さざえ堂の見物を終え、飯盛山の正面にあたるルートの階段中腹へ。
さざえ堂、横からも見える。
白虎隊十九士のお墓をお参りした後、自決した場所へ。
石造の少年像、その視線の先を眺める。
思ったより会津若松城(鶴ヶ城)は遠くに見えた。
お城から見た飯盛山。
画素数落とした写真じゃわからないけど、この2か所繋ぐ線上には白いポールが立っている。
会津若松城から眺めた時は「あのポールはなんだろう?」と思ったけど、
飯盛山から眺めると、白いポールを目印に視線を合わせて初めてその先の天守閣の位置を確認できた。
そのためのポールなんじゃないかなぁ
明治元年8月23日にこの飯盛山からお城を眺めて、燃える城下町を見て~
城が落ちたと思ったから悲観してしたと思っていた。(大河ドラマ『獅子の時代』でもそう描かれていたし)
でも、実際は落城してないことは判別できていたらしい。
城を目指すことはできるが、途中で捕まって捕虜になったら藩に迷惑がかかると思って自決を選んだ?
って、その発想は太平洋戦争末期の沖縄戦の一般市民と同じではないか。(生きて辱めを受けるなかれ、的な)
そうか、あの考えは武士精神からきていたのか。
と改めて封建社会の思考の根深さを感じた。
もうこのような思考になる社会には二度となりませんように。
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