■「プライベートをおろそかにする時代」の方が異常でしょ!? 日テレ・行列の「ゆとり特集」に若者ウンザリ
(キャリコネ - 05月18日 18:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3422187
齋藤孝教授も素直に国語だけやっておけばよかったような気もします。
『あげられたのは、「怒られるのが嫌、打たれ弱い」「指示通りに動くが、自分から動くのは苦手」「上司との酒はきっぱり断るなど、プライベート優先」という3つのポイントだ。』
前の2つのポイントからするとなんとも言えませんが、3は昔からそうじゃないですか。先祖帰りしているだけです。
「[朝の出勤時に]先輩に会ってもプイと横を向いて通ったらよい感じは与えないでしょうし……こんな子供に教えるような話をして申しわけないのですが、こんなチョットしたことから、しつけは始まっているのです。
お茶を飲もうよ、映画を見ようよ、などと友人から誘われても一切行動をともにしない人が一部分にはいるものです。
[上司のぼやき]『なにしろいまの若い人たちは、映画だ、音楽だ、カメラだ、8ミリだ、ゴルフだ、とまったくわれわれの独身時代には考えも及ばなかったものをぶらさげているからね。……結婚資金もできないのは当然だよ』」(榎原利喜雄『新入社員への覚え書 若い職場人のためにも 』(五島書店、1959))
「趣味に熱心だと、仕事のためにプライベートが大きく犠牲になることは理解できないようだ。」って昔ありましたけど、・・・あれ、今も昔も趣味が好き・・・じゃないですか。分かり合えるんですね。
社長。まったく近頃の若者たちの傍若無人ぶりときたらもう。社長が新人だった頃といいますと、1960年くらいですか。あのころはまだ日本の若者もオトナでしたよねえ。上司や先輩に敬意を払い、協調性に富み、仕事第一、遊びは二の次でしたね、そうでしょ? 社長。
・・・まあ、うそがばれちゃいましたけど。
こんなの例外だ!とおっしゃるかたは、正直日本人に向いてないんじゃないかと思うんですよねぇ。だいたい、自分が例外であるということを一切考慮に入れないし、科学はカール・ポパーが云う様に、反証の歴史です(好田順治「I ラカトシュの数学感」(『名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇』Vol.19(2)(昭和57年)所収)等)。
日本は曲がりなりにも科学立国ですから、反証が嫌いな人はこの国には必要ないんですよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「全共闘が全国規模だったとかマジ異常」というのだ。
養老孟司は、御殿下グラウンドに林立した数百本の「竹槍」を見たときに、「本土決戦」を思い出して既視感を覚えたという。世代間で遠隔遺伝があるように思う。
当時の学生たちはアジアの同胞たちが「竹槍」で米軍と戦っているときに、自分たちがぬくぬくと都市的快楽を享受していることを「志士の末裔」として恥を感じたように思う。「佐世保闘争」と「羽田闘争」にしても、「開国」した港湾に寄港した「アメリカの軍艦」と「アメリカの飛行機」を「ゲバ棒=竹槍」で追い返すというきわめてシアトリカルなものであった。
ゲバ棒のような実効性のまったくない「武器」を学生たちは喜んでとった。「実効性がない武器で戦う」というところに「竹槍性」の本質があった。
ゲバ棒でジュラルミンの盾と警棒で武装した機動隊と戦うときにはじめて、「ベトナムの農民との連帯」が幻想的に成立した。機動隊に蹴散らされて、血まみれになるときにはじめてアジア人として「恥」の感覚が少しだけだが軽減する。
「Hegel bemerkte irgendwo, daß alle großen weltgeschichtlichen Tatsachen und Personen sich sozusagen zweimal ereignen. Er hat vergessen, hinzuzufügen: das eine Mal als Tragödie, das andere Mal als Farce.(ヘーゲルはどこかで言っている。すべての世界史的な大事件と巨人は二回現れるというようなことを。ただしヘーゲル は、それに加えて次のように言うのを忘れている──一回目は偉大な悲劇として、二回目は安っぽい茶番狂言として、と)」(Karl Heinrich Marx、市橋秀泰訳『Der 18te Brumaire des Louis Bonaparte(ルイ・ボナパルトのブリュメール18日)』(新日本出版社、2014.01))
「人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。
自分で選んだ環境のもとではなくて、すぐ目の前にある、あたえられた、持ち越されてきた環境のもとでつくるのである。
死せるすべての世代の伝統が夢魔のように生ける者の頭脳をおさえつけている。
またそれだから、人間が、一見、懸命になって自己を変革し、現状をくつがえし、いまだかつてあらざりしものをつくりだそうとしているかにみえるとき、まさにそういった革命の最高潮の時期に、人間はおのれの用をさせようとして、こわごわ過去の亡霊どもをよびいだし、この亡霊どもから名前と戦闘標語と衣装をかり、この由緒ある扮装と借り物のせりふで世界史のあたらしい場面を演じようとするのである(・・・)」(Ibid.)
・・・・・・・・・
ひとつだけ言えるとすれば、70代は犯罪脳世代です。
ああ、60代までだからですね http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1934544818&owner_id=40049699&full=1
■「自分は昔やんちゃしてた」と思う男性は5人に1人!50代が最も高い原因はアレ!?
(しらべぇ - 10月31日 09:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=3120707
そりゃそうでしょうねぇ。でも、
「その真偽は別にして、「自分は昔ワルだった」「やんちゃしていた」と高らかに宣言することで、人生において様々な経験をして現在に至っていることを相手に静かにアピールできますよね。」
これは違います。
「その真偽は別にして、「自分は前科者だった」「犯罪行為をした」と高らかに宣言することで、人生において様々な被害者を踏み台にして現在に至っていることを相手に嫌味たらしくアピールできますよね。」
これが正解です。都合よくなんでもいいように捉えてはいけません。60代は大学紛争の関係でそういうひとは多いです。後内ゲバが得意なMARCHの某大学か。
強盗・殺人・強姦・放火の四種をすべて合計したグラフはこちらです。

出典:パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』(ちくま文庫、2004)
犯罪件数が最も多かったのは昭和35年、つまり昭和35年に17歳くらいであった昭和18年生まれの現在71歳のおじいさんが最も過去に犯罪者になった世代ということになります。まあ、60代ギリギリから70代最初の人が頭のやばい率が高いことになります。
年寄りは都合よく物事を忘れますから、武勇伝になる前にぼけちまえとはこのことですね。
http://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-166.html
私は『反社会学講座』で、昭和18年前後に生まれた世代(現在70代前半)がもっとも凶悪だったと、統計から導かれるひとつの事実を示しました。
そのへんのことをもっと詳しく学問的に検証してる論文をみつけていたのですが、ずっと紹介しそびれてました。この機会に紹介しておきます。
中尾暢見さんの「激増する高齢者犯罪」(『専修人間科学論集』2014年3月)。
http://ir.acc.senshu-u.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=6274&item_no=1&attribute_id=15&file_no=1&page_id=13&block_id=52
この論文では、1940年から46年生まれをひとつのコーホート(世代)として追跡しています。彼らが少年だったとき少年犯罪が多かった、そして、この世代が成人した1966年以降、少年犯罪が激減した、というところまではすでにおなじみですね。
中尾さんは彼らのその後も分析してるんです。彼らが成人すると、今度は成人の犯罪が急増しました。91年から04年、彼らが中高年だった時代には、中高年の犯罪が増えてたというじゃありませんか。
そしていまや、彼らは高齢者となったわけですが、いま問題になっている高齢者犯罪の増加は、彼らが高齢者になる数年前からの傾向だったとのこと。ただし、彼らが高齢者の仲間入りをしてから犯罪増加に拍車がかかったことは否めません。
なんとまあ……。少年のときだけではなかったんですね。現在70代前半の世代には、他の世代よりもかなり高い割合で犯罪体質の人が含まれていることは、まちがいないようです。
さて。みなさんはこの事実をどう受け止めますか。
「ほらみろ、やっぱり未成年のときにキビシく罰しなかったから、そいつらはオトナになっても年寄りになっても、犯罪を繰り返すような人間になってしまったではないか!」
なるほど。その解釈なら、「過去の反省を踏まえ、いまの年寄りの轍を踏まぬよう、一刻も早く少年法をキビシくすべきだ!」と主張することもできますね。
でも、おおかたの人たちは、その主張に反論するのでは。
「いまの年寄りが全員犯罪者なわけじゃない、ほとんどの人はまともで、犯罪者はごく一部にすぎない」
ですよね。私もそう思うし、中尾さんの論文でもそこはきちんと釘を刺してます。念を押すなら、いまの若者世代はその老人たちよりももっとまともです。
(・・・)過去の反省を今後の犯罪抑止に活かしたいのなら、脳科学者や犯罪学者や心理学者などが集まり、70代の人たちの脳や少年時代からの生活パターンなどを徹底的に調べ、なぜこの世代に犯罪者が多いのか、犯罪体質とそうでない人の違いはなにか、それを科学的に究明したらいい。そのほうがよっぽど前向きで役に立つ取り組みになるはずです。
(キャリコネ - 05月18日 18:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3422187
齋藤孝教授も素直に国語だけやっておけばよかったような気もします。
『あげられたのは、「怒られるのが嫌、打たれ弱い」「指示通りに動くが、自分から動くのは苦手」「上司との酒はきっぱり断るなど、プライベート優先」という3つのポイントだ。』
前の2つのポイントからするとなんとも言えませんが、3は昔からそうじゃないですか。先祖帰りしているだけです。
「[朝の出勤時に]先輩に会ってもプイと横を向いて通ったらよい感じは与えないでしょうし……こんな子供に教えるような話をして申しわけないのですが、こんなチョットしたことから、しつけは始まっているのです。
お茶を飲もうよ、映画を見ようよ、などと友人から誘われても一切行動をともにしない人が一部分にはいるものです。
[上司のぼやき]『なにしろいまの若い人たちは、映画だ、音楽だ、カメラだ、8ミリだ、ゴルフだ、とまったくわれわれの独身時代には考えも及ばなかったものをぶらさげているからね。……結婚資金もできないのは当然だよ』」(榎原利喜雄『新入社員への覚え書 若い職場人のためにも 』(五島書店、1959))
「趣味に熱心だと、仕事のためにプライベートが大きく犠牲になることは理解できないようだ。」って昔ありましたけど、・・・あれ、今も昔も趣味が好き・・・じゃないですか。分かり合えるんですね。
社長。まったく近頃の若者たちの傍若無人ぶりときたらもう。社長が新人だった頃といいますと、1960年くらいですか。あのころはまだ日本の若者もオトナでしたよねえ。上司や先輩に敬意を払い、協調性に富み、仕事第一、遊びは二の次でしたね、そうでしょ? 社長。
・・・まあ、うそがばれちゃいましたけど。
こんなの例外だ!とおっしゃるかたは、正直日本人に向いてないんじゃないかと思うんですよねぇ。だいたい、自分が例外であるということを一切考慮に入れないし、科学はカール・ポパーが云う様に、反証の歴史です(好田順治「I ラカトシュの数学感」(『名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇』Vol.19(2)(昭和57年)所収)等)。
日本は曲がりなりにも科学立国ですから、反証が嫌いな人はこの国には必要ないんですよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「全共闘が全国規模だったとかマジ異常」というのだ。
養老孟司は、御殿下グラウンドに林立した数百本の「竹槍」を見たときに、「本土決戦」を思い出して既視感を覚えたという。世代間で遠隔遺伝があるように思う。
当時の学生たちはアジアの同胞たちが「竹槍」で米軍と戦っているときに、自分たちがぬくぬくと都市的快楽を享受していることを「志士の末裔」として恥を感じたように思う。「佐世保闘争」と「羽田闘争」にしても、「開国」した港湾に寄港した「アメリカの軍艦」と「アメリカの飛行機」を「ゲバ棒=竹槍」で追い返すというきわめてシアトリカルなものであった。
ゲバ棒のような実効性のまったくない「武器」を学生たちは喜んでとった。「実効性がない武器で戦う」というところに「竹槍性」の本質があった。
ゲバ棒でジュラルミンの盾と警棒で武装した機動隊と戦うときにはじめて、「ベトナムの農民との連帯」が幻想的に成立した。機動隊に蹴散らされて、血まみれになるときにはじめてアジア人として「恥」の感覚が少しだけだが軽減する。
「Hegel bemerkte irgendwo, daß alle großen weltgeschichtlichen Tatsachen und Personen sich sozusagen zweimal ereignen. Er hat vergessen, hinzuzufügen: das eine Mal als Tragödie, das andere Mal als Farce.(ヘーゲルはどこかで言っている。すべての世界史的な大事件と巨人は二回現れるというようなことを。ただしヘーゲル は、それに加えて次のように言うのを忘れている──一回目は偉大な悲劇として、二回目は安っぽい茶番狂言として、と)」(Karl Heinrich Marx、市橋秀泰訳『Der 18te Brumaire des Louis Bonaparte(ルイ・ボナパルトのブリュメール18日)』(新日本出版社、2014.01))
「人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。
自分で選んだ環境のもとではなくて、すぐ目の前にある、あたえられた、持ち越されてきた環境のもとでつくるのである。
死せるすべての世代の伝統が夢魔のように生ける者の頭脳をおさえつけている。
またそれだから、人間が、一見、懸命になって自己を変革し、現状をくつがえし、いまだかつてあらざりしものをつくりだそうとしているかにみえるとき、まさにそういった革命の最高潮の時期に、人間はおのれの用をさせようとして、こわごわ過去の亡霊どもをよびいだし、この亡霊どもから名前と戦闘標語と衣装をかり、この由緒ある扮装と借り物のせりふで世界史のあたらしい場面を演じようとするのである(・・・)」(Ibid.)
・・・・・・・・・
ひとつだけ言えるとすれば、70代は犯罪脳世代です。
ああ、60代までだからですね http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1934544818&owner_id=40049699&full=1
■「自分は昔やんちゃしてた」と思う男性は5人に1人!50代が最も高い原因はアレ!?
(しらべぇ - 10月31日 09:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=3120707
そりゃそうでしょうねぇ。でも、
「その真偽は別にして、「自分は昔ワルだった」「やんちゃしていた」と高らかに宣言することで、人生において様々な経験をして現在に至っていることを相手に静かにアピールできますよね。」
これは違います。
「その真偽は別にして、「自分は前科者だった」「犯罪行為をした」と高らかに宣言することで、人生において様々な被害者を踏み台にして現在に至っていることを相手に嫌味たらしくアピールできますよね。」
これが正解です。都合よくなんでもいいように捉えてはいけません。60代は大学紛争の関係でそういうひとは多いです。後内ゲバが得意なMARCHの某大学か。
強盗・殺人・強姦・放火の四種をすべて合計したグラフはこちらです。

出典:パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』(ちくま文庫、2004)
犯罪件数が最も多かったのは昭和35年、つまり昭和35年に17歳くらいであった昭和18年生まれの現在71歳のおじいさんが最も過去に犯罪者になった世代ということになります。まあ、60代ギリギリから70代最初の人が頭のやばい率が高いことになります。
年寄りは都合よく物事を忘れますから、武勇伝になる前にぼけちまえとはこのことですね。
http://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-166.html
私は『反社会学講座』で、昭和18年前後に生まれた世代(現在70代前半)がもっとも凶悪だったと、統計から導かれるひとつの事実を示しました。
そのへんのことをもっと詳しく学問的に検証してる論文をみつけていたのですが、ずっと紹介しそびれてました。この機会に紹介しておきます。
中尾暢見さんの「激増する高齢者犯罪」(『専修人間科学論集』2014年3月)。
http://ir.acc.senshu-u.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=6274&item_no=1&attribute_id=15&file_no=1&page_id=13&block_id=52
この論文では、1940年から46年生まれをひとつのコーホート(世代)として追跡しています。彼らが少年だったとき少年犯罪が多かった、そして、この世代が成人した1966年以降、少年犯罪が激減した、というところまではすでにおなじみですね。
中尾さんは彼らのその後も分析してるんです。彼らが成人すると、今度は成人の犯罪が急増しました。91年から04年、彼らが中高年だった時代には、中高年の犯罪が増えてたというじゃありませんか。
そしていまや、彼らは高齢者となったわけですが、いま問題になっている高齢者犯罪の増加は、彼らが高齢者になる数年前からの傾向だったとのこと。ただし、彼らが高齢者の仲間入りをしてから犯罪増加に拍車がかかったことは否めません。
なんとまあ……。少年のときだけではなかったんですね。現在70代前半の世代には、他の世代よりもかなり高い割合で犯罪体質の人が含まれていることは、まちがいないようです。
さて。みなさんはこの事実をどう受け止めますか。
「ほらみろ、やっぱり未成年のときにキビシく罰しなかったから、そいつらはオトナになっても年寄りになっても、犯罪を繰り返すような人間になってしまったではないか!」
なるほど。その解釈なら、「過去の反省を踏まえ、いまの年寄りの轍を踏まぬよう、一刻も早く少年法をキビシくすべきだ!」と主張することもできますね。
でも、おおかたの人たちは、その主張に反論するのでは。
「いまの年寄りが全員犯罪者なわけじゃない、ほとんどの人はまともで、犯罪者はごく一部にすぎない」
ですよね。私もそう思うし、中尾さんの論文でもそこはきちんと釘を刺してます。念を押すなら、いまの若者世代はその老人たちよりももっとまともです。
(・・・)過去の反省を今後の犯罪抑止に活かしたいのなら、脳科学者や犯罪学者や心理学者などが集まり、70代の人たちの脳や少年時代からの生活パターンなどを徹底的に調べ、なぜこの世代に犯罪者が多いのか、犯罪体質とそうでない人の違いはなにか、それを科学的に究明したらいい。そのほうがよっぽど前向きで役に立つ取り組みになるはずです。