「いのちの電話」というのを
今まで聞いた事があったのかなかったのか、
あまり定かではありませんでした。
自殺防止の電話相談と言われれば、
「ああ、そういうことか」と納得しましたが、
私自身が相談をしたり受けたりということを
考えたことがなかったので、
そういうボランティア組織があるということに
とても感銘を受けたのは確かです。
日野原先生は「いのちの授業」のなかで
未来ある子ども達に「自分の時間=いのち」を
どう使うかを考えてほしいと訴えています。
いのちの大切さを伝えながら
どう生きるかを子どもに投げかけているのです。
それから昨日の講演の中では
「いのち」の次に「平和」という言葉を
何度も何度も使われていました。
いのちが大切にされるのが平和だと。
様々ないのちに日々接しながらも
いのちのありがたさやいのちの重さを
何処かしら忘れてしまっている私たち。
この講演はそれを考えるいいチャンスをくれました。
いのちが大切にされる世の中をつくるには
やはり、自分の責任で私たちのリーダーを選ぶことが大切。
日野原先生も選挙の話や政治の話のなかで、
日本の侵略戦争を認めない政府の態度をあげながら
現在の日本のいのちに対する責任感のなさを指摘しました。
そして「人のいのちを大切にする政治」を求める
世論をつくる必要性を、強く強く訴えていました。
今週末にある県知事選挙の投票には
私自身は必ず行くつもりでいるけれど、
周囲の人にほど熱心に「投票に行こう!」と
訴えることはしていません。
なぜだろう。。。
自分のことしか考えなくなった?
それとも選挙の話で「浮く」のがイヤ?
ただの怠慢かもしれないけど、
今回の選挙にはかなり腰が重い私です。
女性が選挙権を得るために
どれだけの時間がかかり、
社会的地位を向上させるために
私達の先輩がどんな苦労をしてきたか。
政治不信が招いた選挙権の放棄だとしても
その権利でしか政治をやり直すことはできない。
それならきちんと国民一人ひとりに
選挙の大切さや選挙権について理解してもらい
いのちを大切にする政治を築いてもらわなくては。
だいたい私達の権利についての教育が
学校ではほとんどありません。
権利に必ず付いて回る社会的責任(義務)についても。
教えてもらったとしても
それは主権者としてではなく、
特定の教科の得点になる
紙の上の「知識」として。
いつも思うこと。
<母達よ、学べ!
子ども達のために、
世界の女性達のために、
そして、自らを解き放つために!>
*もうじき、母親(母性を持つすべての女性)のための祭典、
日本母親大会がありますが、
残念ながら、私は参加できません。
私はいつも臆病で弱虫でした。
自信がないといって嘆いてもがいては
行き着くところは「学び」でした。
学生の頃から勉強は嫌いではなかったけれど
自ら学びたいと思ったのは
やはり、学びの場から遠ざかってから。
今でさえ、まだまだ満たされない何かがある。
自分の進みたい目的地へ
なかなか到着しそうにないことへのもどかしさ。
進んでも進んでも
前進したという実感がない苛立ち。
迷いや苦悩がある時って本能的に
今自分が知りたいことや
今まで気になっていたことを
むさぼるように知ろうとします。
今回の講演もその一つだった気がします。
「いのちの電話」ボランティアのことは
ほんのかすかな興味を抱いただけで
主体的に関わろうという気持ちはないけれど、
そういうことで人を救えたら
ステキだなぁと思います。
<この先、人との関わりの中で人の生き方(いのちの使い方)を
支えることが出来る人生を歩みたい。
そして、そのために一生学び続けたい。>
講演を聞いた日の夜、
自分の中で講演内容を整理しながら
そんな風に思いました。
この講演会に誘ってくださったしんたさんにも
たくさんたくさん感謝しながら、
勇気と元気をもらえた1日を
シアワセと感謝の気持ちで終えました。
今まで聞いた事があったのかなかったのか、
あまり定かではありませんでした。
自殺防止の電話相談と言われれば、
「ああ、そういうことか」と納得しましたが、
私自身が相談をしたり受けたりということを
考えたことがなかったので、
そういうボランティア組織があるということに
とても感銘を受けたのは確かです。
日野原先生は「いのちの授業」のなかで
未来ある子ども達に「自分の時間=いのち」を
どう使うかを考えてほしいと訴えています。
いのちの大切さを伝えながら
どう生きるかを子どもに投げかけているのです。
それから昨日の講演の中では
「いのち」の次に「平和」という言葉を
何度も何度も使われていました。
いのちが大切にされるのが平和だと。
様々ないのちに日々接しながらも
いのちのありがたさやいのちの重さを
何処かしら忘れてしまっている私たち。
この講演はそれを考えるいいチャンスをくれました。
いのちが大切にされる世の中をつくるには
やはり、自分の責任で私たちのリーダーを選ぶことが大切。
日野原先生も選挙の話や政治の話のなかで、
日本の侵略戦争を認めない政府の態度をあげながら
現在の日本のいのちに対する責任感のなさを指摘しました。
そして「人のいのちを大切にする政治」を求める
世論をつくる必要性を、強く強く訴えていました。
今週末にある県知事選挙の投票には
私自身は必ず行くつもりでいるけれど、
周囲の人にほど熱心に「投票に行こう!」と
訴えることはしていません。
なぜだろう。。。
自分のことしか考えなくなった?
それとも選挙の話で「浮く」のがイヤ?
ただの怠慢かもしれないけど、
今回の選挙にはかなり腰が重い私です。
女性が選挙権を得るために
どれだけの時間がかかり、
社会的地位を向上させるために
私達の先輩がどんな苦労をしてきたか。
政治不信が招いた選挙権の放棄だとしても
その権利でしか政治をやり直すことはできない。
それならきちんと国民一人ひとりに
選挙の大切さや選挙権について理解してもらい
いのちを大切にする政治を築いてもらわなくては。
だいたい私達の権利についての教育が
学校ではほとんどありません。
権利に必ず付いて回る社会的責任(義務)についても。
教えてもらったとしても
それは主権者としてではなく、
特定の教科の得点になる
紙の上の「知識」として。
いつも思うこと。
<母達よ、学べ!
子ども達のために、
世界の女性達のために、
そして、自らを解き放つために!>
*もうじき、母親(母性を持つすべての女性)のための祭典、
日本母親大会がありますが、
残念ながら、私は参加できません。
私はいつも臆病で弱虫でした。
自信がないといって嘆いてもがいては
行き着くところは「学び」でした。
学生の頃から勉強は嫌いではなかったけれど
自ら学びたいと思ったのは
やはり、学びの場から遠ざかってから。
今でさえ、まだまだ満たされない何かがある。
自分の進みたい目的地へ
なかなか到着しそうにないことへのもどかしさ。
進んでも進んでも
前進したという実感がない苛立ち。
迷いや苦悩がある時って本能的に
今自分が知りたいことや
今まで気になっていたことを
むさぼるように知ろうとします。
今回の講演もその一つだった気がします。
「いのちの電話」ボランティアのことは
ほんのかすかな興味を抱いただけで
主体的に関わろうという気持ちはないけれど、
そういうことで人を救えたら
ステキだなぁと思います。
<この先、人との関わりの中で人の生き方(いのちの使い方)を
支えることが出来る人生を歩みたい。
そして、そのために一生学び続けたい。>
講演を聞いた日の夜、
自分の中で講演内容を整理しながら
そんな風に思いました。
この講演会に誘ってくださったしんたさんにも
たくさんたくさん感謝しながら、
勇気と元気をもらえた1日を
シアワセと感謝の気持ちで終えました。
そう、私もたくさんのお母さん方に叫びたいと思いながら、ついつい目先の忙しさに忙殺され、また浮いてしまう恐さにくじけている一人です。
政治のこと、平和のこと、こんなのおかしいよっと声を上げたいときがあります。もちろん、子育てのことも。
日野原先生のようにはなれなくても、目に映る人、手を伸ばせば届く人たちには声を掛けていけるような人間になりたいと思います。
こちらこそ、ご一緒してもらえて感謝です。どんなにすばらしい講演も聴く耳を持っている人が行かなければダメだと思うのです。
ピンと張った生き方のアンテナ、素敵ですよ。私も見習いたいです♪
反応がなくても自分の心のはけ口として
好き勝手を綴っているブログですが、
こうしてコメントいただけると
むちゃくちゃうれしいです★
人はそれぞれ違うものを持っているけれど、
重なる部分で支えあうから
ともに生きて行けるんですよね。
いろんな出会いの中で、
私に共通した部分で支えてくれる
たくさんの人々がいることは
とてもシアワセなことです。
独り善がりになることもあるけど、
支えられることに感謝して
私も誰かの支えになれたらシアワセだと思います。
私はしんたさんの堂々としたところ
どんな人にも同じように接するやさしさを見習いたいわ~!