MIDNIGHT TALKING MAN

新米社長の涙と笑いのドタバタ奮闘日記

肚の据わった顔。

2009年08月04日 | Weblog
人は肚が据わってくると、
「体(てい)」まで変わってくるものだ。

次元が上昇するというか、
人そのもののオーラが変わって行く。
その凄まじいまでもの変化を
目の当たりにした時、
なんとも身震いしていまうものだ。

部下のひとりから、
そんな「信念」とも言える
成長ぶりを見た。

我々は、酒という良薬であり、
また毒薬にも変わる飲み物を媒介として、
生業を持っている。

普段は、それ相応に良好な環境で、
また、我々もそれに見合うべく、
恒日頃から、切磋琢磨を繰り返す。

しかし、酒というものは度が過ぎると、
「感情」の矛先すらも取り違えるほど、
人を狂わせる。

酔っぱらい。

そう言ってしまえば笑い話。

しかし、時折それは「道」をも外すのだ。
相当な悪意や邪心を持った言葉や行動を、
働く我々に振りかざして来ることもある。

謙るのか。
諭すのか。
それとも袂を分つのか。

私が教えて来た事は、
時として、袂を分かつ事も必要ということ。

やみくもに切れというのではない。
平常心に立ち返り、
お互いの心情や尊厳まで真摯に受け止めた上でも、
相見えないことについては、
我々は袂を分かつ。

清濁噛み砕いても、
渡れぬ橋はあるということだ。

威勢であるとか、
武勇というのではなく、
信じる道を進む上で、
相見えない価値・感覚に出会えばこそ、
学びも多い。

しかし、それを噛み砕いて飲み込んだとしても、
我々の道筋に暗雲が立ちこめるのであれば、
分つ道を選ぶことも良しとする。

桶狭間のような、
机上で勝ち戦を練るのではなく、
あくまで生き様を賭けた決断である。

サービス、接客業という範疇を越え、
人としての尊厳。
生き様を見せ合っての議論にならぬような、
「世迷い言」の類いで斬りつけて来るのであれば、
直の事である。

しかし、私は自分の興じた世界である故、
それらの覚悟はとうに持っているが、
部下がその意思と同じ心根を
今日見せてくれた。

自分の身の危険すら顧みず、
その難事に、心を揺らす事なく、
真意を伝えきったその人に、
私は敬意と感謝を表したい。

その心がある限り、
我々という組織が少しずつでも、
強固な信念を持って進路をゆける。
そんな安堵にも似た気持ちだ。

もう揺れることはない。
君が信じた道を
私もしばし共に歩いていく。

同志。
またひとりそんな人間が育ち始めた。


追伸

先人である皆様から見れば、
未熟者の戯言と異論もおありであろうが、
今の我々を表した姿である。

ご理解頂きたい。