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資料室B3F

https://yaplog.jp/akasyuri/
の移籍版。

どうなるやら

2015-05-10 19:08:14 | 小ネタ
■児童虐待の時効見直し=性的被害対象、成人時まで停止―自民検討
(時事通信社 - 05月10日 15:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3409430

「いかなるものでも、自然という造物主の手から出るときは善である。人間の手に渡って悪となる。」(Jean-Jacques Rousseau, Émile, ou De l'éducation, dans lequel est inclus La profession de foi du vicaire savoyard au livre IV, c1762.)

私はこのニュースを見て、1989年のジョージ・フランクリン事件を思い出した。

ジュディス・L・ハーマンの『心的外傷と回復』という論文で、PTSDの主因が「抑圧された記憶」(その多くは幼児期の親による性的虐待)であるという理論を掲げて、1990年代に全世界で圧倒的な支持を受けたことがある(今では宇宙のエーテル空間程度の支持しかない)。その後1997年にはカウンセラーが催眠により性的虐待の記憶を呼び戻す治療法(すなわち、すべての記憶を取り戻さなくては健康は回復できないという考え)はアメリカ心理学会ではほとんど支持を失った。この後2000年ごろまでこの問題はくすぶり続けたが回復記憶セラピー(RMT=en:Recovered memory therapy)が非常にまれなものとなった事でこの論争は大体決着がついた。こうしたセラピーを通じて思い出したが後に性的虐待をされていなかったと認識した人は何百人にも上っていた。

1988年には、エレン・バスとローラ・デイビスの著書『The Courage to Heal』(邦題『生きる勇気と癒す力』)が出版される。この書物は虐待されたと感じているなら虐待されていると主張し、読み方によってはあらゆる「生きにくさ」は幼少期の性的虐待記憶にあるというように読めるものであった。このために、多くの人が思い出したがるようになった。

アメリカではカウンセリングを通じて、「抑圧されていた」幼児期の性的虐待の記憶がフラッシュバックして甦り、成人になった子どもが何十年も前の性的虐待について親を告訴するという事例が相次いで起こった。

代表例は、自分の父親が自分の友人をレイプして撲殺する現場に立ち会った記憶を抑圧していた女性が、二十年後に不意に記憶が甦り、その証言に基づいて、父親が殺人罪が逮捕告発された、ジョージ・フランクリン事件であった。

この審理に鑑定人として召喚された「偽造記憶」の専門家E・F・ロフタスは、原告女性が「思い出した」とされる内容がすべてメディアですでに報道されていた情報(誤報も含めて)から構成されていることを論拠として、彼女の言う「抑圧された記憶」なるものが、原告女性がカウンセラーの誘導によって創作した「物語」ではないのかと疑義を呈して、ハーマン理論を批判し、アメリカで一大論争を巻き起こした。

この論争はその後「わが子から偽りの告発を受けた」とする家族たちによる裁判闘争、さらにはいったん「抑圧された記憶が甦った」と証言した女性たちがセラピーを止めたあとに「偽造記憶を植え付けられた」として、今度はかつての担当医やカウンセラーを医療過誤で告訴していた。

とりあえず、児童虐待が形式的に言えば「親による子供の懲罰権の行使」であるとするなら、抑圧された記憶の回復によるPTSDの解消は「親からの懲罰権の奪還」であると言える。「記憶戦争」と呼ばれたこの論争の真の賭け金は「真実」の開示というよりはむしろ「懲罰権」の帰属だった。

・・・・・・・・・

今ではこの例があるから、まあそんなにヘマをこくことはないとは思うが、人間は同じことは何度だってやりますよ、オーストラリアの代理出産みたいにね。

http://diamond.jp/articles/-/56277?page=4
アメリカでは否定されている「トラウマ理論」
”わかりやすい説明”ほど危険なものはない
〔橘玲の世界投資見聞録〕(2014.07.16)

 それは、『心的外傷と回復』を翻訳したのが精神医学会の大御所である中井久夫氏だということと無関係ではないだろう。

 中井氏は統合失調症の治療と研究の権威として知られていたが、1995年の阪神・淡路大震災を機にPTSDの紹介を精力的に行ない、日本の精神医学や臨床心理学の現場に「心的外傷」という言葉を普及させた。その中井氏がお墨付きを与えたことで、アメリカでは“カルト”として葬り去られた学説が日本では“欧米の最新理論”としてありがたく押し頂かれることになった。

 精神分析療法が普及しなかった日本では、幸いなことに、アメリカのような深刻な被害は起きてはいない。だが逆にそのことが“抑圧された記憶”というトンデモ科学を安易に受け入れ、テレビドラマやマンガ、ミステリーなどのエンタテインメントで多用することにつながったのではないだろうか。

 「わかりやすい説明」ほど危険なものはない。とくにそれを権力闘争や金儲け、“正義の実現”に利用しようとするひとがでてくると、とてつもない社会的災害を引き起こすことになる。私たちはこのことに、常に自覚的でなければならない。

(続)ビジネス? http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1930446939&owner_id=40049699&full=1

代理出産でダウン症の赤ちゃん、依頼夫婦が引き取り拒否 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=2995131 

15年前以前から同じことが起こってて対策がなんらとられてこないのは、悪意があるとしか言いようがないですね。 

99/05/06 第5回生殖補助医療技術に関する専門委員会議事録http://www1.mhlw.go.jp/shingi/s9905/txt/s0506-1_18.txt 


第5回 
   厚生科学審議会先端医療技術評価部会 
  生殖補助医療技術に関する専門委員会 
議事録 

厚生省児童家庭局母子保健課 



石井(美)委員「(前略) 子どもにとっては奪い合い、両者が望んでいる事件はまだ救いがあると思いますが、 一番悲劇的なのは引き取りを拒否した事件であります。具体的には障害児が生まれた場 合に、依頼者夫婦が引き取りを拒否した事件がございました。」 

これはどう考えてもこの事件の再来だ。




改・たいへんですな

2015-05-05 00:28:34 | 小ネタ
■脅迫ウイルス、日本でも=感染でPC動かず、金銭要求―国内60台超確認
(時事通信社 - 05月04日 15:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3402086

世の中には情けない「専門家」もいたりする(たとえば

http://www.securityweek.com/cryptolocker-infections-rise-us-cert-issues-warning

の記事で、ファイルを修復するためには身代金を払うしかないと述べているやつもいるにはいますが、実際にはお察しの通り取られ損になります)ので、実際にはそっちに気を付けたりする方が先決かもしれない(ただ、バックアップだけは、しっかりとっておいて損はありません)。てめえは犯罪の味方かこのやろうってな。

まあ、バックアップしなかったファイルは、諦めましょう。

2014年2月のCryptoDefenseでは2048ビット鍵が使われましたが、それは10進600桁程度の数字になります。

力任せの素因数分解は、√n回の割り算を繰り返すことで、10^300回の割り算が必要になるわけですが、パソコンの割り算の所要時間を1ナノ秒(10^-9)として 10億台(10^9)で並列計算すると、

10^300/10^18=10^(300-18)=10^282秒かかります。

一年が約 10^7.5 秒ですから、10^274年かかります。

1億年の1億倍の1億倍の1億倍の...を 30回繰り返したら取り戻せます。

ランサム(身代金)ウェアーの名前自体はそれこそ10年近く前からの歴史があるので、なぜ今さら、という話なのですが、私が不思議に思うのは、2年前になぜCryptoLockerの話を出さなかったのかということです。

○感染した場合、ネットワークドライブや、ローカルに保存されている特定のタイプのファイルを、公開鍵暗号で暗号化してしまう。その復号鍵はマルウェアのコントロールサーバーにしか保存されていないため、立場を利用して、期限までに身代金(ビットコインやプリペイド決済)を要求する旨のメッセージが表示されるようになる。
○CryptoLockerや亜種の除去自体が難しいものではない。
たとえば本件なら、感染したコンピューターを、コマンドプロンプト付のセーフモードで起動し、ウイルスを無効にし、Regeditを実行する。WinLogonの項目でexplorer.exeもしくは空白でないファイルを探した上で全て書き留め、それらをexplorer.exeと置き換え、レジストリ内の書き留めたファイルの項目を探し、ファイルを参照しているキーを全て削除した上で再起動し、最新のスパイウェア対策ソフトで完全なシステムスキャンをすることになる。
○ただし、ファイルは暗号化されたままとなる。

○2013年12月のCryptoLocker 2.0の場合、だいたいP2P(・・・の、Winnyやshare)から感染していた。御愁傷様といってあげるのがこの場合ある意味正しい。

2014年にもなんだかんだ色々出ていたが、忘れた頃にやってきた・・・と。




たいへんですな

2015-05-05 00:20:02 | 小ネタ
■脅迫ウイルス、日本でも=感染でPC動かず、金銭要求―国内60台超確認
(時事通信社 - 05月04日 15:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3402086

世の中には情けない「専門家」もいたりする(たとえば

http://www.securityweek.com/cryptolocker-infections-rise-us-cert-issues-warning

の記事で、ファイルを修復するためには身代金を払うしかないと述べているやつもいるにはいますが、実際にはお察しの通り取られ損になります)ので、実際にはそっちに気を付けたりする方が先決かもしれない(ただ、バックアップだけは、しっかりとっておいて損はありません)。まあ、バックアップしなかったファイルは、諦めましょう。

ランサム(身代金)ウェアーの名前自体はそれこそ10年近く前からの歴史があるので、なぜ今さら、という話なのですが、私が不思議に思うのは、2年前になぜCryptoLockerの話を出さなかったのかということです。

○感染した場合、ネットワークドライブや、ローカルに保存されている特定のタイプのファイルを、公開鍵暗号で暗号化してしまう。その復号鍵はマルウェアのコントロールサーバーにしか保存されていないため、立場を利用して、期限までに身代金(ビットコインやプリペイド決済)を要求する旨のメッセージが表示されるようになる。
○CryptoLockerや亜種の除去自体が難しいものではない。
たとえば本件なら、感染したコンピューターを、コマンドプロンプト付のセーフモードで起動し、ウイルスを無効にし、Regeditを実行する。WinLogonの項目でexplorer.exeもしくは空白でないファイルを探した上で全て書き留め、それらをexplorer.exeと置き換え、レジストリ内の書き留めたファイルの項目を探し、ファイルを参照しているキーを全て削除した上で再起動し、最新のスパイウェア対策ソフトで完全なシステムスキャンをすることになる。
○ただし、ファイルは暗号化されたままとなる。

○2013年12月のCryptoLocker 2.0の場合、だいたいP2P(・・・の、Winnyやshare)から感染していた。御愁傷様といってあげるのがこの場合ある意味正しい。

2014年にもなんだかんだ色々出ていたが、忘れた頃にやってきた・・・と。




たいへんなんですねぇ(実体験だらけですが)

2015-04-30 22:43:19 | 小ネタ
■めざましテレビの履歴書特集が「難癖レベル」と批判殺到 「性別を囲む丸印が汚いのはNG」「写真は少しでもずれたらダメ」
(キャリコネ - 04月30日 17:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3397112

まあ、思うところは色々とあるが、少しずつ書いていこう。

丁寧に書くというか、だいたい「就活生」の場合は1枚あたり1時間から1時間半は掛かる。項目は学校指定のだと、250字程度のスペースが3つ用意され、自分の長所、学校生活(バイトなりサークルなり、勉強なり・・・)、趣味とか資格とか、あとは志望動機とくるわけだが・・・これはどのくらいの時間を掛けて書いたのか、まずそこからだとは思う(一時間未満だったら、パソコンじゃなかったら、なかなか大変です)。

で、なかなかの内定もらう人で少なからず30社となると、いったい何時間紙ごときにムダにしてんだ?と。

消せるボールペンを重要な書類に使った、というニュースは今年も見たが、大学時代に限らずボールペンを使う機会と言うのがなんとも少ないのかもわからない。普段からシャーペンでなくボールペンを使っている人間と、そうでない人間を見ると、明らかにハンコの数が違う。ええ、訂正印のことです。6つとかのやつもいる。何を間違えたらそうなるんだ。

ここでいっときますが、ハンコなんてそんな曲がってるからって人間性が曲がってるなんて、鼻で笑われますわ。血液型じゃあるめえし。いいですよ。曲がってても。

基本的に、書けといって説明したところを埋めてなかったらやり直しで自身の監視下で書き直しさせたことはありますが、そんなハンコが曲がってるからやり直しなんて、ないですよ。私の会社は、ですからあくまでも私の経験則ですから、あるものはあるの!といわれれば、へへえ、さいですか、としか言いようがありませんが、so what?と言われるが早いか、そんなんで時間食うくらいならふつうに働けといいますよ。

ただ、一つだけ昔「何が違うんだよ」と言われたのは、「ある」ことを証明するのと、「ない」ことを証明するのが同じだみたいに言われたから、

「じゃあ、いっしょに筑波山に行ってアゲハチョウがいないことを証明しにいくか」

といったことはあります。大変なんですよ。

物理的に出来もしないことを偉そうに言い出したら雷がそら落ちるでしょうが、自分が気にかけそうもないことをいちいち咎めてたら自分の首が真綿で絞まるどころか他人の時間を奪うだけなので別に「私は」なにもいいません。書くべきものを書かなかったら、目の前で書かせるだけで。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だいたい、下書きをするというところから好きじゃない。ふつうなら、履歴書をコピー機にかけて、何枚か刷って、まず書くことを携帯に打って、それから下書きをコピーに書いて文字数を確かめて、清書をまた別の真っ白なコピーに書いて、それから本番の用紙に書く。昔よりは下手になりましたが、昔日藝の毛筆は5段ありましたっけ・・・。硬筆は2段止まりなんですが、まあ、気を付けてないと、下手になるやつは本当にどこでもいます。

ふつうじゃない?え、確かつぶやきをみたら、大事な書類ならどうのとか書いてあったんですがねぇ・・・。熱意がないのか?とか色々ありましたけど、だいたいうちの人事は、「まずは親御さんをほっとさせたいよなぁ」から始まって、朝10時から夕方4時まで拘束して一次試験が終わるようなとこです。話し倒して飯食って筆記試験やって論文試験やってまた話して、となるといい加減ボロが出てくる、みたいなことやってますがまあなんとかなってるんじゃないですか。

そうなんですよ、はっきり言いますけど、そんな真面目に人事は見てません。老眼にきつくないかきついかのどっちかです。だいたいパソコンのほうがいいです。ええ。ただ、誤字脱字だけは露骨に見易くなるので、お気をつけ戴くとして。

蛇足ですが、給食のおばさんを雇うときは、履歴書プラス、算数のテストが入ってました。
・・・ええ、単位の計算ができないおばさんも、何だかんだいます。

https://news.careerconnection.jp/?p=4728

採用担当者のみなさん! 就活生に「手書きの履歴書は不要です」と断りませんか?
2014.11.28 コメント( 2 )
河合 浩司

『聞くところによると、零細企業が高卒以下のパートタイマーを採用するときなどは、手書きの履歴書から基礎的な学力などを把握する必要があるそうです。
百歩譲ってそれを認めたとしても、同じ方法を大学生に求めるのはどうでしょうか。ところが就活本には、定規をひいて行を揃えたり下書きをして丁寧に書いた後が見られたりすると「熱意が伝わる」などと書いてあります。私が思うに全くの見当違いです。
その理由は、そもそも採用担当者は、入社熱意が高い人だけを歓迎しているわけではないからです。仮に面接の時点で熱意があまり高くなくても、優秀な人が面接に来てくれたら、様々な手を尽くして入社してもらうように動くのが、採用担当の仕事なのですから。
もし、字の上手さが仕事で必要であれば、それは単なる技術ですので、入社後の訓練次第でどうとでもなります。しかし、仕事への適性や考え方・価値観の共有は、訓練ではどうにもならないのです。
特に大手企業の場合は、学歴や専攻がかなりの比重を占めます。ある採用担当者は「大量の書類をスペックで振り分けるのに、手書きだと見にくい」とまで言っています。
ところが、そんな事情を就活生は理解していません。(・・・)』

目の前で履歴書渡されるケースが多いので、ほーん、とだけなって、後はお喋して、というケースだらけの世界観だと、そんなもんです。もちろん、みんながそうではないですが。

一番笑ったのはこちら。世の中よく考えるやつがいるな、と逆に思いましたが、それは逆に自分に蛍光塗料塗ってるようなもんです。あ、そういえば、いったいどこが箇条書きを誉めてたんでしたっけ?気になりますねぇ。

http://careerconnection.jp/biz/shukatsu/content_1524.html

「履歴書に太字や下線・波線などの装飾をして目立たせれば、採用担当者の目に止まりやすくなる」という、あまりにふざけたノウハウを書いている本があります。

社会人であれば非常識極まりないノウハウであることはすぐに分かりますが、まだ社会経験がない学生さんたちは騙される人がいるのでしょう。履歴書は、採用における非常に重要な書類です。余計な装飾は、絶対にしないでください。

(・・・)特に多いのが「自己PR」「学生時代に力を入れたこと」の記入欄での装飾です。ひときわ大きく書かれたキャッチコピーらしき文言がカラーペンで書かれていて、太字にされているものもありました。

しかも、そこから3つの矢印が引かれていて、詳細らしきことが書かれていました。その上、それぞれの文章の一部には、波線も引かれている始末。これらの履歴書を初めて見た同僚は、「これが履歴書なのかよ…」と絶句していました。

「箇条書き」と「文章」の書き分けは必要

履歴書の記載において重要なのは、装飾ではなく内容です。とはいえ、書き方には暗黙のルールがあります。それは、事実を列挙する欄と、文章で伝えるべき欄の書き分けです。

趣味・特技や資格の欄は、事実を列挙するだけなので箇条書きで全く問題ありません。しかし、文章で伝えるべき欄である「自己PR」「学生時代に力を入れたこと」「研究内容」などを箇条書きにされると、「手抜きをした」という印象を持たれてしまいます。

とはいえ、履歴書の記入欄はエントリーシートに比べると小さいものが多いでしょう。あまり詳しくは書けないと思いますが、それで構いません。

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それ以外もNGポイントがやたら細かい。5社中2社からNGが出たという履歴書は、性別の「男・女」を囲む丸印が綺麗でない、というもので「もっと丁寧に」という赤が入った。
「写真が枠に沿ってぴったりと貼られていない」
という履歴書にも2社からNGが出る。

じっくり見ているんですねぇ。性別なんて書かされるもんですが、丸つけることにまずびっくりしました。

写真の枠見ている暇があったら別の欄を見ます。私は。もし相方がそんなことしてたら、暇なのか、と別の仕事押し付けます。

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私情(会社の事情?)だらけになりましたが、とりあえず、そんな気にしてる暇があったらまずはボールペンに慣れてください。それだけです。




困った神様話

2015-04-25 18:07:26 | 小ネタ
■「お客様は神様」は誤解されている! 増長する「悪質クレーマー」にネット猛反発
(キャリコネ - 04月25日 12:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3389331

「神を見た者は死ぬ。言葉の中で言葉に生命を与えたものは息絶える。言葉とはこの死の生命なのだ。それは「死をもたらし、死のうちで保たれる生命」なのだ。驚嘆すべき力。何かがそこにあった。そして、今はもうない。何かが消え去った。」(Maurice Blanchot, La Part du feu, Gallimard, c1949)

ま、神というくくりで何かを考えると、こういうところからですよね。まず気になるのは、ラーメン屋で12,000円も何を食ったらそうなるんですか。神様構図はどうもアレが出てくるんですよね。

「坂を下っている、このわずかな休息のときのシシュフォスが私を惹きつける。
(・・・)重く、しかし確かな足取りで、終わりを知らない苦役に向かって山を下る男の姿が見える。
息継ぎのように、そして彼の不幸と同じように確実に回帰してくるこの時間は覚醒の時間でもある。
山頂を離れ、ゆっくりと神々の巣穴に向けて下ってゆくこの一瞬一瞬において、彼は彼の運命に優越している。彼は彼の岩よりも強い。
この神話が悲劇的であるのは、その主人公が覚醒しているからである。
(・・・)神々のプロレタリアであるシシュフォス、無力で反抗的なシシュフォスは彼の惨めな状況をすみからすみまで熟知している。
彼が山を下りながら考えているのは彼自身の状況についてである。
彼の苦しみを増すはずのその明察が同時に彼の勝利を成就する。
どのような運命もそれを俯瞰するまなざしには打ち勝つことはできないからだ。」(Albert Camus, Le Mythe de Sisyphe, in Essais, Gallimard, c1965, p.196)

ま、それはさておき。神話の話形は、『IQ84』、『羊をめぐる冒険』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフターダーク』で再現されているように、「邪悪なもの(リトル・ピープル)」の侵入を、センチネルの役を任じる主人公たちが徒党を組んで食い止めるものです。

村上春樹の有名なスピーチで、「Between a high solid wall and a small egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how right the wall may be, how wrong the egg, I will be standing with the egg.(高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です)」というのがありますが、先の邪悪なものはこのスピーチに於いては「システム」に置き換わっておりましたわけです。

もともとは「人間が作り出したもの」が、それ自体の生命を持って、人間たちを貪り喰い始め、「卵の側に立つ」以外に、人間が「システマティック」な世界をわずかなりとも「人間的なもの」に保つためにできることはほとんどない・・・。そういうものです。神様は、敵として現れるものです。神様は小さい人間として現れる、全く厄介な構造になったものです。

三波春夫はがっかりしているかもわかりませんが、それはそれでしょうがないわけです。

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やれやれ、大変だな http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1940423324&owner_id=40049699&full=1

「ひとたび「作者」が遠ざけられると、テクストを<解読する>という意図は、まったく無用になる。
あるテクストにある「作者」をあてがうことは、そのテクストに歯止めをかけることであり、ある記号内容を与えることであり、エクリチュールを閉ざすことである。
このような考え方は、批評にとって実に好都合である。
そこで、批評は、作品の背後に「作者」(または、それと三位一体のもの、つまり社会、歴史、心理、自由)を発見することを重要な任務としたがる。
「作者」が見出されれば、テクストは<説明>され、批評家は勝ったことになるのだ。
したがって、「作者」の支配する時代が、歴史的に、「批評」の支配する時代でもあったことは少しも驚くにあたらないが、しかしまた批評が(たとえ新しい批評であっても)、今日、「作者」とともにゆさぶられていても少しも驚くにあたらない。」
(Roland Gérard Barthes, Sollers écrivain, Éditions du Seuil, Paris, c1979)

まあ、とりあえず常識的には、その自由な(意図的に無視された前段後段等の文脈等)解釈をどう位置付けるかは読む人次第で、あとは読む人がしょーもない解釈だったよね、とか言っていればいいだけの話ではあります。

「私たちが考えることのできないものを、私たちは考えることはできない。
それゆえ、私たちが考えることのできないものを、私たちは語ることはできない。
(・・・)世界は私の世界であるということは、言語(それだけを私が理解している言語)の境界が私の世界の境界を指示しているということのうちにあらわれております。
形而上学的主体は、世界に含まれているのではありません。
それは、世界の境界なのです。」
(Ludwig Wittgenstein, Logisch-Philosophische, Kegan Paul, c1922)

(・・・)まあなんにせよ、書いたものをそう大層大事にしておくと後で手が付けられなくなるものです。自分で言葉が統御出来ると考えている人間に限っては。私たちが言葉を統御しているのか、言葉が私たちを統御しているのか?(・・・)そうなることであろうと思います。

「『文は人である。』私たちはこの俚諺に同意する。
こう付け加えるという条件ならば。
『文は(宛先の)人である。』
(・・・)言語運用において、私たちのメッセージは〈他者〉から私たちに到来する。
但し、順逆の狂った仕方で。」
(Jacques Lacan, Écrits I, Seuil, c1966)

言語というものは、しばしば作者自身よりもはるかに豊かであり、奥行きがあるものです。それはテクストが作者自身の豊かさや奥行きを文字に「翻訳」してできあがるものではない為であるのですが。
それ故に、原理的に考えていれば、「そんなつもりで言ったんです」という説明も、「そんなつもりで言ったんではありません」という言い訳もあまり意味がないことになりましょう。何故ならば、「どういうつもりで言ったのか」を決定できる人間は、無論発言者本人を含めて、どこにも存在しないからです。

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「私は哲学者ではありません。
私は理性もシステムも十分には信じてはいません。
私はどうふるまうべきかを知ることに関心があります。
もっと厳密に言えば、神も理性も信じないでなお、人はどのようにふるまい得るかを知りたいと思っているのです。」(Albert Camus, Interview à Servir, Essais, Gallimard, c1965, p.1427)