赤松正雄のブログ

公明党・衆議院議員。国会での出来事を中心に、今、世界で日本で話題となっている様々な出来事をどう受けとめればいいかを解説。

福田氏との公明党をめぐる4年前のやりとり

2007年09月24日 | Weblog
 福田自民党総裁が予想通り誕生した。明日の25日に総理大臣として選ばれることになる。この人については、今から4年前の平成15年9月30日に開かれた衆議院テロ特別委でのやりとりが思い出される。自民党との連立からちょうど4年経った頃で、私は連立政治と一党単独の政治のどっちが良いかとの観点から、当時小泉・自公保三党連立政権の官房長官をしていた福田さんに感想を訊いてみた。以下はその時の福田発言。

 「自民党はもう長い間政権政党という立場でもって、物事を考えがちである。しかし、公明党が参加してくれることで、どちらかといえば、平和主義とか国民一人ひとりの考え方を大事にするといった、自民党に不足しがちな視点から、国民のニーズを細かく拾い上げて、対応できるような状況になった。これは私はここ4年間にわたり連合体を作って、与党を組んでやってきたということの良かった面であると思います。私は、そういう意味において現状を否定するつもりはございません」

 当時は、民主党が自由党と合併した直後であり、同時に小泉首相再選直後でもあった。二大政党制の流れが出来つつあった矢先でもあった。こうしたことからこの発言は、(今から思えば、物足りなさがあるものの)連立政権の利点を強調されたものとして注目されたものだ。私自身その福田発言を受けて、「今の話については、これから私たちの立場で盛大に訴えていきたい」などと述べていることからもその時の高揚した気分がうかがえる。しばらく経って官房長官を途中で辞任され、やがて憲法調査特委の理事として同じテーブルに着く機会が増えた。いらい、随時懇談し、政治状況をめぐって意見交換をしたり、種々教えをいただいてきただけに、総理に就任されることはひときわ感慨深い。

自民総裁選挙での外交の基本構想への懸念

2007年09月22日 | Weblog
 自民党総裁選挙での二人の候補の主張を見て、外交政策の基本で微妙に違うところに惹かれた。麻生前外相は、就任時から「自由と繁栄の弧」を作りたいとの主張を持論にしていた。私自身も委員会で質問をしたことがある。それは、米国がかつてしきりに使っていて、今は引っ込めた「不安定の弧」を十分に意識した構想だと思われる。中東から北東アジアまでの地域に積極的に日本が関与して、自由と民主主義を謳歌できる国づくりに貢献したいとの意欲がうかがえるが、同時に米国の軍事戦略と表裏一体とならざるをえないだけに不安を持たざるをえない、との観点から訊いたものだ。その答えはいまいちかみ合わず、不満が残ったが、今尚この構想の危うさを感じざるを得ない。

 一方、福田元官房長官は東アジア共同体構想を掲げている。これについては、既に多くの人々も関心を示しているものだが、所詮中国に取り込まれるだけとか、アメリカとの関係をどうするのかなどといった問題点が指摘されている。公明党はかねてよりこの構想に近い北東アジア安全保障会議の設置を提案してきており、党内に賛同者は少なくない。私は、米日中二等辺三角形論に見られる三国等距離などどといったことではなく、あくまで日米同盟を基軸に日中協商関係を培っていくという観点に立つことが大切と思う。東アジア共同体構想が現実性をもつものか十分に吟味する必要性があると考える。

 ともあれ未だ両者とも十分に熟した構想とはいえないように思う。総理大臣に就任すると、一気に進むものかどうか関心をもって見守りたい。

連立政権協議に臨むにあたって必要な視点二つ

2007年09月21日 | Weblog
 20日の公明党の政調全体会議では、自民党との間での「連立政権協議」にどう臨むかについての議論を行った。ここでは、叩き台として、政権協議に臨む基本姿勢と重点事項からなるペーパーが提示された。負担増・格差の緩和、地域の活性化、若者の未来を開く、命を守る安全網,女性が安心できる社会、「政治とカネ」の透明化といった6項目が並んでいた。

 私は、二つの観点から問題点を提起させていただいた。一つは、やはりこの場面は、公明党が目指す国家像というものを大まかで良いから示すべきだということである。今回の参院選で「未来に責任を持つ政治」との旗印を掲げたわけだが、どういう未来を公明党は創ろうとしているのかとの、あるべき国家・社会像がもう少し語られてしかるべきではないかと思ったものだ。例えば、「新しい福祉と平和目指す文化国家」とか「人間の安全保障に裏付けられた教育国家」とかいった全体像がイメージできるように示されることが望ましいと思う。

 また、この政権協議にはやはり外交・安全保障をめぐる項目が欲しい。平和憲法の範囲内で国際社会で行動する平和主義とか、集団的自衛権問題や憲法改正をめぐる課題にどう取り組むのかなどの視点も必要だと思う。これらが全く欠落していて、国内政治の課題だけの論及では、国際政治をめぐる問題ではすべて自民党との間で一致していると見られてしまうのではないかと懸念される。

早朝の駅頭で国際テロとの戦いの責任について演説

2007年09月20日 | Weblog
 昨19日は、毎週水曜日に姫路駅前で街頭演説をしている県議会議員、市議会議員と合流して、私も短い時間だったが、演説をした。今自民党で行われている総裁選挙の経緯について触れた後、この国会最大の焦点とされるテロ特措法について、かいつまんで以下のように話した。

 結論は、テロ特措法を今ここで失効させると、テロと戦う国際社会における日本の責任を放棄してしまうことになる。2001年9月11日のあのアメリカ同時多発テロがすべてのきっかけとなり、その後アフガンを根城にするタリバンやアルカイダなどの国際テロ集団との戦いが始まったことは周知のとおり。国連安保理事会は翌12日安保理決議1368を満場一致で採決した。これは、前文で加盟国の個別的、集団的自衛権を確認、そのうえでこの攻撃を国際の平和と安全に対する脅威と認定し、テロの防止、抑圧のために国際社会の協力を求めたものだ。

 今日まで、不朽の自由作戦(OEF)、国際治安支援部隊(ISAF)、地方復興チーム(PRT)と大きく三つの活動がアフガン及びその周辺で展開されているが、そのうち、OEFについては、本土への派遣と海上での阻止活動(OEFーMIO)とに分かれる。日本はこの海上阻止活動(現在8カ国が参加)にインド洋上で取り組む各国艦船に燃料や水を補給しており、その実態は純然たる対テロ警察活動の支援であって、軍事的掃討作戦や治安維持にあたるものではない。OEFの活動になんらかの協力を行っている国は75カ国にものぼり、まさに国際社会一致しての取り組みだ。これに参加すべきではないとする、民主党はじめ日本の野党の主張は事実誤認識に立った反国際社会的偏見といわざるをえない。

産科、小児科の医師不足の深刻さを実感

2007年09月19日 | Weblog
 18日は稲美町の町議会選挙の告示とあって、早朝より出向く。同時に猪名川町議会選挙も告示され、引き続き午後には向かった。かつて、兵庫県は70町あったが、今では平成の大合併のおかげで12町に縮小。数少ない町として残ってるのはそれなりに個性豊かな町であるといえる。一昨日は、上郡町の敬老会から佐用町へと、岡山県と兵庫県境の山並みを走ったが、一転昨日は、兵庫の中心部から東の砦ともいうべき大阪府と近接する地域に足を運んだ。あらためて兵庫は広いことを実感した。

 稲美町の事務所開きの挨拶では、新しくオープンされる兵庫県立の加古川病院に産科と小児科が付設される予定がない問題について触れておいた。折角の新病院なのに、婦人科はあっても産科と小児科の休診状態が続くというのでは惜しい。兵庫県当局に訊くと、市立加古川病院の方に、それら二科があるので、棲み分けするというのが答え。全国的に産科と小児科の医師不足が深刻であるとの実態が、ここでも突きつけられたわけだ。

 稲美町の住民は、この新しい県立病院の場所が同町と近いことから、利用する機会も多いと考えられ、期待する向きが多い。このためこれから町議会、県議会と連携を保ちながら、必ず近い将来にはこの問題の解決を図ると約束をした。期せずして拍手が沸き起こったが、実現せねばその責めをおうことになるだけに真剣に取り組みたい。

 焼け付くような日差しのもと、一生懸命に公明党支援に走ってくださる皆さんが大勢集まってくださった。この人たちのために、しっかり頑張ろうとの決意を改めて固めたしだい。

高齢者医療制度の見直しを主張した福田氏に共感

2007年09月18日 | Weblog
 15日は神戸市内のホテルで年に一回の高校の同窓会が開かれた。母校出身の校長が初めて誕生したとあって、大いに盛り上がった。とりわけ現役高校生の合唱部の生徒諸君が登場してその美声を聞かせてくれたのには感動した。2年前には全国大会に出場、今年も近畿大会で優秀な成績を収めたというだけあって、ひときわ聞かせる内容であったように思う。部員数90人強という大世帯ということは、相当に人気があるに違いない。そのエネルギーを頂きたく、積極的に会話を交わそうと、出番を待っている子どもたちに近づいてみた。皆きわめて礼儀正しかった。ゆっくりと懇談する機会が欲しい。

 我が母校はあまりこれまで政治家には縁が薄い校風だったが、このところ少しずつ増えている。この日も衆議院議員の私のほかに、兵庫県議会議員が3人(自民、公明、民主と一人ずつ)、神戸市議会議員が2人(自民、民主一人ずつ)の6人が顔を見せていた。他にこの日はきていなかったが、西宮市議もいるし、今落選中の前神戸市議もいる。贔屓目だろうが、皆なかなかいい議員と思われる。党派を超えて良い仕事をしてほしいもの。

 17日は敬老の日ということで、上郡町の式典に顔を出した。75歳以上の方々約300人を前に挨拶をした。明年の4月から開始予定の高齢者医療制度によって負担増が懸念される状況のなかで、福田康夫氏が同制度の見直しを口にしたとの報道について同意を示しておいた。次回の衆議院総選挙で勝ちたいと思うなら必然的にそうせざるをえない予感がするからだ。

対決色むき出しではなく、我慢の説得に汗流すとき

2007年09月15日 | Weblog
 テロ特措法の行方が注目を集めている臨時国会だが、いきなり安倍首相が健康の不安から辞任したことによって、ますます混迷を深めている。私自身は首相が辞任表明をされる前日の政府側の発言がいささか気になっていた。これは、防衛相や外務相が、インド洋での給油活動を途切れさせないために、新たな法案を出した場合に、民主党が多数を占める参議院で否決されても、憲法の規定にのとって再び衆議院に戻された時点で、粛々と3分の2の賛成で議決すればいいとの発言をしたことをさす。加えて、国会承認にかかわる部分も入れると、結局は民主党など野党の反対で意味をなさなくなるので、入れずともいいとのことも付け加えられたと聴く。

 これは、まことに言わずもがなのことではないか。これから与野党間での協議が始まろうという矢先に、野党の感情を逆なでするようなことを平気で言うのはおかしい。現に民主党から強い反発の声があがっていた。

 ここは、民主党の主張がいかに矛盾したものであるか、また国際社会で受け入れられているものを拒否することがどんなに悪影響を与えるかについて大いに世論に訴えることが先決であって、いきなり対決色をむき出しにして誰が得をするのだろうかと言いたい。

 時間が持つ意味を十分に考えながら、一見無理に見えてもこれを我慢しながら説得工作を続けることに意味があるのではないか。どこかの新聞に出ていたが、今こそ与党幹部は関係各方面に頭を下げてお願いに回るときであるという、中曽根元首相のアドバイスこそ聞くべきものではないか、と思う。

 こういった主張については、私は12日に予定され、幻となった代表質問の日の代議士会で発言した。

注目される地域連携型の医療人養成の試み

2007年09月14日 | Weblog
 国会は開幕した途端に安倍総理の辞任で頓挫してしまったが、公明党の厚生労働部会では11日、次期診療報酬改定に向けた中央社会保険協議会での検討や、緊急医師確保対策に関する取り組みについて、厚生労働省や文部科学省の担当部局から進捗状況の説明を受けたあと、意見交換などを行った。

 このうち、私が注目したのは、「地域連携型高度医療人養成推進事業」。これは、大学病院の医師不足、医師派遣機能の低下によって地域の医師不足が深刻化していることから、大学病院や地域の医療機関などが緊密に連携して実施する循環型の医師キャリア形成システムを構築しようというもの。まずは、宣告20事業を予定、1事業あたり5億円の予算をつけようという。

 私が個人的に親しくさせていただいている虎の門病院の小松秀樹先生がその著作『医療の限界』のなかで、有能な医師をいかに育てるかについて「有望な医師を若いときから重要なポストにつけて責任を負わせなければなりません」としたうえで、「東京の基幹6病院の泌尿器科が、共同で泌尿器科医を育成するために、東京泌尿器科堅守協議会を結成、問題のある症例の検討会や,手術の徹底比較や相互の手術見学、講義などを行っている」ことを紹介されていた。この試みを参考にしてようやく文科省も動き出したものと思われる。

 医療の現場は我々のような門外漢が想像を絶するような事態が進んでおり、医師の足元が揺らいでいる。なんとかこれを食い止めるための手立てを講じなければならないことを強く感じている。

霞ヶ関も人事の季節。去る人臨む人で賑う

2007年09月13日 | Weblog
 安倍総理の辞任とは別に霞ヶ関も今、人事の季節。つい先日まで私のところにも退任や新任の挨拶に訪れる人が次々と。11日には辻哲夫前厚生労働事務次官と増田好平防衛事務次官がこられた。辻さんは兵庫県の出身で、私とは同郷。一昨年に私が厚生労働副大臣になった頃には様々にお世話になった。この人は行政マンとしてとびきり優秀で、同時になかなかの読書家でもある。あれこれと読むべき本を教えてもらったものだ。社会保障分野は初体験の私は、手探りで一心不乱に読みまくっていた頃だけに、この人のアドバイスはありがたかった。

 官僚生活の最後が社会保険庁を舞台にした「消えた年金」問題だったことは辛かったと思う。九仞(きゅうじん)の巧を一簣(いっき)に虧(か)くとは大袈裟だが、晩節を汚されて気分はおだやかならざるものがあったはず。しかし、医療にまつわる懸案をめぐって最後まで元気な議論をした。私が虎ノ門病院の小松秀樹先生の『医療崩壊』『医療の限界』などを引用し、厚生労働省の持つ課題などを不躾になげかけたことに対して、大筋で認めつつ、これからの後輩たちの活躍をウオッチしてほしい、と。今年の厚生労働白書に、自分の主張を精一杯盛り込んだので、注目をしてほしい、との言葉にこの人らしさを感じた。

 増田次官は周知の通り、多くの先輩たちを飛び越えて新しい防衛省のトップに。安全保障分野に長く係ってきた私とは古くからの友人。このところ公明党提唱のPKOセンターの新設をめぐりやりとりの機会も多かった。この省生え抜きの人だけに期待の声が大きい。テロ特措法などの取り扱いやら新法について意見交換をした。防衛省は従来、外務省との関係がなにかと懸念されてきたが、この人の登場でスムースにいくに違いないと思われる。

結局は経験不足か。驚くばかりの安倍総理の辞任

2007年09月12日 | Weblog
 安倍総理が辞任を表明するというニュースには心底驚いた。まるで、自爆テロ的な行動にあ然とするばかり。2時からの記者会見を聴いたが、いささか支離滅裂と言わざるを得ず、精神的な動揺があったようで、かなり疲れておられるものと見た。私は安倍さんのこれまでの仕事振りを見てきて、若いのに大したものだとの評価をしてきた。しかし、このような無責任な形で投げ出されたことについては、やっぱり普通の人間なんだなぁと思わざるを得ない。まことに残念だが、この事実をしっかりと受け止めていかねばならない。

 安倍首相は、これまで自らが任命した大臣の不祥事でその任命責任が問われてきた。一転、この度の辞任によって、この総理を選びだした政党としての自民党の責任が問われるものと言わざるを得ない。政党としてあまりに総理・総裁選びが安易にすぎなかったのではないか、と。

 以前に、安倍総理を認めないとする、ある新聞社のベテラン記者と話したことを思い出す。彼は「自分が長い政治部記者生活のなかでみてきた総理大臣になろうかという政治家は、数多いポストをこなした経験豊富な人が多かった。安倍さんは、そうした経験がなさすぎる。派閥のリーダーでもないし、大臣の経験も殆どない。こういう人では無理だ」というものだった。

 その時は聞き流していたが、今となってはこの発言が正しかったとの思いが募る。これから、あらためて自民党は総裁選挙をすることになるわけだが、政権をともにする友党の一人として、その成り行きに注目をしていきたい。個人においても組織にあっても、緊急事態における対応にこそ真価が問われることを銘記しながら。