スタッフの育成をしている中で、
最近、ずっと話すことのひとつが、
「プロ」と「超のつくプロ」の差です。
言葉だけで探っていくと、
プロ=プロフェッショナルとは、
プロフェッショナル (en:professional)
・ある分野について、専門的知識・技術を有していること、
あるいは専門家のこと。
・プロフェッショナルスポーツなど何かの専門分野か、
広範囲の人々によって行われる分野において、
それを職業としている人。
趣味としている人であるアマチュアに対する語。
・そのことに対して厳しい姿勢で臨み、
かつ、第3者がそれを認める行為を実行している人。
などが上がってきます。
広義でいうところの「その分野の専門家」であることと
ここでは解釈させていただきますが...
今のような情報社会になると、
ひとつの専門分野で、
専門的知識・技術を有していることが、
果たして「プロ」の条件なのかというと
私はどうも、違うというか足りない気がするのです。
素人、また顧客の皆さんの中にも、
時折、専門職としているプロを超えるほどの
技術・知識をお持ちの方も増えている世の中。
とすれば、技術・知識はあって当たり前の時代です。
私が最近、感じているのは、
専門的知識・技術を有しているとだけを武器に、
仕事をする時代は終わったということなんです。
例えば、我々のような飲食業であれば、
ホールならホールの、
キッチンならキッチンの、
バーテンダーならバーテンダーの、
専門的知識+αをどれだけ持っているかが
これからの求められる姿のように思うのです。
超プロ=専門的技術・知識+α。
果たしてこれが何なのか。
・時代の流れや空気を少しでも感じ取れる感性。
・会話や振る舞いにおけるプレゼンテーション能力。
・個々の人々の一瞬の心の動きを感じ、
「他人」を自分のフィルターの中に溶け込ませ
考えられる高い人間性。
など、到底口では具体化できない
「波」のようなものではないだろうかと私は思っています。
例えばおいしい料理を作れる料理人がいるとします。
その方のまず持つべき専門知識・技術は、
素材の吟味術や仕入れ方法、
また旬を感じる素材の情報。
そしてその素材を料理に仕上げる調理技術。
また、新しいレシピの創作もあります。
商品化する提供技術とすれば、
どのようなお皿にどんな風に盛りつけて、
そしてそれを「おいしい料理」としてお店で売る。
そこまでが、普通のプロとしての最低基準だとします。
しかし、これからの時代なら、
・今の時代にそのお料理をお出しするなら、
どんな形でお出しするのが一番お喜び頂けるのか。
・古典的と呼ばれるものや伝統と言われるものが、
今の時代にも受け入れられるにはどう工夫すべきか。
・キッチンだけに籠っておらず、
街に出て、人が好むものは何かをどう察知すべきか。
・自分が思うもの好きなものを作るのではなく
お客様が好きなものを感じ取れるか。
・それをお伝えする場面では、
どんな言葉を使い、どんなシーン作りが必要か。
・そこに、技術・知識だけに頼らない、
ぬくもり感やお客様との共有感があるか。
などを加味していかないといけない気がするのです。
こんな恐慌や不況と呼ばれる時代に、
それこそ、人々がお金を使わない、いや使えない時代に、
選ばれる店になっていくには、
そんな取り組みが必要な気がして仕方ないのです。
私のような飲食業なら、
「私が思うおいしいものでなく、
お客様がおいしいとおもうものを、
お客様のご来店動機をさりげなく察知しながら、
自分の最大限の情報収集や技術錬磨と、
それを余すところなく伝えられる会話・伝達力と、
つねに愛情と感謝を感じられる人間力を駆使して、
よりおいしく、楽しく、豊かに
お召し上がりいただく。
そしてその中で生まれる会話や関わりの中で、
その時間が明日への活力や、
日々の疲れをいやす非日常感を生み出すこと。」
美辞麗句のように思われるでしょうが、
実にこれくらいのことを日常の信念体系に置いて、
仕事に取り組まないと、
もう取り残されていくような気がしてならないのです。
それ故に、「超がつくほどのプロ」でなくては
と思います。
もちろん私にだって、万全にそれができているとは
到底思えていませんので、
スタッフ同様、日々それを作り上げる毎日です。
最近、ずっと話すことのひとつが、
「プロ」と「超のつくプロ」の差です。
言葉だけで探っていくと、
プロ=プロフェッショナルとは、
プロフェッショナル (en:professional)
・ある分野について、専門的知識・技術を有していること、
あるいは専門家のこと。
・プロフェッショナルスポーツなど何かの専門分野か、
広範囲の人々によって行われる分野において、
それを職業としている人。
趣味としている人であるアマチュアに対する語。
・そのことに対して厳しい姿勢で臨み、
かつ、第3者がそれを認める行為を実行している人。
などが上がってきます。
広義でいうところの「その分野の専門家」であることと
ここでは解釈させていただきますが...
今のような情報社会になると、
ひとつの専門分野で、
専門的知識・技術を有していることが、
果たして「プロ」の条件なのかというと
私はどうも、違うというか足りない気がするのです。
素人、また顧客の皆さんの中にも、
時折、専門職としているプロを超えるほどの
技術・知識をお持ちの方も増えている世の中。
とすれば、技術・知識はあって当たり前の時代です。
私が最近、感じているのは、
専門的知識・技術を有しているとだけを武器に、
仕事をする時代は終わったということなんです。
例えば、我々のような飲食業であれば、
ホールならホールの、
キッチンならキッチンの、
バーテンダーならバーテンダーの、
専門的知識+αをどれだけ持っているかが
これからの求められる姿のように思うのです。
超プロ=専門的技術・知識+α。
果たしてこれが何なのか。
・時代の流れや空気を少しでも感じ取れる感性。
・会話や振る舞いにおけるプレゼンテーション能力。
・個々の人々の一瞬の心の動きを感じ、
「他人」を自分のフィルターの中に溶け込ませ
考えられる高い人間性。
など、到底口では具体化できない
「波」のようなものではないだろうかと私は思っています。
例えばおいしい料理を作れる料理人がいるとします。
その方のまず持つべき専門知識・技術は、
素材の吟味術や仕入れ方法、
また旬を感じる素材の情報。
そしてその素材を料理に仕上げる調理技術。
また、新しいレシピの創作もあります。
商品化する提供技術とすれば、
どのようなお皿にどんな風に盛りつけて、
そしてそれを「おいしい料理」としてお店で売る。
そこまでが、普通のプロとしての最低基準だとします。
しかし、これからの時代なら、
・今の時代にそのお料理をお出しするなら、
どんな形でお出しするのが一番お喜び頂けるのか。
・古典的と呼ばれるものや伝統と言われるものが、
今の時代にも受け入れられるにはどう工夫すべきか。
・キッチンだけに籠っておらず、
街に出て、人が好むものは何かをどう察知すべきか。
・自分が思うもの好きなものを作るのではなく
お客様が好きなものを感じ取れるか。
・それをお伝えする場面では、
どんな言葉を使い、どんなシーン作りが必要か。
・そこに、技術・知識だけに頼らない、
ぬくもり感やお客様との共有感があるか。
などを加味していかないといけない気がするのです。
こんな恐慌や不況と呼ばれる時代に、
それこそ、人々がお金を使わない、いや使えない時代に、
選ばれる店になっていくには、
そんな取り組みが必要な気がして仕方ないのです。
私のような飲食業なら、
「私が思うおいしいものでなく、
お客様がおいしいとおもうものを、
お客様のご来店動機をさりげなく察知しながら、
自分の最大限の情報収集や技術錬磨と、
それを余すところなく伝えられる会話・伝達力と、
つねに愛情と感謝を感じられる人間力を駆使して、
よりおいしく、楽しく、豊かに
お召し上がりいただく。
そしてその中で生まれる会話や関わりの中で、
その時間が明日への活力や、
日々の疲れをいやす非日常感を生み出すこと。」
美辞麗句のように思われるでしょうが、
実にこれくらいのことを日常の信念体系に置いて、
仕事に取り組まないと、
もう取り残されていくような気がしてならないのです。
それ故に、「超がつくほどのプロ」でなくては
と思います。
もちろん私にだって、万全にそれができているとは
到底思えていませんので、
スタッフ同様、日々それを作り上げる毎日です。