赤松正雄のブログ

公明党・衆議院議員。国会での出来事を中心に、今、世界で日本で話題となっている様々な出来事をどう受けとめればいいかを解説。

同時多発テロから6年。パキスタン大使との懇談や与党PTで協議

2007年09月11日 | Weblog
 米国同時多発テロの年から今日で、ちょうど6年がたった。NYへ英語の勉強に行っていた、以前にうちの事務所を手伝ってくれていたAさんがあの日、恐怖におびえながら国際電話をかけてきたことを昨日のように思い出す。

 国会が招集された10日には、午後3時半に公明党の外交安全調査会としてパキスタンの大使を招き、同国のテロ対策やら日本の対応についての見解を聴く機会を作った。このなかで、私は同大使に対して 1)「文明対反文明」の枠組みを持ったテロ戦争はきわめて長期に及ぶ可能性がある。早期解決に私は悲観的だが、あなたはどうか 2)イランの動きが懸念されるがどうか―などと訊いてみた。これに対して、同大使は 1)長期的には悲観していないが、短中期的には厳しい。最終的にはテロ根絶まで20年はかかろう 2)イランは中東地域における勢力拡大を目指しており、事態を悪化させようとはしていないまでも、油断ならない存在だーなどと注目すべき発言をされた。

 また、4時半からは与党のこの問題に対するプロジェクトチームの初会合がもたれた。自民、公明の外交、安保の専門家11人からなるこの会議は、これからのこの問題の行方の鍵をにぎる大事なものとなる。民主党の小沢代表が、国連安保理決議に基づかないアフガンでの給油・給水活動は認められないとの理解に苦しむ発言を繰り返していることに議論が集中した。私は、この6年における活動の総括がなされていない、情報公開をもっとすべきだとの主張に劇的に応える用意があるのかどうかについて政府の見解を求めておいた。

 安倍首相はこの日、職を賭けてこの問題に取り組む決意を述べたことから、一気に政局になる可能性が永田町を走った。どんな事態にも対応できるよう準備を急ぎたい。

能と黒田官兵衛の世界に耳目を傾ける

2007年09月10日 | Weblog
 国会開幕を直前にした先週末、会合や知人宅訪問の合間をぬって「忙中閑あり」の過ごし方をした。土曜日夜は、赤穂に飛び、第二回大石神社薪能に。狂言・清水やら能・土蜘蛛を鑑賞した。これは、私の高校時代の亡き恩師の夫人が招待してくださったもの。県知事や地元市長、同僚議員らも参加しておられた。能は先年高砂神社で観たが、赤穂はまた一段と歴史の香りが漂う特別な地だけに、格別な味わいがあった。能・土蜘蛛は派手な舞台になることから人気が高いとされるが、私には狂言の方に人間関係の綾を読み解く重要なヒントが隠されていることが察せられた。

 翌日曜は、午後に姫路文学館で、“黒田官兵衛を大河ドラマ”に、と銘打ったイベントに参加した。播磨の黒田武士顕彰会は、このところ活発な動きが注目されており、今まであまり関心を持ってこなかった市民の間で深く静かに浸透しつつある。観光に結びつけ、街起こしに役立ててもらうためにもNHKの大河ドラマに取り上げてもらうのが近道とあって、各種の試みがなされつつある。司馬遼太郎描くところの『播磨灘物語』でしか知らない“官兵衛の世界”にすっかりはまることになった。幻想的な篠笛とシンセサイザーの組み合わせの妙に始まり、黒田藩ゆかりの九州・中津との交流などの紹介、そして漫画家にして黒田官兵衛研究の第一人者の本山一城さんの講演。3時間があっという間にすぎた。司馬遼太郎に偏りすぎていた官兵衛観を修正させられた本山さんの話はなかなか聞かせたし、なにより郷土史に習熟することの大切さを顕彰会の皆さんの勉強ぶりから思い知った。今後の政治家生活に生かしたい。実は私と本山さんとは共通の漫画家の友人がいることが、終了後の懇談で判明。改めて世間の狭さに驚いたことも付け加えておきたい。

テロ特委の理事に就任へ。真価問われる時と自覚

2007年09月08日 | Weblog
 来週から始まる臨時国会では、私はテロ対策特別委員会理事、安全保障委員会理事、そして予算委員会委員として仕事をすることになりました。従来取り組んできた憲法については、野党が衆参両院に憲法審査会の設置そのものを認めない方針を崩さないことから、保留されたままになっています。議論そのものをたなざらしにすることは決していいことではないのですが、参議院選挙結果からのねじれ現象のもとでは、なかなかすんなりとは事は運ばないようです。まずこの国会は憲法論議は封印されたままになりそうです。

 さて、今国会最大の焦点は、テロ特措法の取り扱いです。それを担当することはやりがいのあることではあります。この2年ほど、テロ特別委の議論からは遠ざかっていましたので、7日は午後4時過ぎから国会事務所において外務省や防衛省、さらには内閣府の担当部局のメンバーを呼んで、改めて現状掌握に努めました。6年前の9・11に米国で起きた同時多発テロから、アフガン空爆そしてイラク地上侵攻へ。めまぐるしい動きをしてきた国際テロ及びその周辺との戦い。これを私は「新しい戦争の時代」と認識しています。

 この間、都合3回にわたって延長されてきたインド洋上での各国の艦船への日本の給油・給水活動。これなくしてアフガンに出没するテロリストの動きを封じ込められないものとされています。ただし、こうした「無償のガソリンスタンド」を何時まで続けるのか、これまでの総括をしたうえで、新たなテロとの戦いに取り組む必要があるのではないか、などと様々な主張が内外に山積しています。これらをしっかりと踏まえた上で、皆が納得する結論がえられるかどうか、文字通り私も真価が問われる時との心構えで臨みます。

C型肝炎訴訟の仙台判決の意外性。治療費への公的助成に大反響

2007年09月07日 | Weblog
 血液製剤「フィブリノゲン」などを投与され、C型肝炎ウイルスに感染したとして、東北地方に住む男女6人が国と製薬会社を相手に起こした訴訟に対する仙台地裁の判決が7日にでました。結果は意外にもこれまでの4地裁とは全く違い、国への賠償請求が初めて認められないというものでした。内容的には殆ど同じ性質を持った訴訟なのに、180度違った判決がでるというのは、なかなかミステリアスな感じがします。全国5地裁の最後にでた判決だけに、これまでの全てを踏まえたものともいえ、単に4対1とは言い切れない側面もあり、C型肝炎訴訟は振り出しに戻った感もなきにしもあらずです。どうしてこうなったかは分かりませんが、裁判の鍵を握る裁判長が仙台だけが女性だったことと無縁ではないような気が私にはしてなりません。

 ところで、昨6日の公明新聞に「C型肝炎に公費助成」とのトップ記事がでたため、嬉しい反響がありました。今まで長い間議員をしていますが、こんなに喜んでもらえたファックスも珍しいといえるほどのものを西宮市の女性から頂きました。この方は、統一地方選挙の直前にC型肝炎が発見され、インターフェロン治療を医師から勧められたといいます。しかし、選挙が終わってからの治療開始にしたため、4月から導入された高額医療費の立替払いが不要になり、大助かりになったことも触れられていました。

 ご自身もさることながら、周辺にも肝炎で悩む人が多いことから、こうした治療にかかわる費用に対して公的な助成がなされることに多大の期待をされていることがうかがわれました。どの範囲にまで助成の手を及ぼすかは、これからですのでしっかりと目配りをしないといけないことを改めて感じたしだいです。

結局は候補者自身の現場密着度で決まる選挙

2007年09月06日 | Weblog
 涙がでてこないのが不思議なくらいに思う、懐かしいあの顔、この顔。御津、揖保川、新宮、竜野と、かつて一市三町に分かれていた町々が合併で一つになり、たつの市になってはや二年ほど。昨夜、一本化されての党支部会に私としては初めて出席をしました。約40人くらいの皆さん方は選挙に私が出ていらい、いや、もっと前からありとあらゆる選挙戦でお世話になってきた人たちばかり。この参議院選挙でお互い感じたことなどを一時間ほど懇談的に語り合いました。

 政治とカネにまつわる自民党の不祥事、大臣の不適切発言、生活費負担増、宙に浮いた年金問題などをはじめとする、最前線で説明に苦労されたテーマや、路線問題としての自公連立のあり方など様々な課題や疑問、懸念が多くの皆さんから次々と出てきました。最終的に、来るべき衆院選挙でどうすれば地域に公明票を拡大をしていけるかということになって、結局は候補者としての私自身の問題に帰着することがはっきりしました。

 合併時に議員をされていた大先輩が、「(赤松さんは)選挙制度が変わって、比例選挙区からでられるようになって、かつての中選挙区時代のように一軒、一軒回ってこられなくなった。県代表という立場もあり、忙しいのかもしれないが、やっぱり、公明党という名の候補者そのものなんだから、もっと現場にこなければ、票の拡大には繋がらない」と発言。―優しい言い方ではありましたが、究極の指摘でした。路線問題など戦略は当然のことながら、動かぬ一つの結論は候補者自身がどれだけ有権者と接触するか、ということに尽きるのでしょう。訪問対話運動の大事さを改めて痛感したしだいです。

肝炎・インターフェロン治療に公費助成を

2007年09月05日 | Weblog
 臨時国会の開幕を5日後に控えて、各種の始動が本格化してきました。10時からは与党肝炎対策プロジェクトチームの会合が開かれ、今後の取り組みについて協議、午後からは各省庁の予算概算要求の現状の説明を受けました。

 肝炎PTでは、出席者で自由に意見交換をしました。安倍首相から「従来の延長線上ではない」新たな対策を与党PTに預けられた格好になっているため、その方向性について意見が集中。結局、インターフェロン治療について公費助成を国としてもすることにし、その枠をどうするかについて早急に具体的に詰めて行くことで一致しました。これは、今後の予算編成過程での課題となりますが、このPTが積極的にリードしていくことになるものと見られます。

 民主党が肝炎対策推進にむけての法案化を模索しており、近く具体的な構想が公表されるものと思われます。理念をちりばめた基本法ならともかく、与党としては法案化は困難だとの意見と、民主党の案を見据えながら一致を見ることが出来るものについてはすりあわせをすることがあってもいいとの意見なども出されました。

 明後日の9日には仙台地裁で判決が行われることになっており、その結果が注目されます。過去の大阪、福岡、東京、名古屋の4地裁の判決はいずれも国の責任を認める厳しいものだっただけに、すべて出揃う段階で一段と政治決着を求める世論が強くなることが予想されます。このPTの川崎二郎座長としても原告弁護団の皆さんと正式に会われることを提起しておきました。

日本人のこころ・民謡を堪能するほどに・・・

2007年09月04日 | Weblog
 民謡を愛してやまない人たちで構成される和風会(風坂政夫会長)の結成25周年を記念する発表会が2日の日曜日に姫路市文化センター小ホールで開かれた。私はこの会の名誉顧問を承っている関係から朝11時40分の開演から5時過ぎの終演まで、終日付き合った。普段はめったに聴く機会がない津軽三味線や尺八をまさに堪能するほど聴き溜めしてしまった感がする。途中で、姫路市議会議長らと挨拶をする機会があったのだが、彼が鳥取民謡のかいがら節のさわりを唄うものだから、当方も民謡普及に尽力するとの挨拶もそこそこに、コマーシャルソングの替え歌をやってしまった。私は、ご存知白雪酒造の「山は富士なら 酒は白雪」というのを、様々な機会に、興がのると後段部分を適宜アレンジして大声を張り上げて唄うことにしている。例えば、先年揖保川の敬老会で、「山は富士なら 川は揖保川」とやって大層受けた。この日は、「山は富士なら 姫路は和風会」とやってみた。反応は・・・?ご想像におまかせする。

 演奏で大好評だったのは、津軽三味線の人間国宝・故高橋竹山師匠の最後の愛弟子といわれる高橋竹童さん。撥捌きは圧巻だったし、富山・越中おわら「風の盆」の日にちなんで、胡弓の演奏もしてみせてくれた。また喋りが滅法うまい。すっかり魅了されてしまった。あとで楽屋に行き、挨拶と名刺交換をした際に、CDが聴きたいというと、発売されているとのこと。喋りは入っているのでしょうネ、と聴くと、それは公演会場に来てもらいませんと、と。37歳の若手で、ナイス・ガイ、将来が楽しみな伝統芸能界のホープとみた。民謡も言葉の難しさからか、しだいに日本人の日常から縁遠くなりつつある。気付いたものが、保存・発展に力を注ぎたい。

愛媛県での臨時県本部大会で新しい公明像を語る

2007年09月03日 | Weblog
 先週末の土曜日には、四国・愛媛県の臨時県本部大会に出席しました。大会には加戸守行県知事、村上誠一郎自民党愛媛県連会長ら多数の来賓が参加され、大変に重厚な会合になりました。来賓の挨拶が終わるまでは、数社のテレビカメラが配置されての取材があったのに、公明党の国会議員が登壇する段階になるとテレビカメラは誰もいなくなるという、非常に“現実的な対応”にいささか驚くやらほっとするやら。お陰で本音の話をすることができました。

 私はこれまでの公明党が、自民対社会という55年体制という庶民を無視した仕組みを壊す戦いに取り組んできた経緯を概括的に振り返えるなかで、社会党が冷戦崩壊とともに消滅した後、8年前、一転内側から自民政治を変えることに転じた試みを説明しました。しかし、6年前の小泉首相の登場によって、「成長なくして改革なし」との構造改革が進められ、「自立・自助」が前面に押し出され、強くなければ生きづらい社会へと変質していく流れになりました。そのなかで、公明党は弱くとも生きられる社会にすべく取り組んできました。しかし、残念ながら一般的には、そうした強者を助長するアメリカ型の新自由市場経済に拘泥する自民党に対して、しっかりと意見を言うパートナーとは見られなかったのです。こうしたことが今回の敗因と見られることを自覚したうえで、今後はもっと「共助」が強調され、社会的に排除されているような人々をしっかりと地域社会に抱え込むことが出来るような仕組みを作ることに邁進し、自民党とは一味もふた味も違う、新しい時代の政権政党・公明党にならねばならぬことを強調しました。

四国全敗の予感的中。その責任の所在

2007年09月01日 | Weblog
 参議院選挙の際に、徳島県に応援に入った縁から、今度は愛媛県に呼ばれた。臨時県本部大会における担当党幹部として。姫路から新幹線と在来線を乗り継いで約4時間。空路だと、伊丹空港からしか直行便がなく、メリットがあまりない。結局は陸と海を越えての列車ルートということになった。

 ところで、四国4県はなにかとユニークな語りがつきまとう。例えば、香川は中国5県を意識し、徳島は大阪など関西を気にし、愛媛は九州を気遣い、高知はアメリカに思いを馳せるとか。それぞれ向いてる方向が四国内部ではなく、外を向いてるというところがこの噺のミソ。また、こんなのもある。仮にまとまったお金があると、貯めるのが阿波、投資に使うのが讃岐、本を買うのに使うのが伊予、そして一晩で飲んでしまうのが土佐とか。讃岐男に阿波女なんていうのはここから来てるのかと思ったり、夏目漱石や正岡子規のイメージが強い愛媛と坂本龍馬に引っ張られる土佐の高知。それなりに県民性を表わしているようでいて、楽しい。

 その四国での参院選挙区は全て1人区。6月5日の徳島県での時局講演会で私は下手をすると全敗すると予測、不幸にも的中してしまった。確たる裏付けを持っていたわけではないが、候補者の年齢差や時代の空気への敏感度が気になった。結局は、今回の選挙での自民大敗の象徴的ケースに四国はなってしまった。捲土重来を期す自公連立政権にとって、まさにこの地こそリベンジの要塞にならねば、と思う。かかわった責任上、当面どうすれば強い四国公明党を築けるかについて、知恵の限りを尽くさねばなどと考えつつ、車中での時間を過ごした。