックリ。
実は新潟市を訪れるのはこれは4度目になる。
もっとも、前回は四半世紀前のこと。
身内が仕事の関係で2年ばかり単身赴任をしていた関係で3度訪れた。
ただ、ほとんど車移動だったので、歩いたことはなかった。
万代橋も“新潟の顔”とも言える立派な橋だったのと、
信濃川の幅広さに圧倒されたことを覚えている。(まるで市街地が分断されているような~?)
それと、身内が「新潟では絶対に傘が手放せない。晴れていると思っても、降る。しかも結構激しいのが」
と言っていたことを、今回の旅支度中に思い出した。
なので、折り畳み傘は三段ではなく二段、そして壊れても惜しくないものを用意した。
(実際、強風の影響で柄のところがかなり不調になってしまった)
市の中心部でかなりひどい降りになった。
少し立ち往生するも、思い出の地(=身内の元住まい)を目指して歩き出した。
目指す地点に着いた時は、すごい大荒れ。
そして、予想はしていたけど、住まいがあった集合住宅の辺りは広い更地になっていた。
呆然としつつも、とにかくどこかへ避難しよう。
水族館に行ってみよーと歩き出すも、あまりの風雨に進めず、
新潟駅方面の路線バスに走って追いかけて、どうにか乗り込んだ。
バスの車窓からレトロな建物が見えた。
土地勘はあったけど、行ったことがない区域。
その時になって、初めて気がついた。
自分の記憶の中にある新潟市の町並みは昔懐かしい感じではなかった、と。
あれ? 新潟市って、たしか原爆投下の候補地だったから、大きな空襲はなかったんじゃなかったかなー。
なのに、中心部は再整備されたような無機質な印象しかなかったんだけど。
例えば、昔住んでいた松本市や福岡市は古い家屋とかが記憶の片隅にあるんだけど、
新潟市にはそれがないなぁ。
そんなことを思いつつ、古町でバスを降りた。
古町が新潟市の繁華街だということは覚えていたけれど、
はて?こんな雰囲気だったかなぁ?
(一度だけ、夕食時に連れられて来ただけだから記憶が薄いのも仕方ない)
幸いなことにアーケードがあったし、喫茶店がやたらあったので、
その中の一軒に入り、珈琲1杯で1時半粘った。
今思い返すと「もったいない時間の潰し方だったなぁ」と思うけど、
雨脚激しいし、風当たり強いし、寒いし、
太腿から下はずぶ濡れだし~
動けなかった。
それに、
喫茶店でスマホで新潟市の歴史を紐解くことが出来たのは有意義だった。
戦後に大火があったのかぁ。
しかも、古町地域で。
だから、街並みがビミョーなのかぁ。
と、その後の町歩きで役立つ予備知識をインプットできた。
16:30頃、重い腰を上げる。
古町の商店街をぶらぶらしつつ、お宿をめざした。
あれ? 水原勇気だ。
そういえば、新潟は漫画家の水島新司の故郷だった。
あぶさん、ドカベン、野球狂の詩の代表的なキャラクターの像があった。
露地もいい感じ。
17:00、ゲストハウス人参(=その後、コロナで閉業)にチェックイン。
お腹も空いたし、朝が早くて眠いし疲れたので、早く休もうとさっさと食事に出た。
夕食は近場の居酒屋さん。
お酒は最近あまり飲まないけれど、
せっかくの新潟なので、半合だけ。
季節のものということでホタルイカの沖漬け。
ホタルイカといえば富山だし、水揚げは実は兵庫県が一位らしいんだけど、
初めてホタルイカに出会ったのが新潟だし、旬のものだから食べたくて。
食事が終わって外に出るともう日は落ちていた。
お宿の話は次回に~次回へ続く~
旅アーカイブへ戻る
最新の画像[もっと見る]
- 十六代 楽吉左衛門展 3日前
- もう11月かぁ 5日前
- もう11月かぁ 5日前
- もう11月かぁ 5日前
- もう11月かぁ 5日前
- ハロウィン 6日前
- ハロウィン 6日前
- 神保町ブックフェスティバル 1週間前
- 青春18きっぷが改悪!(>_<) 2週間前
- 2024年8月 青春18きっぷで会津若松→仙台へ 3週間前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます