スマイル日和+

子育ては「自分育て」。smile流「自分育て」の日々をつづります。

無関心の罪、無行動の罪

2006-05-30 | smile monology
6年間、総会に出席しなかったのは
「仕事があるので」
「サークル等で用事があるから」という
一般的な言い訳もありましたが、
PTA活動を免除してもらえる状況が続いたことが大きな理由。
「面倒なもの」と避けていたつもりはありませんでした。
役員をしなくて良い状況にあったことで
PTAと少し距離を持ってしまっていた。。。
そのことには、やはり反省しています。

地域の中での親の関わり方は
子どもがどう育つかに大きく関係するものです。
いろんな大人とのかかわりは
子どもにとっても大切なつながりになります。

子どもの登下校を見守る活動について
学校がアンケートをとった時
「自分の子どもだけでも精一杯なのに
 他の子の世話まで出来ません」
と言う回答が載っていたのが心に引っかかっています。

自分だけが自分の子を育てているのでしょうか。
そりゃ、多くは親の扶養義務によってでしょうけど、
いろんな人の協力があったからこそだと
思わずにそう書いたのでしょうか。

現代社会は忙しい忙しいで
とかく自分のことで精一杯になりがち。
関わりたいという意識はあっても
関わり方や都合が合わずで
結局は行動に移せないで終わってしまうこともあります。

でも、それを言い訳にしていてはいけないなあって
この時はとても反省しました。
人の批判をするのであれば、
余計に自分からPTAや学校行事、
地域の子ども達に関わっていかなければと。

先日、ラジオでこんなことが話されていました。
「批判的な意見を持っていても、
日本では意見を言うことがなかなか出来ない。
定年退職したりと自分の周辺に影響が無くなってから
意見を言い出す人が多い。」

フランスの学生なんかは
労働者と一緒になってでもなんかバンバンしている。
日本では、政府のおかしい行動に
愚痴は言っても行動までは起こさない。

行動を起こしている人がいたとしても
マスコミはほとんど取り上げもしない。
その代わり、権力者の話に乗っかって
大切な問題そっちのけで
「メール問題」に振り回されたり。
コレもおかしい話。
戦前戦中の大本営と同じじゃない。

そして、日本人の性質と言うかなんというか。
よく言えば「和を保つ」。
悪く言えば「長いものに巻かれる」。
個人の利益・自由・権利を求めつつも
肝心の意思表示になるといつもあいまいで
全体に同調してしまう。
私の中にもその性質はあるけれど、
意識を持てば変えられるし、流されないですむ。
少しの勇気と確かな目を持つこと。

無関心でいることは、
子どもたちの将来に無責任でいること。
おかしいと思うことに行動を起こさなければ、
おかしい方の力に流されてしまう。

流されている方が楽だから
行動を起こさないのだろうか。
孤立するのが怖くて
周りに同調するのだろうか。
そうやって過ちを繰り返してきたことに
気がつかなくては。

自分のことをきちんと表現できる子に育てたい。
そう思う親は多いと思うけれど、
そう思いつつ親の方は自ら表現しようとしないってことも多い。

「子は親の鏡」って本当ですよ。
子ども達を見ていると
時々ひょっこりと親の姿が映し出されます。
良くも悪くも子どもは親に似ます。

無責任な親からは無責任な子が育つ。
そうとは限りませんが、
周囲の大人に責任があるのは確かです。

しんどいこともあるけれど、
子ども達の将来に責任を持つ親として
無関心でいてはいけないことには
きちんと注意を払っていきたいと思います。

そして、黙っていてはいけない時には、
ちゃんと腰を上げて胸を張って、
自分の意見を言える人でありたい!
そう思った一日になりました。

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